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2007年06月02日

●ネパール考

まほろばの宮下洋子です。
11日間ほどネパールに行ってきました。
主人が、後で詳しく書くと思いますが、
とりあえず、私の報告です。


ネパールは、平和と安全と、清潔と、
温和な気候にならされた
日本人にとっては、衝撃的でした。
(とにかく暑くて湿度が高い)

ネパール ルンビニ.jpg

ネパールは、仏陀の生誕地ですが、
国民の8割はヒンズー教徒で、
インド以上に複雑で、差別の強い
カースト制度に支配されています。

王政は、ヒンズー教と深く結びついており、
日本と同じような経過をたどって、
議会制民主主義の下、議会派が、
王政を支持する国民会議派と連立政権を成立させています。
王様は、今では憲法上は、
国民の象徴として君臨していますが、
日本と違い、水面下では、相当な実権があるようです。

しかし、5年前には、王室の後継者争いで
王の弟にあたる現国王が、
国王の母親だけ残して、身内を全員暗殺したという
おぞましい歴史があります。

そのようなこともあり、一時期は政権もとった
共産主義勢力が非常に強く、
水面下で中国と結びついた地下活動も盛んで
インドと結びついた民主主義勢力を
武力で暗殺しているそうです。

市民からは、マオ(毛沢東)イストとして
恐れられ、民主勢力との力関係は
5分5分で、いつ内乱(武力革命)が起きても
不思議ではないそうです。

南の方のルンビニ(気温は35度〜40度)は、
仏陀の生誕地ですが、
今は、ルンビニから、西のポカラに向かう山道が
政情不安でマオイストや山賊が出没し、
危ないと言うことで、現地人の友達がチャーター
してくれたジープに乗って急峻な山道を
7〜8時間も揺られることになりました。

ネパール 山.jpg

しかし、後1時間ほどでポカラに到着という日暮れ時、
何かにぶつかって、車の車体を支える金属板が
折れ曲がってしまいました。

仕方がないので、車だけポカラの近くにある
修理工場へ先に行き、案内の友達夫婦と、
私たち家族4人は、
暮れなずむ断崖絶壁を歩いて、
やっと、修理工場にたどり着きました。

夜中の9時ごろ、やっとホテルについて
お風呂に入ろうと思ったら、
お湯が出ないし、お布団とシーツは湿気でベタベタ
上履きがないし(ネパールではないのが普通)
クーラーはついているものの、故障
(気温は夜でも30度くらい)

食事をする元気もなく、家族全員ただ寝るのみ。
これでも、ポカラでは、超一流とまでは行かなくても
一流の部類で、外見は大きな庭や、
プールまであって豪華なのです。

そんなホテルでも、食事をしていると
蝿が何匹も寄ってきて、食欲減退ですが、
ネパールの人は気にしていないのが不思議です。

ネパールの人たちは、一部のハイカーストの人たちを
除いて、皆貧しく、教育水準も低く、不衛生なので、
平均寿命も50歳くらいで、
死因の第一位は、伝染病なのだそうです。
特に乳幼児の死亡率が高いようです。

ルンビニのホテルの警護に当たってくれていた
21歳の若者は、三年間の兵役を終えたばかりで
兵役中の訓練写真を見せてくれました。

ネパール 番人.jpg

マオイストをやっつける為に、
退役してからも、毎日訓練を欠かさないそうで、
機関銃でやっつけるゼスチャーをして
見せてくれたのが、印象深く心に焼きつけられました。
(息子と同じ年なのでよけいに)

首都のカトマンズにいた時、
ヒマラヤ連峰の見渡せる高い山(2000メートル以上)
に乗用車で連れて行ってもらいましたが、
高いところには、道々、軍隊の訓練場が
いくつもあり、大きくスパイラル状になった
有刺鉄線が延々と張り巡らされていました。

ネパール 鉄線.jpg

ポカラでカシミヤのショールを売っていた
インドのカシミール地方の若者は、祖国が、
今、パキスタンと交戦中で、
その関係で、カシミヤは、インド方面へのルートが絶たれ
ネパール経由でしか入らなくなっているそうです。

ネパール カシミール.jpg

何かにつけ、平和に慣らされた日本人には
生々しく、体力、精神力限界でやっと帰ってきました。
日本に感謝、毎日に感謝!感謝!
今までの感謝は観念的だったかも!

コメント

昔ルンビニーは私の憧れの地でした。
釈尊の生誕地は一度は行ってみたいと思っていましたが・・・。釈尊没後何千年も経った今の聖地はネパールではなかったのですね。

でもその国で暮らす人達が少しでも痛み少なくその方たちの人生が素晴らしく充実したものでありますように祈らずにはいられません。

貴重な体験のお話を聞かせて頂いて有難うございました。

私たちは本当に幸せな所に生かされていてありがたいのですね。「毎日に感謝」のお言葉が身に染みます。

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