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2008年03月18日

●熊谷守一翁

熊谷守一 3.jpg

東京に棲んで居た頃、
よく銀座のギャルリー・ムカイに通っていた。
それは、熊谷守一翁の画を見に行くためであった。

度々、あの仙人姿で、ムカイさんに寄っていた
という,うわさがあったが、
遂に会えずじまいで、
翁は登仙された。

7,8年前か、埼玉の理化学研究所に行った帰り、
池袋駅から千早町の美術館を訪ねた。
そこは、熊谷家の跡地であった。
次女の榧さんが館長で、しばし歓談させてもらった。

思えば、東上線の東武練馬に棲んでいたのに、
何故、会いに行かなかったのだろう、と今更ながら地団駄を踏んでいる。

熊谷守一 2.jpg

当時20歳頃の私にとって、熊谷守一翁と坂本繁二郎翁は
画家の理想像であって、心を耕す老師であった。
今なお、色褪せず、先生であり続けている。

熊谷翁の90歳を越えて、あの眼の澄んだ美しさは、美術以上の美術であった。
虫や石と遊ぶ無欲恬淡な生き方を見ては、
自分が自然を語り、神仏と言っても、
何と俗物であるかを思い知らされて恥ずかしくなる。

上手さには限度があるが、下手には限度がない、と。
本当に、本当だ。
ほめられもせず、ほめられたくもなく、
遺ることも、遺そうということもなく、
書きたいから、画きたいから、描く。
ただ、それだけのことだ。

あぁ、何と遠い境地なのだろう。
これを「童心の季節」と言ったが、
全く巧拙を離れ、名利を越えて、
何事も愉しんで毎日を送りたいものだ。

熊谷守一 1.jpg

つまり、芸術は、たしなみや余技ではなく、
人生そのもの、
道そのものでもある。

コメント

わたしも大好きなおじいさんです。

そして、自宅の中庭で多くの題材を見出して絵を描いておられたことが、わたしの生き方を変えるきっかけになったことは、事実です。

葬儀の時にガーベラ一輪を筆洗に挿して、それが祭壇だったことが印象に残っています。
愛妻家で二人で将棋や碁を楽しまれていたことなど、本に書いてありました。

若いときに木曽川をいかだを組んで川下に運んだことなどが書かれていました。

動き回ることでインプットできる情報やヒントと歳を重ねてから自分のこころが楽しんでいられる生き方ができるんだと教えて頂きました。

記念館を訪ねてみて娘さんが館長を努めておられるその姿にまた、感動しました。

また行ってみたいです。

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