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まほろばだより−折々の書−
 

 

 

根室港の結氷。
 

 

■究極の「裂きイカ」

 昔から、酒のつまみに「裂きイカ」は欠かせないものになっている。 食卓にも、酒席にも馴染みの珍味である。ところが、これが食品添加物の塊であることが知られていない。酒も醸造アルコールなどの合成物も多く、加えてつまみも有毒ともなれば、酒好きの人は、それだけでも命を縮めるために呑んでいるようなものである。


先覚者「佐藤社長

 もう5、6前にもなるであろうか。安全な道産の農・海産物の加工物を手がけて、道内隈なく渡っていた鰍ツながれの佐藤泰博社長の発案で、ここ根室日の出食品の新保陽一郎社長と共同開発したのが、「無添加裂きイカ」であった。  『社長出来ましたよ、今までにない裂きイカなんですよ』と、喜び一杯の笑顔で試作品を持って来られた佐藤社長が懐かしい。既に第一線を退いてしまわれたが、氏の遺産とも言うべきこの商品は、今では全国各地で販売されている。


中国物の来襲と   添加物の導入

 この裂きイカの本場は、無論、前浜で獲れる函館である。当然、生イカを加工する技術が発達して、押しも押されもせぬ地位を函館の業者は築いていた。
 ところが、異変が起きた。中国物の来襲である。当然価格は暴落、価格競争は泥沼化してしまったのだ。
半値にも近い中国物、小さいメーカーは到底太刀打ち出来ず破綻して、1/10 に淘汰されてしまった。生き残るためには、添加物処理による長期保存出来る廉価イカで勝負するより他はなかった。

 一般物の裏面表示を見ていただきたい。合成保存料として甘味料ソルビン酸、 を下げる酢酸の合成酸味料、保湿剤としてのソルビトール、漂白剤など多目的に重合リン酸塩、そして化学調味料などなど、イカと言うより添加物のいか紛いを、「これは、旨い、旨い」と食べているのだ。

ガス直火。これで、いか本来の味の旨味が出る。「あたりめソフト」のラインである。別名「焙焼ライン」


地の利を生かした安全性の追求

 そこで、根室で二代目の新保社長は勝負に出たのである。
それは、将来を担う子供達の為にも、本来の味を伝える「無添加」で勝負しよう!と。大手メーカーは既存のシフトを変えられず、辛抱が出来ない。小さい所はやりたくても力がない。その隙間をぬって、勝機があった。 それは、土地の利である。
最東の地、故郷根室の温度が好適地であったのだ。
同じイカの魚場を持つ函館と根室。そのわずかな緯度の違いが、温度の差を生み、年間無添加で加工する好条件を与えたのだ。生物を加工するのに、一番恐れるのは、細菌の発生である。 当然これは温度の上昇から発生する。15℃を越えると菌が猛然と繁殖する。
 
 ところが、根室は10月から6月までの平均気温が15℃以下なのだ。これが、函館でやろうとしても日持ち出来ない地の利であった。この5℃の差は大きかった。外気が低いので菌やカビが生えない安定した製品作りに取り組めたのだ。




徹底した衛生管理

 加えて、徹底した衛生管理を貫いた。第二工場を建設する際、クリーンルームで何時でもHACCP(ハサップ)対応出来る施設にした。
大手スーパーでは、120日の賞味期限がある場合、70日で返品。30日過ぎたものは入荷ストップ。しかし、この体質が、多くの廃棄を生み、経済構造をおかしくし、自然公害を生んでいく。
  製品ロット毎の一般生菌数など8項目に及ぶ分析や水分量の細かなチェックを行い、何時でもクレームや事故処理出来る体制を敷いた。製造担当者の身体チェックも日に4度も行い、髪の毛1本にまで神経を行き届かせたのだ。
 
