●旅館 はたご
伊東温泉の上野圭一さんを訪ねた後、
何処に泊まるか定まってはいなかった。
既に駅の観光案内も閉まっていた。
已む無く、海岸べりを、
歩きながら探し回った。
ほどなくすると、
奥に鄙びた旅館の灯火が
点っていたのを見つけた。
何ともいえない風情があって、
いいかもしれないと思った。
0−1テストすると、
湯も、料理も良く、値段も手頃と出る。
夜も深く、外れても仕方がない、
と、半ば諦め、客の姿が見えぬ
館内を不安気に案内された。
そこは、「山喜旅館」という
昭和15年創建で約70年も経た
日本家屋であった。
実は、自分の育った家は
この旅館のような大きなしつらえで
部屋や階段がいくつもあった。
その格子や障子窓を思い出していた。
谷崎潤一郎の『陰影礼賛』の趣に、
古さは全く気にならず、
むしろその材の底光りに、
たまらない懐かしさ感じていた。
何も無い簡素な風呂には、
こんこんと湯があふれ出ている。
体の芯が温まる。
聞くに、ここは元湯であるとか。
そして、一旦断られた夕食も、
時間をかけて丁重に出された。
そのものは、決して豪勢ではないものの
味付けのしっかりしたものだった。
部屋は古いとはいえ、
心が深く落ち着くのを覚えた。
布団は清潔で気持ちが良い。
夜中、外吹く風が板壁に当たって
それが耳に伝わる。
その時、私は何か言い知れぬ
外との一体感を覚えたのだった。
それは家と外と自分が、
何か一つになって動いているかのような様であった。
この時、今様の建築との隔絶した境というものを
理解したように感じた。
それは、決して和風の現代建築では感じえなかったものだ。
無論、現代のコンクリート建造物にも。
一見不安定な中に、
揺らいでいる木の構造に、
豊かな自然の呼吸が行き交っていた。
儚さの中に、
動ぜざる自然が座っていた。
それは、日本の精神というものを、
肌身に感じた刹那でもあった。
住まうという情緒がそこにあった。
その気付きは、今までなかったことだ。
このわずかな半日の出来事の中で、
私の心は大きく慰められた。
最後、良心的な宿賃に
主人の奥ゆかしさを感じ、
小雨降る、駅までの道を
急いだ。
追記:20,21日に、まほろば本店で「シルクと排毒」の講演会があります。どうぞ、お誘い合わせの上、ご参加くださいませ。
http://mahoroba-jp.net/about_mahoroba/event.html
コメント
聖なる瞬間をかいまみられたのですね〜〜〜。「存在ー意識ー平安」ですね!
Posted by: 夢野遊人 | 2007年01月19日 21:52
0-1テストっていうのは、こういう所にも役立つのですね。初めて知りました。
まさにこの時、心の中は一服の絵のようですね。
Posted by: 千枝子 | 2007年01月20日 22:22
千枝子さんへ
素敵な表現をされますね。千枝子さんの人柄が慮れるようです。感じ入りました。
Posted by: 夢野遊人 | 2007年01月21日 19:30
ちょうど陰翳礼賛のこと書いてました。
LOHAS講座マニュアルもようやく脱稿して、ほっとしてます。
バウビオロギーには触れられませんでしたが、ほんとの住まいってこういうのでしょうね。
新しいものはこういうのにはかなわないなあ。
Posted by: 有岡 | 2007年01月23日 22:52
上野先生の事ではお世話になりました。バウビオロギー(建築生物学)ですか、よく知りませんけれど、ただ、スイス・ドイツのエコの概念や建物を日本に持ってきても、どうでしょうか。情緒という、言うに言われない心の世界は、チョット学問になりにくいし、再現出来ないでしょう。エコの何でもが、向こうからの輸入ですが、もっと日本独自の概念から出発出来ないのでしょうか。0000教育も難しい。単純にスパッと分かる世界がいいですね。
一つには、古材を新屋に少しでも利用再生すると、陰影が出てきて、何んともいえなく良い雰囲気が出ますよね。古さと新らしさの妙合もエコと情緒の融合のような気がします。
Posted by: まほろば主人 | 2007年01月27日 18:16