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まほろばだより−折々の書−
 

 

   
 

 

 

 今年、皆様から戴いた年賀状に、ご自宅の愛犬の写真を載せられた方の如何に多かった事か。お子様と同じようなお気持ちで愛されていらっしゃるのがよく分かりました。 戌と犬の意味は違いますが、慣れ親しんでいる犬のことをお話したいと思います。
 

 

 

 アイヌ犬の「はな」チャンと言えば、エリクサー水で奇跡的に回復したお話は前に致しました。

 実は、このはなちゃんの産んだ子犬を十年ほど前、飼い主の長谷川さんから戴いた事がありました。名前を「空(クー)」としました。その人懐っこい性質は誰からも愛される不思議な犬でした。しかし、生来のアイヌ犬のためか、じゃれているつもりでも、幼い息子や衣類を噛んでしまうので、残念でしたが定山渓に住んで果樹農業を営んでいる佐々木さんに貰ってもらいました。そのほうが、クーにとって、きれいな空気を吸って、のびのびと走られ、犬に生まれて来て良かったと思えると考えたのです。案の定、園の皆から愛され子犬も産んで母になり、犬としての生を満喫したのです。
 
  クーは幸せものです。昨年何と十年ぶりに、その園に行く機会があって、母と家内を連れ立って訪れたのです。もうすっかり大人の風格を持った偉丈夫な姿のクーでした。

 再会したその時、眼と眼があったその瞬間、すがるような声を出し興奮して私たちに擦り寄ってくるではありませんか。何と、覚えていてくれたのです。

「クーン、クーン……」

と子供がじゃれるように手を出して抱かれようとします。幼い時、ほんの一ヶ月ほどしか飼っていなかったのに………。妻とその様子を見ていた母は涙を流して感激していました。

 「犬は一日の恩を生涯忘れず」と言われていますが、「実に本当だな」と心中震える如く私も感銘したのです。「初めの主人を忘れず」とは誠に忠義そのもので、忠犬ハチ公の事にも思いを寄せたのでした。実に犬とはかわいいものだな、と思ったのでした。    

 今日のペットブームで、動物で癒される人々の心情を知ったのでした。現代の孤独・孤立化の時代、ペットは唯一、心の慰めであり、救いであるような気がしたのです。世が荒めば荒むほど、ペットの需要は増えるのではないでしょうか。 犬や猫には、そのような使命があるのかもしれません。昔は番犬など、家の財産・安全を守るために外に繋がれていましたが、今は家に居て家人の心を守るために生まれて来ているのかもしれません。  

 数学者の岡潔先生の随筆集「春宵十話」の中に、犬のくだりがこうありました。  

 

 

 

 

………私は犬や猫を飼ってみて、たくさん教えられたことがある。なかでも教えられたのは、犬や猫にとっては飼い主がそこにいることが大事だということだ。かれらは飼い主を心底、信じている。この確信がすばらしい。  
 これをどうしたら人にもあてはめられるのだろうか。そこに信じられる人がいるということが、立派な「ある」なのだと了解できるようになるにはどうしたらいいか。  
 そこで私は考えたのである。これは「心の紐帯」というもので、それをこそ教育の根底におくべきだということを。そして、この「心の紐帯」を信じられるようにするには、やはり「情緒」をこそ教育すべきであろうということを。  
 もし、このような情緒の教育ができるならば、それが日本の「心の夜明け」というものではないか。……  

 

 

 

 

(写真:「天上の歌」岡潔の生涯 帯金充利著 新泉社刊より)

 

 何か、犬における無私の信頼は、現代の人間が忘れた古風な昔人の心を偲ばせるものがあります。それが情緒というものでしょうか。
 
  それなら、犬によって心の機微や深みを教わっているような気がします。献身という美徳、無私という心の美しさをもう一度考え直してみる機会としたいものです。私たちは、もっと動物に対しても慈愛の眼を注ぎ、彼らが訴えている声を聞かねばならないのかもしれません。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 そもそも犬という字は、殷・周時代の王墓に、武人と共に犠牲(いけにえ)として埋められた伏から来ています。伏は人と犬を合わせた象形文字です。伝説上、中国太古の最初の人皇は伏犠(ふくぎ)で、正に人と犬の犠牲の象徴そのもの名前なのです。それだけ犬は霊性が高く、貴い物とされたのでした。

     
 

 

 


@に、天の上帝を穀物や犬を焼いて祀ることをとした。

Aに、建物などアーチの京(けい)の落成に、犬牲で清めることを(成就なる)といった。

Bに、犬牲で清めたうつわをといい、

Cに、Bの鬲(れき)形の鼎を獻=といい、

Dに、神への供物の酋(ふるざけ)に犬を供えて神意を謀ることを(ゆう)といった。

     

 

 

 

 

 

 

常用漢字の字形は犬の部分が大に置き換えられて、犬牲の意味が失われてしまったのです。 太古の昔より、犬は人と切っても切れない重要な存在であり、一心一体の間柄だったことは、驚くべきことです。

(参照:「常用字解」白川静著 平凡社刊より)

 

     

2006年1月13日記

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