  感応試験でも半年6ヵ月合格のところ、8掛けの120日(4ヶ月)に縮めるなど、企業の良心を追及した。



各種分析器。たった1本の髪の毛の発見で、同じロット何百kgが廃棄させられ、そして会社も倒産させられるという。この状況は、おかしくないだろうか。「もったいない」精神から見ると、本当にバチがあたる。行政も行過ぎると食物の本質を見失って、とんでもないところに日本を追い込んでしまうのではないかという危惧を抱く。

成績日報。お客様で体の異常を報せるクレームがくる場合、潜伏期間は1日前の食べ物で発症する場合が圧倒的に多く、すぐに即効性があるのは、毒しかない。原因を的確に追究する必要がある。メーカーではロット毎の試験分析、お客様には医者の診断。その相互判断が必要との事。これは、保健所の指導でもあるという。
製品ロット。新保社長は言う。「昨年の偽装事件。確かに由々しき問題であるが、行過ぎると別な問題が出てくる。賞味期限問題と日本人の異常な清潔主義は、リンクしている。0−157や杉花粉、昔は今以上にあったはずだが、当時の日本人には免疫力があったから発症しなかった。その低下をもっと問題にすべきではないか」同感する次第。


伝統的調味料の開発から
 
 
醤油も既成のものでなく、網走の麹屋・醤油の蔵元と共同開発して歯舞・羅臼の昆布を使用した昆布醤油や、特産さんまで仕込んだ魚醤などを調味液、甘味料として用い、根本の味付けから心を砕いた。

 出汁も、昆布・椎茸・かつおだしなど、伝統的旨味成分を加えたのだ。この味で人気が出ない訳はない。全国の自然食関係の引き合いが増えたのは、当然であった。  

 根室の街から一望出来る羅臼、知床、標津の浜、そして近くに北方四島も垣間見られる。市とはいえ、年々一千人ずつ人口流出が起り、今では3万人を割ったという。人口では、町に降格してしまったのだ。北洋サケマス船団盛んなりし頃、賑わいに湧いたこの根室は斜陽の街になってしまったのだろうか。  

  しかし、同じ北海道人としての我々でも、根室歯舞と聞くと、魚では一目も二目も置く存在である。魚の格から言えば、この道東は日本の宝庫なのだ。豊かな資源と厳しい海から獲れる魚介。その身の引き締まった


北海道の誇り

 今、ここ根室から発信される珍味の加工品。  
きっと、全国ブランドとして、垂涎の的になるに違いない。  
この逸品を我ら北海道人としても誇りとして販売して行きたいものだ。  新保社長の決して拡大はせず、地道に一つ一つ丁寧に作り上げてゆきたいという心意気に共鳴して、同じ北の大地に生き抜く喜びを、裂きイカを口に頬張りながら噛み締めた。  
「日の出食品」の新保社長と「つながれ」の佐藤社長の志に、改めて感謝を捧げたい。

 


@大型冷凍倉庫。羅臼・知床・根室・釧路・厚岸などの道東真イカ。20kg詰めが13,000箱、計260t、1年分を10月まで使い切る。

Aボイラー。13℃設定で一晩で解凍させる。硬いと作業が出来ず、柔らかいと旨味が逃げる。外気温等の頃合を見極めるこの道40年のベテラン技術主任渡邊さんの腕所。

B分けられた各部位。耳、足は塩辛屋さんへ。内臓は廃棄。胴体のみ使う。魚洗器で洗う。この固まりをダルマという。

C特注醤油と天然だし。網走の倉茂醤油で昆布醤油を作ってもらっている。この隠し味が大きい
D調味ミキサー。一度に60kg処理出来る。以前は大きなバットで手で撹拌していたため、味むらが出来たが、ミキサーで満遍なく均一化された。

E調味液を浸した半製品ダルマ。

F電化手焼き器。140℃6分。1日に200kg製造。1枚20〜30g。1日1,000枚処理。一枚一枚大小による焼き加減を調整。


Gローラー伸ばし器。2段階。通常1回の処、2回かける。

 
Hいか裂き器。
これは何と50年前からあったという。
同じ原理、同じ構造。


I全室クリーンルームになって衛生管理が行き届いている。


J一人の手詰め作業。大きな受注が出来ない。地道な歩みが又良い。


K品数は、ほぼ1種類に絞られている。





■漁業のトレーサビリティ
 
 それは衝撃的デヴューであった。

 海産物でも初めてのトレーサビリティ(生産履歴)を公開したものが出た、という驚き。 つまり、生産者の顔が見えるというものだ。農業における生産者履歴が、漁業においてもスタートが切られた。

