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2007年01月29日

●捏造の根元は?

あの『発掘!あるある大辞典』の納豆騒動。
しかし、我がまほろばは意外と平静だった。
皆、よく見ていらっしゃる。
TVで「何々がいい!どれが効く!」と放映したら、即
電話が鳴り、来客が目ざとく買い占め、その棚は空になるという。

今はやりのアンチエイジング若返りの成分「DHEA」にダイエット効果があり、
それはイソフラボンを多量に含む大豆、ことに納豆にある、
という新しい切り口で、古典的食材が脚光を浴びた。

物事の一つ一つには陰陽や裏表がある。
これが、絶対良いというものはこの相対世界には絶対無いのだ。
免疫力食品の最右翼が、納豆であるという最近の学術発表もあるくらいだから、
今回の件は、当たらずとも遠うからず、
といった所だと思うのだが、問題はそこにはない。
捏造体質にある。

ちなみに、まほろばでは、大豆製品に対しては、
リノール酸過剰摂取という影の部分が、
現代病疾患の大きな原因のファクターを占めていて、
何が何でも風に、全面的に推薦は出来ない。
それは、専務の健康コラムに譲るとして。

納豆.jpg


05年に韓国ソウル大学のK教授が奇跡の細胞
「クローンES細胞」を発見したが、実は捏造であった事が発覚。
ノーベル賞に一番近かった国民的英雄が逮捕されて、
国家の威信と希望は潰えてしまった。

それと同じように、今度は日本でも、
東大・生命化学工学科のT教授とK助手が「RNAリボ核酸」の研究で、
同じ捏造疑惑で懲戒免職となった。
実験ノートがなかった、データーが改竄された、再現性がない、という
素人でも考えられない事態が、今科学の世界で起こっている。

我々、科学音痴の者にとって、侵すべからざる聖域だったものが、
実は納豆騒動と変わらなかったという茶番劇に、
何故か笑ってしまうのだ。

偉そうな科学者も、ヒョウキンなお笑いタレントも
根は同じなのか、と
人間のサガを感じてしまった。

実は、この科学における捏造は、今に始まったことではない。
2000年前のプトレマイオスからニュートン、メンデル、野口英世と
名を連ねられたら、みな口をアングリと開けてしまう。

W・ブロード、N・ウエイド著の『背信の科学者たち』によれば、
科学の不正は特殊でなく、科学の営みにまつわることだという。


背信の科学者.jpg

その不正が起きる理由に、
自説への深すぎる確信。
論敵を論破したいという誘惑。
認められたいという欲望。
偏見の合理化。
競争が激しく研究が組織化した現代では、期待する上司への迎合。
出世や権力への欲望。
研究費獲得競争のプレッシャー。
等々・・・・・・

これをテレビ局にすんなり置き換えてみれば、
そのまま即原因になっている。
いや、そればかりでない、医学界でも、どこでも通用する回答だ。

土台、毎週毎週、週替わりで、新しい健康法がある訳がない。
毎日毎日、あれが良い、これが効くと言って、
毎日、健康食品や食品を求め続けて行ったら
家計がたまったもんではない。
それより、体が
「どっちかにしてくれよ!」って、悲鳴を上げるだろう。

科学の証明という、大きな指標にはなり得るが、
絶対とは言えない一見まことしやかなロジックに惑わされて、
実は、その物全体を見る目を失われたら、
一粒の大豆にも笑われるだろう。

自然の発露から出たというものでなしに、
ある型を決めて、
そこに押し込めることを続けて行くなら、
誰もに、何時か破綻が来る。
納豆騒動を、人ごとと笑ってはいられない。

現代に生きる我々一人一人が
この無形の型枠の中に押し込められて、
一定の物を、作り続けねばならない生活を強いられている。

何事も、ほどほどの所で、
打ち止めも必要かと思う。

このブログも何時まで続くやら・・・・・
無理と分かったら、止めるか、休止する
柔軟性も持ちたいもの。

まあ、『継続は力なり』もまた、
歴史的事実であり、
人生の真理ではあるが・・・・・

コメント

まほろば、という言葉をいろいろと考えてみました。その瞬間、たかまがはら、というメッセージをいただきました。まほろ、という場なんですね。これはこじつけではありません。まほろ、を音階に変換すると、あおお、となります。つまり、青と言っていることでしょうか。青とは、天という意味ではありませんか。つまり、まほろばとは、天の場所という意味に聞こえます。そこで売られている食品全ては天からの恵みの食物、という意味でしょうね。是非まほろばの食を全国に広めて欲しいものです。天といえば、先日、伊豆長岡温泉に行きました。そこの長岡温泉には三菱の創始者である岩崎弥太郎の別邸が今では三養荘という旅館になっています。なんと、4万2千坪もある旅館ですが、今はセゾンの堤清じ?さんの所有です。そこで一句歌ってみました。
古き湯を訪ねてうれし寒桜
       天にならいて満つる地のかげ
いかがでしょうか。まさに、天にならうことこそまほろばの精神ではないでしょうか。ではおやすみなさい。

まほろば、という言葉をいろいろと考えてみました。その瞬間、たかまがはら、というメッセージをいただきました。まほろ、という場なんですね。これはこじつけではありません。まほろ、を音階に変換すると、あおお、となります。つまり、青と言っていることでしょうか。青とは、天という意味ではありませんか。つまり、まほろばとは、天の場所という意味に聞こえます。そこで売られている食品全ては天からの恵みの食物、という意味でしょうね。是非まほろばの食を全国に広めて欲しいものです。天といえば、先日、伊豆長岡温泉に行きました。そこの長岡温泉には三菱の創始者である岩崎弥太郎の別邸が今では三養荘という旅館になっています。なんと、4万2千坪もある旅館ですが、今はセゾンの堤清じ?さんの所有です。そこで一句歌ってみました。
古き湯を訪ねてうれし寒桜
       天にならいて満つる地のかげ
いかがでしょうか。まさに、天にならうことこそまほろばの精神ではないでしょうか。ではおやすみなさい。

ありがとうございます。
まほろばの事、深く洞察していただいて感謝申し上げます。
まほは「真秀」と書いて、後は「天地」と付けて、「真秀天地」と、当初勝手に解釈していましたが、あながち外れてはいなかったのですね。真秀の天の地(場)で、天上のことを地上に移(映)すことですね。今後もそうなるよう努力していきます。
皆様のご協力なしには、歩めませんので、よろしく支えて戴きますよう、お願い申し上げます。

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