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2007年05月14日

●看板に学ぶ

私が来生、もしまた商売をするのなら、
これをしたいなー、と心に決めている職がある。
それは、材木商か漢方の薬屋。
どちらも、あの独特な匂いと雰囲気がたまらなく好きなのだ。
薬局は洗練された店でなく、所狭しと漢方の草木が店内を埋め尽くして
少々どころか、かなり汚めが良い、そしてチョット薄暗く。
また、銘木店に行くと、このケヤキやひのきから匂立つ山々に思いを馳せ、
木々の精霊に囲まれた生活に憧れるが、現実ともなると生き残るのが今大変らしい。

今日も厚別店の帰り、改装のための材木探しに銘木店に寄った。
西野の新店舗建築の際、明治期に創建された北海道で最も歴史のある
「穂刈銘木店」の中村さんには随分お世話になった。


看板 7.jpg

縄文杉のような大きな屋久杉の何十年も前の古板を、
開店の時飾りたいと、前々から取って置いてもらっていた。

また40年もの間、在庫していたアフリカ産の「ゼブラ」の木に字を書いて彫ったりもした。
名の通り縞が走り、ひのり方に風情があり、目に沿って縦に立てた。
看板 4.jpg


また、表看板にと、東京の新木場から大銀杏の板を取り寄せて下さった。
何せ大の男四人が抱えて、やっと上がる何t もの代物だった。
看板 5.jpg

それが、何と3年も経たぬ内に、真っ黒く変色してしまったのだ。
見るも無残な姿で、開店当初の光輝いていた明るさが完全に失せてしまった。
風雨に晒されると、こうも変わるものかと思われたが、どうも銀杏は渋が出やすいらしい。
初めから色止めを塗ることはしなかった。
材木商の中村さんや、彫師の今村さん、庭師の竹内さんの意見に従った。
自然の風合いを損なう、と聞いたからだ。
しかし、ここに来て、寂びることの憂いも知った。
どうしようものかと、ここ数年逡巡していた。

それが、この春の陽気に押されて、どうにかしようと決心したのだ。
実際、上って観察すると、ヤスリ程度の磨きで良いのではないかとの結論に至った。
大仰な足場も組まず、梯子で登り、
カンナをかけず、ヤスリとブラシでこすると、あの黒の汚れが取れ、
地肌とまでは行かないものの、すっきりした枯れた感じが出て来た。
さらに剥がれた字を塗り直すと、それなりに活き活きした看板が浮かび上がった。

看板 1.jpg

日常、我々は、ああでもない、こうでもない、
と思いあぐねて毎日を、如何に送っていることか。
そんなに悩むなら、一歩、足を進めてはどうか。
とにかく、一歩は違う局面を開いてくれる。
そこから、また一歩進めると、当初には無い全く異なった世界が現れる。
行為は、意外なヒントや気付きを与えてくれる。

形は元の形に非ずも、また新らし。
古色蒼然とした寺院も、天平の空には
絢爛豪華な原色が映え、当時の人々の目を驚かせた。
今昔、同じ形でありながら、全く別な物を見ていたのだ。
古は古、今は今。
今の最善に、今の美が備う。

看板 6.jpg

人もまた、若きを羨まず、老いを怖れず。
その時、その時の生を、生き切る。
それを死といい、それを生という。
完全に生きたる者に、完全なる死あり、安らぎあり、眠りあり。

前と比せず、後を憂えず。
人生の風雨に晒されながらも、今を生きる。
そんな教訓を、看板は静かに語った。


コメント

すげぇ〜・・・・。

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