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2007年11月08日

●飴屋さんの一言

飴や 1.jpg

昨日、まほろばオリジナル飴、製造販売のため、
近郊の飴の老舗を訪問した。
何せ、北海道開拓と共に続いて来た名家である。

そこのご主人と初対面、開口一番、
「赤福さんのやっていることは、どこでもやっていることで、
『あれは赤福300年の伝統ですよ』」
と切り出された。

「昔から、売り余った餡は、
もう一度火をかけて練り直したり、
餅なんかも、鏡餅に砂糖を加えてスアマに作り変えたり、
みな色々工夫して、物を大事にして来たし、
それに文句を言うお客さんは居なかった。

みんな菓子屋としての分を弁えないから、こうなる。
それぞれの商売には、その商売の分相応の生き方がある。
分を外れ、儲けすぎてはいけないんだ。
儲けに走ってはいけないのだ。」

「成程!」と、唸った。
本来、食べ物は生もので消費する範囲が限られたはずだ。
地方の特性は、その地方で生まれ育てられ守られていた。

それが、急速な流通の発達で、広範囲になり、
消費と生産が拡大の一途を辿った。
そこから、狂いが生じたのではなかろうか。

おそらく、創始者の物作りへの思いは、
広げるほど、薄らいで行くだろうし、
思考は、品質向上より、売り上げ向上に傾くであろう。

多くの人に知れることは、それなりに良いことであろう。
しかし、それもほどほどの所で手を打たねばならない。
誰もが満足出来ない、手に入らない、
その不自由さ・不便さが良いのだ。

農における自給自足や地産地消は、
物作りにおいても同じことが言えるだろう。

あまり欲を出さず、コツコツと自分の周りを照らすほどの
薄明かりで良いのではなかろうか。
それが、心に波が立たず、穏やかで、静かな
日暮しが出来ると言うものだろう。

地方文化の復権ということが、
最近俄かに言われだしたが、
その真意は、大きくならないことに
尽きるのではなかろうか。

昔の日本人の生き方の慎ましい佇まいが、
今求められているのかもしれない。

それは、賞味期限、以前の問題であった。


飴や 2.jpg

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