●三国シェフ
(Kiyomi Mikuni 「皿の上に、僕がある」柴田書店)
ある日、事務所の机を見ると、上の古本が置いてあった。
何気なく、パラパラとめくって巻頭の三国シェフの言葉が目に飛んで来た。
「わー、生きた言葉だな・・・・
久しぶりだな、こんな文章は・・・・」
と感動してしまった。
若き日の三国シェフの生き様が、素直に率直に語られて、
胸のすく思いだった。
これは、言葉が先にあるのではなく、後にあって、しかも、
行為がずっと向こうで失速して、言葉が付いて行けない。
青春の野望や粗忽さや世間見ずの所が、ごつごつと綴られていい。
かつて、小林秀雄が当世の若き文士の体たらくに腹を立てて、
推薦書の頭に堀井謙一青年の「太平洋ひとりぼっち」を挙げて、
激賞していたのを思い起こす。
偽らざる青年の赤裸々な生き方が何よりも読み手に好感が持たれた。
暗き書斎で観念するは、明るき自然と格闘するに及ばず、と。
(この駅から、世界に旅立った)
北海道の増毛で生まれた彼は、
父が漁師、母が農婦。
毎日が獲れたての魚と野菜しか食べなかった、
いや、貧しくてそれしか食べられなかった。
それが、彼の舌の原点なのだ。
すでに小さい頃から、味覚が純一無雑に鍛えられていたのだ。
素味、素食、それが基礎だった。
そして、それが一流料理の究極の味でもあった。
地元の中学から札幌のグランドホテルへ、皿洗いから入り込む。
それ以後、東京帝国ホテル、そしてスイス、フランスへと、
世界のトップシェフ、ジラルデなどについて、その精神と技術を学ぶのだが、
これには、幸運の女神が付きっぱなしとしか言えない強運と、
いかに手際よく最短の道を最良の方法で掴むかばかりを、
何時も考えていたという思考がスゴイ!!
そして、一流のみを目指す!!
夢実現のために、一直線でその可能性を突き進む
集中力と積極性は類い稀だ。
この生き方の原理を学んだなら、
どんな事も実現可能となろう。
ほとんど、何の経験もなくてスイスの大使館に放り込まれる。
皿洗いばかりして来た彼が、そこからレストランに駆け込んで、
技術を身に付け、数年後には、主が手放さなくなるのだ。
ピアノを弾けない子が、欧州に行って初めて習って有名になるようなものだ。
何事も、最重要ポイントがある。
それをいかに見つけて、いかに習得するか。
回りくどい事は要らない。
多くは、その周りに目を奪われて不要な事に時間を費やす。
それは徒労だ。
「せっぱ詰まる、駆け込む・・・・」
この彼の言葉が、コツだ。
一直線で脇目もふらず、目的に突き進む。
これは、人生成功の秘訣ではないか。
この小気味いい、彼の激白のような
活文から学んで、これからの生き方とするのも悪くない。
(自給自足の採れたての魚、野菜が舌の基本を作った)
僕は、騎手のいらない競走馬みたいな星の下に生まれたらしい。
断言に断言を重ねて、北海道、東京、ヨー日ツパ、
そして東京と勝負してきたからだ。
僕はフランス料理の世界でフランス人と格闘し、彼らを超えるつもり。
ところで、フランスとスイスで僕の青春は台無しになってしまった。
なにしろ、師と刺し違えようと、8年間もナイフを懐に生きてきたんだから。
彼の地の師、シャペルはクラシッ久 ジラルデはジャズ。
ならば、僕はモーツァルトだ。
僕のつくるソースの味は毎日違う。
僕は、日々進歩する気狂いかもしれない。
僕の料理は、空腹と食欲で食べる料理じゃない。
僕はポイント人問だ。大向うを喰らせるツボを知っている。
僕は料理をつくる。だけど「料理人」じゃあ終りたくない。
この世界に浪花節は通用しない。
去るものは止めず、来るものも拒まない。
調理場での殴る蹴るはなんでもない。
起き上るのを期待し、それでも徹底的にたたく。
僕は力づくのコンダクターだ。
僕は完壁にいい加減な男、だけど料理だけは「良い加減」だ。
成功する秘訣は1回も失敗しないこと。
僕は有言実行で成功してきた憶病者だ。
料理人も、そうじゃない人も、死ぬまで100%失敗しちゃいけない。
飾り気のない僕の料理は、一見真似しやすい。
しかし、誰にも真似できない。
願望に、念力をかける。
だから、夢はデカイ。
こんなレストランの一軒、いつ潰したっていい。
いいスタッフには業界で噂になるようなギャラを出したいし、
週休2日のフランス料理店があってもいいじゃない。
それができたら最高。
いつも頑張らなきゃ「俺はミクニだ」って言えない。
それでもとことん追いつめられたら、絶壁から散る。
僕はミーハー。
そして、僕はいい経営者だ。
「オテル・ド・ミクニ」を作る時は無一文だった。
僕の担保はカラダだ。最高の担保です。
これからも、僕のケツをたたくのは、僕しかいない。
と、思いたいのです。
三国清三
(鮭のグロセル<岩塩>添え)