 船名、漁労長、漁獲海域、水揚げ日、温度等のデーターと伴に、船と顔写真付きという画期的なものであった。 魚箱に貼られてあるバーコードリーダーをパソコンのHPでアクセスすると、たちどころに今焼いているさんまの由来がリアルタイムに全国何処でも検索照会できるのだ。    

漁業というある意味保守的な産業で、この革新的な試みは今までの閉塞感を突破するものであった。

勿論、ご存知のように、まほろばは初年度から逸早く販売に取り組んだ。


■高品質・高鮮度の秘密

 8月から10月まで、約2ヵ月ばかりのさんま漁。
鮮度保持に一役買っているのが、「流水式紫外線浄化システム」と「マイクロアイス」である。  
水銀ランプで殺菌光線を作り、海水や水に照射して殺菌するシステムで衛生管理が既に船上においてなされている。  直径0.1%の泡のような微細氷は表面積が大きく長期に水温をマイナス2℃に保ち、しかも大きな氷の角で魚体を傷めない利点があったのだ。  
各船にその紫外線システムとマイクロ製氷機を備え、漁獲されたさんまを急速冷蔵する。これが高品質・高鮮度の秘密兵器でもあった。  

 さんまの尻尾を持ってピンと一本立ちする「一本立ちさんま」の誕生であった。

 


■「船上沖詰めさんま」の企画

 この「一本立ちさんま」を、更に特化させたものが「船上沖詰めさんま」である。  
さんまは帰港してから、再度、ベルトコンベアーで型を分けて選別すると、身痛みして柔らかくなる。それを解決したのが、船上にて一回詰めで梱包される沖詰め方式。大漁穫の真っ最中、荒波と怒号が飛び交う中での箱詰めは至難の業。漁労能力のある船でも、一艘で出来る数はわずか、畢竟限定物となる。
昔より、銀の鱗が輝く沖詰めさんまはあったが、今日の技術の比ではない。  

 今年晩夏より、まほろばでもこれに取り組みたいと考えている。乞う!ご期待。  
全国何処にでも居乍らにして、トレトレの極上さんまの刺身が食べられるようになるのだ。
歯舞漁協の並々ならぬ努力に感謝したい。


■小杉会長との出会い

 これら水産における新しい水平線を切り拓いたのが、歯舞漁協の理事、さんま部会会長の小杉和美さんだった。

 電話では幾度か、お話はしたものの、今回初めての邂逅であった。その包容力のある荒海で鍛えた体と人柄は懐かしく、人徳に満ちていた。  歯舞漁業組合には の専門部会があり、それを統括するのも小杉協議会会長であった。
さんま部会あり、さけ・ますあり、刺し網あり、定置あり、延縄あり、花咲あり、昆布あり、あさり・ホッキあり、ウニあり、北海シマえびあり、と多彩を極めるが、各々独立自営している。
一つ一つの水産物をブランド化する構想の下、開かれた推進協議会である。


近々にまほろばも取り扱う歯舞産缶詰類。さんま、カラフト鱒、昆布。魚は塩のみ使用の無添加。追ってお知らせします。


小杉和美協議会会長には長年お世話になった。今年は全国展開の年にしたい。開発した「一本立ちさんま」の缶詰を前に。秋にはフレッシュな新物が出る。


■ハイグレイド「塩水うに」

「太平洋ウニ漁業部会」副会長の柿本康弘さん。この日は、極上ウニを堪能した。デパートで一枚¥5,000するとか。水分を抜くと、旨味が驚くほど増す。明礬がなく、実に旨い。
 当日「太平洋うに漁業部会」副会長の柿本康弘さんが、塩水ウニを携えて来られた。

