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2007年03月17日

●りんご園の跡継ぎ 募集!!

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先週土曜の「斎藤りんご園主のお話」は
涙、涙の会だった。

今まで、いろんな会に出たり、開いたりしたが、
慎ましく、ひそやかな集いながらも、、
これほど、心に染み入る、しみじみと胸に響く会はなかった。

それは、ひとえに斎藤さんのお人柄によるもので、
りんごの樹との生きように、
誰もが、感動してしまった。

りんご園講座1.jpg


もう70年も一緒に暮らして来た
りんごの樹は、斎藤さんにとって、
実の子供。

りんごも、斎藤さんを親と思っている。

斎藤さんが、山で働いていると
ミシミシとりんごがおがって行く音が
本当に聞こえるという。
こうして欲しい、ああして欲しいという声が
手に取るように判ると言う。

しかし、跡継ぎが居なく、
寄る年波に、200本の樹を世話出来なくなってしまった。
そこで、断腸の想いで、毎年20本ずつ伐る決意をされた。
それしか、遺された選択出来る道はなかった。

100名ものボランテイアの方々が集まって、
斎藤夫妻の代わりに手伝い、
一番難儀な剪定を学んだが、
余りの難しさに、後継ぐ志も断念したという。

それはそうであろう。
この道60年の斎藤さんでも、
未だに思案して苦慮するという。

周りの枝とのせめぎ合い、譲り合いの按配をして
光の入り具合を見て、
老木の無駄枝を払い、
実を付ける枝を伸ばす。

一本一本の性質を知り尽くした者でないと
全体が見えないし、部分が見えない。

そして、除草剤も使わず、
土を耕運せず、草を生やす
草生栽培のため、手で草をむしる。

この仕事は、片手間や生半可な善意だけでは
到底解決がつかない職人芸でもあったのだ。

そこを考えに考えつくした挙句の結論が、
思い余った伐採だった。


仁木・余市・七飯・江部乙・壮瞥・・・のりんご農家は
手入れしやすい背丈の低い「わい木」に切り替わった。
70年物は道内で斎藤さんの所だけなのだ。

北海道のりんごの生ける宝が、
今、消え去ろうとしている。

りんご園講座2.jpg

泉さんが「精の宿り木」を朗読した後、
斎藤さんを紹介するのに、
私は胸が詰まって声にならなかった。

りんご園講座   9.jpg

次に、NHKの全国ビデオコンクールで最高賞を獲得した
海老名名保さんの一年をかけて撮影した
斎藤リンゴ園の記録が、皆の涙を誘った。
それは2004年の台風で、9割方のりんごが落下した顛末を
取材したものだった。


りんご園講座 73.jpg


そこで、皆が改めて知ったことは、
いかにりんご作りが、機械の使えない
手間の要る農業であるかということだった。

その道、50年の青果仲買さんの社長や、
三代に亘って斎藤さんのりんごを扱ってきた八百屋の若大将が
こんなにも苦労してりんご作りがされているのか、
と、その無知を恥じた。
それは、私も同様であった。

食べるのは一瞬だが、
作るのは一年、
いや、
70年かかっているのだ。

りんご園講座 6.jpg

最後、輪になって斎藤さんを囲み、
お話を聞き、互いに語らい合った一時は
何にも増して、印象深かった。

出来れば、多くのお客様と、この感動を分かち合いたかった。
最後に残った10個のりんごで作ったパイやケーキを
堪能しながら、今年こそ、
りんご園を尋ねて、お手伝いしたいと誓い合った。

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さあ、全国の隠れた若者達・・・・・・・
誰が、手を上げるであろうか。

