●耳からの健康
チェンバロ奏者の福田直樹さんが、突然昨日来店された。
道内演奏旅行の途中に、フト立ち寄られたのだ。
2年振りの懐かしいお顔に、少年のような無邪気な心が映っていた。
すぐ音楽談義になって、わずか30分ほどの中で、貴重な提言をして帰られた。
それは一言でいえば「耳からの健康」であった。
「『音の公害』が問われる時代が遠からずして必ず来る」と、言われるのだ。
余りにも考えられていない音が、世の中に溢れ過ぎている、と。
基本的な味覚、嗅覚、聴覚は5,6歳までに決定される。
幼児期は聴覚を磨く時代で、
「このことは、すごく大切なこと」と、力説される。
少なくても小学校までは、
「『純正律』で調律した音楽や楽器を聞かせて欲しい!」
という切実な願いだった。
これは、どういうことだろう。
一般に学校で習う音諧は「平均律」というもので、
全ての音を2セント(1秒間に2つのウナリ)ずらして合わせたため濁っている。
これが平均してずれているから一見違和感がないようだが、
生理的、潜在的にはヒズミが起っている。
これを、3/2、4/3、5/4等のとても単純な振動数の比で
音階を作るのが「純正律」と呼ばれるもの。
純正律では、「ド・ミ・ソ」の和音が4:5:6の比率になっており、とても美しい響きになる。
また、「ファ・ラ・ド」、「ソ・シ・レ」も同じ4:5:6の比率になっている。
そこに到る方法は沢山あるが、中でもキルンベルガー純正律が最良という。
(一般的には、ヴェルクマイスターが尊重されている)
(ピタゴラス音階)
しかし、それ以上に透明な響きに調整されているのが「ピタゴラス音階」だという。
それは、数学、音律、宗教が合体した思想であり、教えである。
ピタゴラスからプラトンの伝統は, 宇宙, 魂, 音階, 天体,
すべては比によって調和的に律せられる、 と考えた。
それは黄金分割から割り出されたものだった。
純粋な音は数学的に割り切れないと生まれないとする、
その音階は、理想の天国の音律でもあった。
かつてモーツアルト、ハイドン、シューベルトなどは、少年時代に
聖歌隊に入って、互いの声部を聴きながら、
自らの音を出してきれいにハーモニーしていった。
美しくハモる音は、平均律にはならない。
バッハの時代は、演奏家が自分で調律する時代だった。
実際、日本人はピアノ的な平均律を幼児期から刷り込まれているので、
きれいなアンサンブルが出来ない人が多い、という。
(チェンバロを自ら調律する福田さん)
「これは、幼稚園・小学校におけるピアノ(調律)が元凶である」と、
ピアノの専門家が、こう言い切るのだ。
彼は、桐朋の斉藤秀雄先生の門下生で、
最初の絶対音感教育を受けた世代なのだ。
昨日のクリスタルボウルのうなりも、
パッと聞き分けて、440と442ヘルツの違いを指摘され、
そのズレを調整すべき、と主張される。
最相 葉月さんの『絶対音感』の本にも書かれてあったが、
絶対音感の持ち主にとって、信号音や救急車のサイレンの音、駅構内の音楽など、
音の狂いが生理的に不快で耐えられない、と記されてあったのを思い出した。
そして、「子供は、何よりも『子守唄』から入るべきだ」と、いう。
これは子守唄に使われる音がとても少なくて、独りでに「純正律」に近い発生になる。
ことに、テレビは最悪の音響、雑音で、小さい時に一旦耳が壊されると、
取り返しがつかなく、一生どうにもならなくなる、と断言される。
放送局の音の素材が酷すぎるので、これを何とかしなければならない、と。
私個人的には、音楽のあらゆるジャンルを聞く方で、
古典も前衛も分け隔てない。
その中でも、クラシックは、バッハ以前の、例えば、
「Sainte Colombe(サント=コロンブ)」のヴィオラ・ダ・ガンバの曲を最も好む。
それを福田さんは、音曲以前に純正律で調律されている美しさにもよる、と解説された。
(フランス映画「めぐり逢う朝」から、中央がサント=コロンブ)
私達は、音楽云々を、演奏や録音その他云々をいろいろ論議するが、
一番の問題は、この音律であって、
揺らぎのない、きれいな音で演奏されねばならないという。
最近のヒーリング・ミュージックもいいが、たとえば「ライヤー」奏者に、
楽器のチューニングが平均律で調整された電器チューナーを使っている方もあり、
せっかく本来のもつ楽器の特性が発揮出来ないでいる場合があるらしい。
相対音感でも良いから、耳で調律すべきだ、と。
是非、食の公害や安全性のみならず、
「音の公害や安全性」も訴えて欲しい、と私に託された。
世界は全体で成り立っている。
「NADABRAHMA ナダブラーマ」「世界は音である」と、印度哲学にあるように、
「初めに言葉ありき」と、旧約聖書にあるように、
食以前に音があり、響きがあった。
これから、まほろばも自然食のみならず、
『自然音』を提言してゆく使命があるのかもしれない、と
福田さんとの出会いで、そう感じた。
来る26日(木)夜7時から、まほろばの2Fで、
「『福田直樹さんのチェンバロとお話』を聞く会」を開きます。
ご興味のある方は、是非ご参加下さい。
弾き分ける平均律、純正律、ピタゴラス音律の三種の
違いを体感しましょう。
参加費:¥1,500
追記:
CDもきっちと作られているものは10%にも満たないという。
それはCD化する前に、音の劣化が起こる工程が沢山あるためという。
デジタル機器は、水晶発信により何メガヘルツでコントロールしているが、
CDになると水晶発信の揺らぎですら大問題となり、雑音が沢山出るという。
福田さんのCDは、水晶でなくルビジュームでスタンパーをコントロールしてるため、
その揺れが極端に少ないという。
とくと、彼の澄んだモーツァルトをお聞きあれ。
http://www.pianist.jp/fukuda/cd.html