●「天の警告と0−1テスト」 U
昨年末に書いた「天の警告と0−1テスト」。
更に前後談があった。
まほろばでは、0−1テストを全ての判断基準にしている、と聞けば、
何か神がかり的な、何か怪しい集団かと思われがちだ。
その一つに、浄水器エリクサーがある。
これも、終始一貫して0−1テストで造ったが、
その後のリサーチは、徹底した科学的分析と考察を行っている。
エリクサーに関して、何か疑問を提示されると、
相手が高名な医師であろうと、専門家であろうと、
とことん討論して論破するほどの、
哲学と資料と結果を積み上げて来ている。
経営もある意味、同じかもしれない。
毎月の経理は細部にわたって行き届いたTKCのコンピュータ管理だ。
それは水も漏らさぬほどの隙間なきチェックが入る。
ある意味息苦しいかもしれない。
だが、私のその読みは、はなはだ大雑把なものだ。
大体の流れが分り、大局が掴めれば良しとしている。
それよりも毎日毎日、働くので精一杯の状況なのだ。
経営方針も創業から一貫して変らず、不動である。
あれこれ時流を見て、売上げを見てどうするこうする、
といったことは全くない。
例の、ショッピングモール入店の件でも、
細緻にシミュレーションして、あらゆるケースを検討しても万事OK!だった。
会計事務所の所長さんからも、「後はやるしかないでしょ」とまで後押しされたのだった。
だが、そこまで太鼓判を押されても止めたのだ。
数値で詰めても、経験で判断しても、成らないものは成らない時がある。
逆になる場合もある。
これはもう、経営者の直感としか言いようのないものかもしれない。
そのきっかけの一つにこういう事があった。
実は、新店舗の店長に先の佐々木信豪君を予定していたのだ。
そのために短期間ではあるが教育し、また彼自身も受けるに充分な才覚実力があった。
ある意味、彼が居なければ、想定出来ない面があった。
ところが、この話が煮詰まって、後もう一歩という時に、
彼は、「会社を辞める」と申し出て来たのだ。
この時、ある種の兆しというか、不吉を初めて感じたのだ。
入念に計画したものを、一朝の許にご破算にしたのに時間はかからなかった。
少しの未練を残すとはいえ、0−1テストの指示するように出店を断念したのだ。
そして、その半年後・・・・・・・
そのショッピングモールが開店する10月27日、
何と、佐々木君が復帰したのだ、しかもその当日に!
「家の都合がついたので、再び働かせて下さい」との弁であった。
「何という事か!!」と、驚愕したのだった。
これは偶然というには、余りにも出来すぎた話で、我ながら身震いしたのだった。
おそらく、天は彼を使って、私達を断念させた、と言うしかないであろう。
この時、何かの導き、と思わざるを得なかった。
良い話には、思わぬ落とし穴があるものだ。
「もっと、地道に歩め!!」という天の叱責に、襟を正さざるを得なかった。
そして、歳を開けての就職難、世界的な大不況風である。
外に大きく広げる時ではなかった。
今、厚別店も若い渡辺君が入って、
見違えるほど店が変り、輝き出した。
「これで、良かったのだ!!」と、
胸をなで下ろしている今日この頃、
歳の初めの感慨であった。
コメント
いつも拝読させていただいております。
大変 いろいろなことを学ばせて頂いております。
こころから感謝申し上げます。
「天をして彼を使って、私達を断念させた、と言うしかないであろう」
「これで、良かったのだ!!」と、
胸をなで下ろしている今日この頃、
歳の初めの感慨であった。
途中 ドキドキしながら読ませて頂きました。
『すべては完璧なシナリオしか来ない』
ふと 蘇った言葉でした。
ありがとうございました。
また 蘇らせて頂きました。
感謝
合掌
ひとみ拝
Posted by: ひとみ | 2009年01月18日 11:38