 「折りウニ」はミョウバンなどの添加物を使い、型崩れするので流通が難しい。ところが「塩水ウニ」は、真水と塩だけで保存が出来、しかも流通に神経を費やさずに済む利点がある。
更に、歯舞の前浜で獲れて、鮮度も極めて良いのだ。

「猫足昆布」という歯舞特産のフコイダンなどの栄養素が高い海藻を食べて育ったウニは当然他のウニに比して栄養価も高く美味極まりない。

 雑食の沖合ウニは不味いと聞く。 ウニも選別すれば、特上から赤まで質も味も値も異なりそれぞれだが、道産物の3倍の量も輸入されているロシア四島の物に比し、圧倒的なグレイドの高さを誇る。

これも、海藻の豊富な海域を共同管理している努力の賜物である。

ウニの身はほとんどが生殖器という。 下がA(特上)品のメスで味が澄んでいる。右上が黄土品のメスでコクがある。左上の赤はオスで雑味があるが比較しなければ実に旨い。市販価格で¥2000から¥5000.これからは、塩水ウニが主流になるだろう。

■「道産活〆秋鮭」も 「棹前昆布」も

 
このように各部会において、今までにない努力をされておられるのだ。  紅鮭に押されて道産「秋鮭」は見向きもされなくなっているが、これを活〆すると、血が一部に片寄らず、きれいに発色して、しかも美味となる、という。ちょっとした手のかけ方によって物は、ガラッと様変わりする。今まで全く売れなかったものが、途端に売れ出すことはよくあることだ。  

 そして、歯舞昆布。
余り馴染みの無い名であるかもしれない。  
羅臼、利尻、尾札部、日高に押されて知られていない。ここの「棹前昆布」はロシアの貝殻島で採れる貴重なもので、柔らかく絶品。無人島で無公害の岩礁にはトド・アザラシなどの糞尿による高栄養物で育った昆布は圧倒的な旨さを誇る。
(後編、「第 誠良丸」の乗組員、昆布漁師の高橋さんから仕入れることになっている)  
ここ一帯の長昆布のほとんどが長年沖 縄に出荷して、日常的に大量に野菜のように食べられている。

公害の少ない厳しい海で育ったこの前浜昆布を、もっと地元で、知られて食べられていいのではなかろうか。
この10年で百軒もの昆布漁師が廃業したと聞く。 高齢化の波が押し寄せているというが、若い漁師が故郷の海に帰り、地場産業の陽が昇って欲しいと願うばかりだ。
それには、地元道民の応援があってよいのではなかろうか。


■歯舞の海は、宝の海

 まだまだ可能性に満ちた自然が残された歯舞の海は、宝の海でもあった。  
感じたことは、外部の者の見識やアイディア、切り口で、新たなる方向性が開かれないだろうか、ということだ。  
都市と地域の相互交流で、今までにない活性化が起こり得るのだ。

 我々道民は、余りにも中央に目を向け過ぎて来た。
そして、地方を等閑にして来た。 そのツケが、地方の空洞化、疲弊化を生んで来た。
それは北海道の低迷した経済力として、結局は我々に戻ってくるのだ。

歯舞港の燦然たる陽光。

北海道の隅々に宝の山が隠されている。
改めて交流することの必要性を感じる。
改めて発掘することの必然性を感じる。
これは道民みんなの責任であるように思えた。どうやって地域を活性化するか、それは頻繁に足を運んで、心を通わす処から始めるのだ、と歯舞の海に教えられて、その港を後にした。


■納沙布岬に立ちて 


日本最東の納沙布岬から国後、択捉の四島を眺める。荒涼たる風が通り抜けるのみ

 日本最東の涯、納沙布岬に立つと、そこには国後・択捉の北方四島が手の届く処に見える。
「返せ、北方四島!!」の立て札も、北の寒風に吹き晒されて虚しい。
国民総意の願い、戦後60年経るも、未だに応答のないまま時が空ろに過ぎ行くままだ。  
  かつて父が母が、生まれ育った故郷が目の前にある、しかし行けない歯痒さ。人手に渡って最早、家も墓も失われ、近くして余りにも遠い海が目の前にある。

