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2008年10月31日

●つけづけ漬物かわら版4 「聖護院大根」

聖護院大根 2.jpg

秋たけなわの今日この頃。
山では、連日にわたる大根抜き作業。
この大根に欠かせない連れ添いが、丸大根即ち大蕪(かぶ)。
北海道では、蕪はもっぱら「聖護院」が主流だ。

「聖護院」と聞けば、何だか抹香臭いお寺のようだが、
事実、京都の出で、左京区聖護院地区から種分けされたらしい。
江戸時代後期・文政年間、聖護院の東、
「黒谷」と云う地に、光戒光明寺というお寺があった。
ここに尾張の国から大根が奉納され、その地の農家が、
何年も育成している間に、丸くなったと言う。

それが固定種となって、200年ほどの間、「聖護院大根」の名で、
全国に広まった数少ない京野菜なのだ。
今まで、「しょうごいん、ショウゴイン・・・・」と無意識に呼んでいたが、
何時の間にか、この北国にも、京野菜が根付いていた訳だ。

しかし、これは、あり得る事だと、直感した。
もう10年以上前になるだろうか。
平家の落人が長く隠れ棲んだという
宮崎県椎葉村の椎葉クニ子さんから、平家大根の種を戴いた。

その生命力たるや、唖然としたのを覚えている。
その葉形の逞しさ、力強さ。
成る形も、長いのやら、丸いのやら一定しない。

固定化するに、その丸いのを選んで播く。
そしてその混雑した中から又丸いのを選んでまた播く。
選抜に選抜を重ねて、やがて丸大根しかならなくなる。

りんごなどの枝変りや、突然変異種なども原理は同じなんだろう。
F1(一代交配種)も、7年を経れば原種に帰り、安定化する。
福岡先生の土団子の種は、その素性を全く選ばなかった。
それは、自然になるように成るべく、すべて元に帰るだけだ。

そもそも、大根の原産地が、中東と言われ、
古代エジプトで食べられていたという記録がある。
ユーラシア各地に広がり、日本では弥生時代には伝わったという。

実は何事も、進化発展と言われるものは、結局は元を目指しているのではなかろうか。
いわゆる「先祖帰り」だ。
生成還源はスパイラルを描きながら元を指向する。
そして、その原型とは少し違う異形となりながら、又元に遡る。

宇宙も自然も人間も、この交錯を繰り返しながらの生業(なりわい)であろう。

肉質が緻密で、煮崩れしにくく、味がしみ込みやすく、とろけるような口当たり。
千枚漬けにしても、まったりした舌触りは喩えようもなく、冬場の膳の愉しみでもある。

「聖護院」からエジプトを夢見て、今北の大地を踏む。
みな、時空が一繋がりのイノチの種と糸に、
大いなる神のみ顔を仰いだようだった。

聖護院大根 1.jpg

コメント

聖護院大根の写真

  とっても すてきです しびれます。

聖護院大根の写真

  とっても すてきです しびれます。

聖護院大根の写真

  とっても すてきです しびれます。

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