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2007年09月06日

●醗酵道

醗酵道.jpg
(「発酵道―酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方」
寺田 啓佐 (著) 価格: ¥ 1,575 (税込) まほろば扱い)


溺れれば、気狂い水
嗜むにほどほどなれば、百薬の長。

「不許葷酒入山門(葷酒山門に入るを許さず)」
と、柱の聯に掲げるのに、
あえて、「般若湯」などと名付けて、
隠れ飲む禅僧も、また可愛いらしい。

酩酊際のほろ酔い気分は、
禅定の先の恍惚境か。
座してなかなか味わえぬ境涯の先取りか。
定めし、酒は如来の使わせし宝薬に違いない。

この酒の仕込み蔵、当主二十三代、
創業350年もの蔵元「五人娘」の寺田啓佐社長が、
この度本を上梓された。
長い醗酵期間を経て、この本はなった。

寺田さんと言えば、『むすひ』と思われるほど、
この発芽玄米酒は、
日本一マズイ酒、ダ酒として名高い(!?)。

しかし、どっこい!!
発売以来、全国の好事家から
若い女性にも末広がりに人気沸騰して、
何ヶ月待ちのとんでもない銘酒に変貌してしまった。

戦前なら、「米を削るとは何事ぞ」
それこそ、「Mottainai!!」とお咎めを受けそうな
当世の大吟醸ばやり。

下戸の私としては、いささか腑に落ちないブームに、
警鐘を鳴らしたのが、この「むすひ」。

その颯爽たる登場に、
溜飲の下がる思いをしたのは、
私ばかりであろうか。

醗酵道 2.jpg

実は、この「むすひ」は、
まほろばと関わりが少なからずあった。
それも、寺田さんの人徳の引き寄せる所、ありがたいご縁だった。

先ず仕込み水はエリクサー水を使ってくださっている。
何とあの家庭用で半日かけて、
チビチビと大きなタンクに注いでいるのである。

そして、本の中にも紹介されているが、
酵母を一般に出回る協会酵母を使わず、
蔵元に住まう蔵付き酵母を使っている。

寺田夫妻 1.jpg


この発見には、不思議な巡り会わせがあった。
丁度、私が道立食品加工研究センターで、
例のエリクサー水でチーズが出来るという研究をしていた最中。
この「むすひ」の話を醸造醗酵課に持って行き、
蔵の柱や梁の木片などから
見事、「蔵付き酵母」を発見したのだった。

それから一段と「むすひ」は際立った冴えを見せるようになった。
自然に蔵に放置して醗酵するようになったのだ。
その詳しい辺りは、エリクサーブックレット
「むすひとエリクサー水」を読んで戴きたい。
(無料配布しています)

紙.jpg

伊勢大社の神典からヒントを得て、
古代酒を再現した寺田さんは、ロマンの人でもある。

そして、何時も思うのだが、醗酵関係の人は、
どうしてこうも、ノンビリなのか、と思う。
島根の井上醤油の井上社長然り。
腰を上げるのが、実に緩やかである。

私などセッカチで息の短い男は、
土台、暗い蔵で微生物相手に暢気に
構っている性質(たち)ではない。
それだけ、人間が出来てない、
まさに未熟(!)で熟れていないのだ。

彼はおっとりとして悠長、
およそ敵というものを作らない。

これが、蔵の微生物を統御している訳であろう、
それとも統御せられているのかも知れない。

微生物達は、安心し切って、
すっかり羽を伸ばして、
ノンビリと何百年も居座り続けているに違いない。

彼の生来の気立ての良さが、いろんな人脈を作り
蔵には、日本中から酒好きも嫌いも纏めて集まる。

この人徳のなせる業に、
改めて脱帽なのである。

そして、彼を支えている奥様の雅代さんの謙虚さは、驚くべきで、
凡そ日本女性の鑑ではなかろうか。
さすがに、寺田家の300年の血脈は、
おいそれと一朝にしてならないと
改めて気付かされる。

そして、蔵を支える婿殿達と
三人の娘さんお孫さんと若い衆、
そして今もって矍鑠たるお母さま。

これから、さらなる300年、寺田本家は黄金期を迎える!!

http://www.teradahonke.co.jp/


醗酵道3.jpg

コメント

先日千葉成田の『あいりん堂』さんから、贈られてきました。

素敵な装丁で引き込まれて読みました。
深みのある美味しさが蘇ってきます。

この夏はまほろばエリクサーの水を、療養中の姉のところへ運んで飲んでもらっています。

4月にはうつ病的な状態だったのですが、最近は、自ら歩けるようになったのです。

はじめはいらついていた姉も、食事が整ってくるにしたがって、『できない〜』と連発していたことへ、徐々に挑戦していくようになってきました。

周一に行くたびに、発酵食品を調理しては運び込んで食べてもらっていました。

気の短いわたしが、最近は姉の生活リズムとやる気を出すまでじっくり待っていける余裕ができてきて、『二人で野次喜多道中よろしく、温泉に行こうね』を目標に邁進してます。

同時に豚肉のししょうが焼きなども随分食べてもらったのです。

左足骨董部骨折の手術で、歩けなかった姉が、ひょんなことから、一気に3000歩歩けたのには、驚きました。

回復していく過程では、『待てるこころの余裕』が介護する側にないと結果はついてはこないんですね。大きな学びでした。

澤田先生、ご無沙汰しておりました。
お元気そうですね。
最初の出会いが、寺田さんなんかの寄り合いでしたね。
あれから随分経ちました。
老いを感じるこの頃、どうこれから生きるかが、大きな課題。
でも、このまま今を生きるしかないなー、とも思うしかないですよね。
最後どうなるかわからないシナリオを、どう演じればよいか。
成るようにしかならない人の運命を感じています。

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