■壮絶な海と生き様に接して

 乗組員の前原信之さんは、平成9年にロシアの機関砲の銃撃に遭い、顔以外全身を散弾がぶち抜いた。 一年に余る入院生活。
 幾度手術しても体に食い込んだ残りの弾は除かれず、腕と背中にまだ20発も取れないままなのだ。    
ロシアとの闘いを、人事のように聞いていたが、現実にこのような現場で繰り広げられていたとは! 
 

誠良丸船上の吉田漁労長と昆布漁師高橋さん。カッコーいいな。

初めて漁業で生きる厳しさを知った。  
その目の前に、漁獲されたばかりの魚はただの生半可な魚ではないのだ。    それは、生死引き換えたイノチの代償でもあるように思えた。
ましてや、それを食する時、いい加減な気持ちでは戴けない、感謝の気持ちを込めないと、到底箸を付けることさえ勿体無いと思えるようになった。


誠良丸乗組員・前原さん。
体中、散弾銃で打ち抜かれた。その腕には痛々しい弾丸の跡と手術の傷痕が残っている。

 


■魚のイノチは漁師のイノチ

 5年ほど前だろうか。
市場の魚河岸に仕入れに行くと、今まで見られない鮮魚が並べて、競られていた。
「活〆」と聞く。
つまり、漁獲されたばかりの魚を船の上で〆る、血抜きを行うものだ。

 血を抜き、神経を断つことで、鮮度を保ち、死期硬直を延ばすという。

 

 


仲睦まじい吉田富夫(50歳)・久美子(42歳)さんご夫妻。何時までも若々しくお元気でいらしてください。




活〆の順序。
@えらに包丁を入れて脊髄を絶つ A尾びれに切り目を入れる B水に浸して血を抜くと鮮血で染まる。


右エラから包丁を入れて脊髄の芯を切り、同じ側面の尾に切り目を入れ、立てて水に漬けて血を抜く。
だから、並べる時は左面を表にして血を溜まらせない。鰈は、目の反対側に傷を入れる。  

船が帰港して岡で血抜きする「野〆」とでは、一等価値が違い、漁師はその違いに敏感だ。ましてや、一般流通されている〆ない魚は体内に「死に血」を滞らせて、腐敗を早めるのだ。
血が一番早く腐るからだ。
 
年間を通すと、きんき、ま鱈、助宗、ほっけ、柳の舞、青ゾイ、シマゾイ、まゾイ、八角、大兵、ばば鰈、黒鰈、ま鰈、赤鰈、サメ鰈などなどが獲れる。





お父さん似の富夫さん。船主としての風格が出て来た。


■活〆との出会い


 まほろばで、鮮魚を取り扱いだしたのは、自然食品店としては、全国初であった。
今でも、扱う処はわずかなのだ。  
当然、抗生物質を餌とした養殖物は仕入れず、さらに汚染された海域のマップを作成して、その魚介類は扱わない方針をこれまで貫いて来た。次に注目したのが、魚の鮮度、「活〆」であった。
どんなに安全と思われる魚介類でも、鮮度が悪ければ、体に良い訳がない。  
 当時、札幌卸売市場に入荷の少ない「歯舞」は0-1テストでも、「羅臼」と並んで道東の厳しい海、豊かな資源で、魚は第一等という印象を持っていた。それに加えて「活〆」は、胸のときめきを押さえることが出来ない新鮮な響きがあった。その当時より魚箱に置かれているステッカー『第 誠良丸』は気になり、何時か機会があれば、訪問したいと願っていた。


■漁労長との邂逅

前浜は太平洋の大波。吉田さんの大らかさは、
この浜が育てた。
 それから5年、漸く機会が訪れた。  
比較的余裕のある一年の初めを利用して旅してみた。  
歯舞漁港の手前、根室の先の友知漁港に、誠良丸がある。

