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2008年06月08日

●共時性・シンクロの日々

仏 シェーブル.jpg
SELLES-SUR-CHER (AOC) 「セル・シュール・シェール」

感謝デー初日、山田君のシェーブル(山羊チーズ)の販売開始日でもあった。
その日夕方、「チーズマーケット」の山本さんが久方ぶりに来店された。
私に食べてもらいたいと、BIETSさんの『セル・シュール・シェール』を持参された。

何と、シェーブルの極めつけと言われるこの『セル・・』を持って来られた偶然に驚いた。
山田君も山本さんも本当に何年かぶりで、「シェーブル」で同日に邂逅したのだった。

(余談:日本古代史に詳しい宮原氏によると、日本人の原型でもある「山の民」。
その山が付く名前が邂逅されたのは、偶然ではないという。山田、山本・・・・・
しかも、日本のルーツでもある中東、その中のイエメン→ヤーマン⇒ヤマの民に繋がっていった。
そして、牧畜を通して醗酵技術を伝承していった。今日の二人は、まさにチーズ。
南下してミャンマー⇔ヤンマー・・・邪馬台国ヤマ・・・・コク、大和ヤマト・・・・・・と繋がる。
それは、これからの話の序奏でもあった)

セル.jpg

ちなみに、この『セル・・・』を解説すると、
ロワール河沿いの「セル・シュール・シェール」という町のシェーブル。
乳酸菌使用が多く、若いうちは酸味が強い。
それを和らげるのに、ポプラの灰と塩を混ぜてまわりに付着させる。
8世紀にサラセン人(アラブ人)がスペインからフランスに攻め込んできた際に、
共に山羊を大量に連れて来たが、フランス軍が優勢となり、サラセン人は撤退した。
山羊は置いていかれて、今こうしてシェーブルが盛んになったとか。
木炭の湿気が、カビの自然な繁殖をうながし、初期は爽やかな酸味を感じる。
熟成して水分が抜けると身が引き締まり、味もコクが増して酸味と甘みのバランスが良くなる。

実際、食するとその絶妙な風味に舌が唸る。
しかし、モランさんに作ってもらった「ti-tie」のさまざまなバージョンも、
これにかなり近い印象を持っていた。

アイヌ法案.jpg

そうして、帰宅して夕刊を見た。
すると、第一面に今日「『アイヌ民族は先住民族』衆参、全会一致で決議・・・・」
という見出しが飛び込んで来たのだ。

今日、まほろばの二階で「アイヌ・アート展」を開催した初日であった。
これも何というタイムリーな偶然であろうか。
それは、明治以降の長い間、アイヌの人々を苦しめて来た土人法等の、
苦悩の足かせ・首かせが、この日初めて解かれた記念すべき日だったのだ。
その待ちに待った選ばれた、たった一日に当たった不思議!!!
これは考えれば、不思議以外の何ものでもなかった。
そのシンクロに、二重にも三重にも驚いてしまった。

時の神さまは、何かを仕掛けていらっしゃるのだろうか。

劉さん 2.jpg

そうして次の日、結城さんのお話会を迎えた。
するとその朝に、モンゴルから劉桂栄さんという社長さんが突然お越しになった。
何でも、以前まほろばで扱っていた「ゆうめん」というモンゴル特産の麺の輸入元でもあった。
しかし、彼女はポスシステムのIT関係の社長であった。

彼女の出身地は、内モンゴルの奈曼旗(ナマンキ)という地方都市であったが、
何とエリクサーに内蔵している麦飯石の産地で、セラミック加工工場も近くにあるという。
木曽路の鹿野社長に問うと、正にその通りで、ご両人意気投合してしまった。
ここにも、エリクサー繋がりがあったのか、と目に見えない糸を見た思いだ。

鹿野社長は17,18日札幌入りして、モンゴル政府書記長をまほろばにお連れするという。

ちなみに、この「ゆうめん」裸オーツ麦が使われて、アレルギー性が少なく、腰があり旨い。
1500mの高原で栽培されているため、農薬の必要性がなく、
有機とグリーンフード(緑色食品)の認定も取得している。
まほろばでも販売が再開される。

劉さん 1.jpg

そして、二階のアイヌ・アート展を見たいと、彼女が上がった所、
折りしも、居ないはずの結城さんがいらしていた。
その時、偶然にもかかっていた音楽が、来月5日にまほろばで開催される
長根あきさんの「ムックリ」演奏で、そのバックに
ホーミーと馬頭琴が鳴り響いていた。

「わァ、懐かしい、これ馬頭琴じゃない?」と問われた。
そこで、すでにアイヌとモンゴルのコラボが実現していた。
劉さんと結城さんとは、初対面であったことは言うまでもない。
そこで、彼女が、
「アイヌ語をしゃべってみて!」とお願いした。
彼が何やら、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と語ると、
またまた
「わァ、モンゴル語と同じ!!!!!」
と、その語感、抑揚等々の同一性に驚かれたのだ。

ここでも又、意気投合された。
かつて、アイヌは、アムール川流域まで交易の輪を広げ、
明代にも蝦夷錦なども輸入していたほど、
大陸との国交も盛んだった。
それは、もっと以前に同じ血が、大陸において分岐されたのかもしれない。

そんな末裔達の再会劇を、
まほろばのこの場で見るとは、
これも何という偶然であろうか、シンクロであろうか。

まほろばが、あらゆる離れ離れになった物々、
別れ放たれたる事々を、
結ぶ役割があるなら、
これほどうれしいことはない。

それこそ「結(ゆい)」であり、
エリクサーの精神でもあるのだから・・・・・

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