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2008年07月11日

●「虚空遍歴」 忘我の境

鳥辺山 2.jpg
(左:「宮薗節」人間国宝、故四世宮薗千之さん)

私の年代でも、日本の古典音楽は余り馴染みがない。
ましてや、年下や伝統の無い北海道ともなると、尚更のこと知らない。
二十歳頃、自分は若年寄のように傾倒した一時期があった。
五十も半ばを過ぎると、一番しっくり来るのは、日本物、邦楽となる。
その艶物のしみじみした情感が懐かしく、今の時代に失われて久しい。

長唄や清元、常磐津の源流ともなっている古曲。
荻江節、一中節、河東節、宮薗節の語り物。
この古き三味線伴奏音曲は、日本人の情緒纏綿とした心の襞(ひだ)を写し取って余りある。

語りの浄瑠璃といえば、思い起こされるのが山本周五郎さんの『虚空遍歴』だ。
当時、求道して煩悶する私にとって、それは共感どころでなく、
切なくも、胸がかき割かれるように迫って来た。
果たされない悲しさに泣き、また行く道に励まされもした。

鳥辺山 4.jpg

江戸で端唄の名人と評判が立った若き中藤冲也。
「沖也ぶし」とまで称えられ、浮名がたつほどだったにもかかわらず、
その自分に満足できず、自分を追い込こみ、嫌悪し、葛藤した。
真の浄瑠璃を求めて苦悶する足取りが、丹念に克明に描かれて行く。
こうして冲也はあてどもない浄瑠璃求道の旅路を辿るのだ。
物語は江戸から東海道を上り、京都へ、近江へ、さらに
日本海の波荒ぶ金沢へと流転し、そして遂に息果てる。

その後姿の冲也に、おけいが息を潜めていた。
「あたしがあの方の端唄(はうた)をはじめて聞いたのは十六の秋であった。
逢いにゆくときゃ足袋はいて、−−で終るあの「雪の夜道」である。
文句とふしまわしが、毛筋ほどの隙(すき)もなくぴったり合ったあの唄を聞いたとき、
あたしの体の中をなにかが吹きぬけ、全身が透明になるような、ふしぎな感動に浸された」
と、独白の挿入が際立つ。

色街育ちのおけいは、人の情けの底が見える。
冲也の触れれば血が吹き出るような壮絶な三味と喉を聞きつけた途端、
毛虫が蝶になったように底知れない衝撃に打ち震えたのだ。
そして影絵のように仲也に寄り添い、抱きあい、見取る・・・・その先は・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

    『作品の跡をたずねて−虚空遍歴』

人間が一つの仕事にうちこみ、そのために生涯を燃焼しつくす姿。
−−−ここでは浄瑠璃の作曲者になっているが、他のどんな職に置き替えても決して差し支えはない。人間の一生というものは、脇から見ると平板で徒労の積み重ねのようにみえるが、内部をつぶさにさぐると、それぞれがみな、身も心もすりへらすようなおもいで自分とたたかい、世間とたたかっているものである。その業績によって高い評価を得る者もいるし、名も知られずに消えて行く者もある。しかし、大切なことは、その人間がしんじつ自分の一生を生きぬいたかどうか、という点にかかっているのだ。
「黄金でつくられた碑も、いつかは消滅しまう」ということを書いたことがあった。
大切なのは「生きている」ことであり、「どう生きるか」なのである。百年のちに知己を求めるとか、後世に名を残すなどという考えが、私の少年時代には一種のオーソリティーを持っていた。−−−だが、百年のちの知己や名声は、当人にとってまったく無縁なものにすぎない。
こんにちを充分に生きる、こと以外に人間の人間らしいよろこびはないのだ。

                           山本周五郎


鳥辺山 3.jpg

問い:・・・・・・それにしても、(ご自分の演奏が)よかった時ぐらいはあるでしょう。
宮薗・・・とんでもない。無事にすめばいいほうですよ。
でもね、考えてみると、宮薗をやるようになってから、一度だけ、不思議なことがありましてね。
問い・・・・・・・どんなことですか。
宮薗・・・・・それはね、(昭和35年、鳥辺山心中を)唄っているときに、自分が自分でなくなったみたいな事がありました。
そのときは、はじめのうちは何時もと同じだったのですよ。
ところが、まもなく、もうまったくの無心になって、わからなくなったんです。
自分が唄っているのか、他人が唄っているのか、何も覚えがないんです。
そうして、いつ終わったともなく終わって、楽屋に帰ってくると、
聴いていた知り合いの人たちが、楽屋に集まってきて、おいおい泣き出しちゃたんです。
そうして「よかった」「よかった」といって、涙でくしゃくしゃになっているんですよ。
でもね、こっちは、よかったのか、悪かったのか、まるで覚えがないでしょ。
はじめのうちは、ぽかんとしてしまってね。
問い・・・・そんなものですか。
・・・・・・・・・・・・

鳥辺山 1.jpg
(岡本綺堂作:鳥辺山心中(とりべやましんじゅう)江戸旗本の菊地半九郎<市川左団次>と京・祇園の遊女お染<市川松蔦>との道行)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/481.html

宮薗節の人間国宝・故四世宮薗千之(みやぞの・せんし)さんは、80年もの芸道で、
たった一度だけこの「忘我、無我の境地」に入って曲を奏したという。
それを、芸の神仏が私に入って来て、弾かされたと談じた。

虚空遍歴の果てに、かくの如き神人一体の境があったのかも知れない。
これが、沖也の求めていた曲のありようかもしれない。

今は沖也は、おけいと迦陵頻伽の身をなって
極楽浄土の空を舞い、天楽舞曲を奏しているであろうか。

鳥辺山 5.jpg

・・・・・・・・聴こえない、
しかし、確かに鳴っているのだ。
あの音が。

それは、この胸をかき破って、
そこから通じる彼方に
微かに鳴っている音なのだ。

それは、沖也も、おけいも
かつて聴きつけた音だった。


人は、誰しも
「虚空遍歴」をしている
旅人である・・・・・・・・・ 

コメント

うわ〜!

これは私の母親の世界です。

亡くなってもう23回忌が終わった母ですが、
父親が音痴だったので、子供達の音感教育なのか、長姉の家にレコードが残っていました。

先日弟がそのレコードをCDに焼きなおしてくれました。母の好きな小唄、端唄、長唄などなどが雑音入りで蘇ってきました。

落ち着きますが、この世界はまだまだわたしにとって未知の世界です。

これから楽しみます。
いつも素晴らしいレクチャーをさせていただいております。ありがとうございます。

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