 そこから 分の珸瑤i (ごようまい)に彼の家と作業場があり、目の前は前浜である。 他に「高栄丸」の高屋敷さんと「みき丸」の外川さん三人組みで、これまでやって来た。


■漁から食卓まで最短の努力


 前原・高橋・佐々木さんとの男四人衆で乗り込み、潮の流れの緩い頃を見計らって船を出すので、時に夜中の 時になったり、朝の10時頃であったり、不定時なのだ。

 何れも遠くて45q 、近くて10qの近海の根室海域で、2時間で刺し網を巻き上げ、船上で活〆処理をする。船が揺れ、風雪が吹き荒れる時は、難儀を極める。操業1、2日が厳しいのではない。
早く帰り、即日出荷して魚体を傷めない最短の海域の中での漁法なのだ。
午後4時には大型トラックに積み込み、早朝2時には、卸売市場のせり場に並ぶ。6時からのセリ。 店の魚台に10時には並ぶ。
 実に出荷してより一日以内に食卓に出される早さだ。

 しかし、「活〆」は意外に獲り立てが良いかというとそうでもないところが妙である。 堅すぎて味が出ない面もある。 むしろ一日置いた方が脂が回って美味になるという。

 蛋白質がアミノ酸に分解して旨味成分を出すのに時間がかかるのだろう。身が長持ちして、熟成させるに時間を一般魚より長くかけ、より美味に仕上げるという、今までの魚の扱いや思いにない魚の登場なのだ。  



船から運ばれた獲れ立ての魚達。
箱詰めされた出荷直前の荷物。
触るとピクピク動く鰭、〆てもまだ生きている青ゾイ、別名青目抜き。刺身にしても実に旨い。

 
これは古来からの手法であるが、主に漁師が自家用に捌いていた。
この手間のかかる方法では、大量漁獲出荷には間に合わないのだ。また採算が合うものでもない。  
それは、本物の浜の真味を届けたいという漁師の生き方、良心であるのだ。これは、農業における自然農法・有機農法のようなものである。
個人が手間隙をかける漁法なのだ。


■「あなた、見る目あるねー」


何時も明るい久美子さんと富夫さん。「今度札幌に行く時は、必ずまほろばに寄るからね」って。
 奥さんの久美子さんと一身一体で取り組んで来た。
きっと涙も笑いも共にして来たのだろう。屈託のない若々しい奥さんは影の功労者である。最初お宅に電話すると、「あなた、見る目あるねー」と誉められてしまった。  
会ったことも、声を聞いたこともない彼方に、何故か会いたい、と思ったのは間違いではなかった。
「誠良丸」という幻の船名に惹かれて来たこの5年。恋人に会うようなものだったかもしれない。

誠良丸の名前は、お父さん誠二の誠と、おじの良夫の良の二文字「誠良」を取って付けられたという。  
訪問すると、皆さん笑顔で出迎えてくださった。そしてわずかな時間の中で打ち解けあい、最後には大切な大漁旗を二棹も下さったのだ。
これを、店に飾って、吉田さんの心意気を伝えたいものだ。
納沙布岬灯台から貝殻島や水晶島がすぐそこに見える。

■天の見えざる恵み

 
北方四島の厳海の中を、身をもって漕ぎ渡らんとしている逞しい魂の持ち主に、身の震えるような生きる厳しさを教えられた。
 見渡す限り荒原の霧の中、農産物が育たぬ不毛の地は、ただ海の賜物だけが、生きる証であり、糧なのだ。見た目は荒涼とした中に、見えざる海の底には豊饒な天与の恵みが輝いてあった。  

不遇と思われる、いかなる環境も、いかなる人生も、天は常に見えざる処に、生き延びる道を用意してくれていることを確信したのだった。

 

大切なこの大漁旗を戴く。ありがとうございます。
左からお父さんの誠二さん。富夫さん。お嬢さん。 久美子さん。
後ろは高橋さん。佐々木さん。前原さん。
このチームワークの良さで今まで長続きして来た。

2007年12月28日記

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