命がけで取り組む若人よ。
あなたには、
喜んで、
惜しみなく、
全ての技術、
全ての知識を与える、
と、斎藤さんはおっしゃる。

毎年、毎年、20本づつ
手塩にかけてきた樹が
今、姿を消そうとしている。


HP上にも、ビデオを公開する許可を得たので、
後日設定して、お見せしたい。

それをご覧になって、
是非とも、斎藤さんの跡継ぎが出現されますことを・・・・

皆様と共に祈りたいと思います。

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コメント

宮下さん、久しぶりにあなたからお電話いただいてありがとうございました。何ヶ月か前に富士山ツアーにご一緒しましたよね。そのツアーの泊まったホテルで夜の11時半までに天に向かって願い事をお願いするとわりと近いうちに叶うということも一緒にやりましたよね。ホテルのロビーに10人近くもいたのに私が声をかけて天に向かってお願いする場所に来たのは宮下さんご夫婦だけでした。これだけですべてが分かってしまう世界があるのですね。宮下さんは私とは前世の因縁が強くあると言っています。でも、私も宮下さんと札幌で一番最初にお会いした時に全てが分かったのです。二人でというより私たちを応援してくれる全ての人々と一緒にこの世界を変えることに一石投じられたら幸せだと思います。私の親しい友人の中にエジプト大使がいますが、彼はエジプトがアメリカに蹂躙されることをすごく嫌がっています。エジプトと日本がなぜこれほど仲がいいかの秘密は私が知っている一つだったのです。それは先の世界大戦で日本がとてもひどい貧しい国になったとき、エジプトから日本の国民に向けてものすごい量のお米を送ってくれたのです。私がエジプト大使に初めて会った時にそのことを御礼いたしました。エジプト大使は私の顔を見て非常にびっくりしました。「首藤さんがなぜそのことを知っているのですか?エジプト政府は陰で日本を支えましたがこれは武士道に基づいてやっていることなのです」と彼は言いました。やっぱり日本もエジプトもすごく古い文化を持っていますね。いつだったかオリンピックで山下選手が足を怪我したときにエジプトの選手は名前を忘れましたけどアシュワンという人だったか?彼は決して山下選手の足を攻めることなく敗れたのです。これほどいい試合は見たことがありませんでした。実際に金メダルは山下選手でしたが、武士道の金メダルはエジプトのアシュワンだったのかもしれませんね。宮下さんのブログはとても素敵なコメントが多いのでこれからも長く続けていってほしいと思っております。また、近いうちにお会いしましょう。

宮下洋子です。首藤さん、抗インフルエンザ薬<タミフル>についてコメント有難うございました。
 首藤さんの<インフルエンザ脱出法>理にかなっているとおもいます。
 カロリーのあるものは一切控えて(断食して)水分(生水はダメ)だけとっていれば、中和、還元されて、副作用もなく、毒素排出して治るのだと思います。
 でも、バケツいっぱいもお湯を飲んで即効で毒素排泄して治せるのは、首藤さんのような根が丈夫な人だけと思います。今は、そういう人が少なくなりました。
 糖分取りすぎて腎機能が弱って、却って水毒がたまってむくんでしまう人もいます。本当にやっかいな時代です。でも首藤さんて半端でなく甘いものお好きな人ではありませんでした?

昨晩は、ダ・ヴィンチの生まれたヴィンチ村に関わる
新発見の興奮で電話してしまいました。
この壮大な生きたドラマの渦中にいる幸せと楽しさに、日々ワクワクですね。
エジプト、黄金比、ダ・ヴィンチ・コード・・・・。
首藤さんを通して何千年の歴史が、現代に甦って来ます。
富士の光の奇跡もすごい!
日本人の心の優しさは、古代人の共通した源流にあったのですね。
何時も、ありがとうございます。

りんご園のお話、感動いたしました。
わたくしも是非その会に参加したかったなあ・・と(笑)
もし、何かこれは素敵だと思われる集まりがございましたら、お声かけ下さい!

首藤さんが書かれていた山下選手の金メダルの時、見てて本当に相手の選手のマナーの素晴らしさに感動したのを覚えています。

人と人の関わりがいつもこうであれば本当に世界は平和になるのではないかと思います。

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