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2007年11月13日

●伝統とグローバル化の狭間で

このところ、国技が危うい。
相撲と柔道が揺らいでる。

相撲.jpg

横綱は長く外人に牛耳られ、
柔道は国際連盟より総スカンを食らっている。
こんな事は、前代未聞の一大事だ。

これは、勝敗に拘る外国に開放したために、
単なるスポーツに堕落した感が否めない。
力というより気、フォームというより姿、勝つというより潔さ。
その日本的精神が失われて久しい。

嘉納治五郎.jpg

しかし、東大の松原教授は論じられている。
そもそも伝統と言われるも、嘉納治五郎の創設した講道館柔道も、
戦後のスポーツ柔道になったと位置付ける。

戦前には、武徳会などの諸会があり、GHQに潰されるや、多くが海外に雄飛し、
今日の国際柔道の基礎を築いたのであって、
日本対国際という構図は当たらない、とする。
矮小な伝統という虚像に執着して、国際化の流れに政治的対処をしなかったつけが、
今日の弱体化を招いたとも言える、という。

朝青龍も然り。
大相撲の伝統のシステムを充分説明しなかったことが主要因だとする。
また閉鎖的社会の中で、社会常識を培われないままに育つ事の危険性が
過日の事件にも繋がる。
それは柔道も然りで、異文化への説明責任を世界に果たしていない事に尽きる。

全日本柔道連盟や相撲協会が「家元意識」に固執すれば衰退は免れない。
これは、日本における、およそ道と名の付く「家元制度」にもいえるのかもしれない。
縦社会の中での常識が、世の中の非常識になっていること、
また一つに、金銭の関わりなしに存在し得ないのも、
本質を見失う場であるのかもしれない。

世界に進出してここまで来て、後戻り出来ない今日、
時代の変化に対応した戦略的外交は絶対不可欠であると。

そして、日本全体が中流家庭となって、飢え貧しさを知らない世代は
相撲で食うために凌ぎを削る切迫感が無くなってしまった。
外国人の飢餓感には太刀打ちできない。

そして柔道も、特殊な体育になっていて、
愛好家がフランスの60万人に対し
日本は20万人にしか過ぎない。
既に層の厚さが違うのだ。

柔道.jpg

もうここまで来たら、既に過去の美徳や伝統をかざしても、どうにもなるものではない。
これはどの分野、どの世界でも言えることだ。

しかし、伝統と言っても、長い時間の淘汰にあって今日があり、
未来の伝統も今日の淘汰によって変貌を遂げるのであろう。

然らば、淡々たる眼で時の推移を見守るのも然り、
とする今日この頃である。

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