●真贋
私の干支は五黄土性の寅で、
何でも、適職は古い物、雑品屋や骨董屋が良いらしい。
「人生、しまった!!」の感が強い。
道理で、古い書画骨董に惹かれ、
「開運!なんでも鑑定団」のTVが大好きなのだ。
最近、中島誠之助氏の近著を読んで、
骨董屋の内幕を知り、そして騙される心理構造に
我ながら、笑ってしまった。
世に出回る骨董のほとんどがニセモノで、
物が人を騙すのでなく、人が人を騙すのだ、という。
何時の世も、儲けのための贋作造りは止まない。
氏は言う、
「土台、掘り出し物なんかありっこない。
儲けるのは、プロだけ。
だから欲を出すのは止めなさいと、
プロ中のプロが言うのです」と。
氏の弁舌は、陶磁器の鑑識眼に鍛えられ、
選び抜かれた語彙と、巧みな言い回しは、
そのまま簡潔で滋味深い名文となる。
修行時代、師匠の親父さんが、
決して贋物を、氏に見せなかったという。
それが、心眼を養うコツであり、早道だった。
本物にだけ漂う一種の霊気を感じるようになれば、
後は、放しても心配はなかろう。
品格だけは、模倣することは出来ない。
何年か前、札幌三越で元首相の細川護熙氏の
陶芸展を観に行ったが、
作陶数年にして、楽から始まって志野、萩、井戸・・・・と、
その玄人はだしの完成度に驚いた。
氏は、それまで骨董などの文化財に全く興味もなく、
ご先祖の膨大なコレクション「永青文庫」を覗いた事もない、
と語られていた。
だとすれば、それは血筋としか言いようがない。
持って生まれた環境や品性が観る眼、造る眼を養ったのであろう。
細川家700年にわたり収集された宝物は、
何万としてあり、国宝・重文も枚挙に暇がない。
護熙氏の祖父・護立侯爵は、昭和の大コレクターでもあった。
その炯眼は、当時誰も振り向きもしなかったが為に、
白隠や仙高フ書画を易々と蒐集出来たという。
(今一私の好みではないが)
唐三彩なども然り。
それは欧州においても、評価の外にあった。
しかして、ただ古いのみならず、
未だ世に出でざる逸材を見逃すはずも無かった。
若き横山大観、下村観山などなど・・・・・
逸早く、大観の「生々流転」など入手していた。
再びと、中島氏は説く、
「骨董に拘泥するより、
将来伸びそうな作家や未知の美を
発見する力を養う方がいい」と。
古くともつまらない物は、つまらなく、
新しくとも良き物は、良い。
自在として因習に囚われず、
闊達として世代を超え、
本物を本物として見抜く力、
審美眼を備えたいものだ。
しかしてなお、
自然は、
生々として古く、
流々として新しく、
真実にして真実、
本物にして本物であった。