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2009年01月16日

●干し芋物語

自然食通信 1.jpg

これは、昭和58年9月号の「自然食通信」である。
もう既に廃刊になり、世に出なくなって久しい。
当時、草の根運動のように、自然食運動の若い力が台頭して来た時代だった。
まほろばは、この歳の12月に産声を上げる。

自然食通信 2.jpg

実は、この号の誌上で初めて、干し芋の川又信一さんに出会う。
そして、早速電話して、作り立ての干し芋を注文した。
届くや、その鼈甲色の光沢に目を丸くして驚いた。
干し芋といえば、あの白い粉の吹いたものばかりと思っていたからだ。

こんなに艶があり、こんなに柔らかく、こんなに甘く、
その異常な美味しさに狂喜して、食べたは食べたは、
具合の悪くなるほど食べた。
その当時は、菜食主義で、しかも北国の冬のこと、食べられる物が少なかった。
無我夢中で食べた、と言っても過言ではない。

ポケットに干し芋を詰め込んでは口に頬張りながら、
寒風の雪中を自転車配達で駆けたものだった。

自然食通信 3.jpg

それと、甘酒。
岡山倉敷の丸倉さんの米麹を炊き立てのご飯と混ぜて、
コタツの中で醗酵させる。
すると次の日には、甘くとろりとした甘酒に変身。
とても市販のものなんか飲めない。

しかも、外において低温発酵させると、日を追う度に、
えもいわれぬ旨味が醸しだされる。
これを一舐めすると、もう止まんなくなる。
外に出るたびに、チビリチビリ飲んでしまうのだ。。

そして何時も家内に、「どうしてこんな早く無くなるの!」と、怒られた。
冬のこの時期になると、干し芋と甘酒を常食していた頃を思い出す。

自然食通信 4.jpg

そんな思い出も25年過ぎて、川又さんも私も歳を取ってしまった。
今年の川又さんの年賀状にはNHK・TVの「おはよう日本」に
出演された様子が映っていた。
あの頃、40歳だったら、今年で65歳になられるのではなかろうか。

冬の盛りには、早朝の1時頃から起きて作業を始められる。
それを50年もやって来られたのだろう。
生産する事の厳しさ。
その厳しいお仕事に支えられて、私達の商売が成り立っている。
そんな目に見えぬ蔭のご努力で、私達は活かされている。
食べるのは一瞬だが、作るのは一年、
いや一生かかっている。

そんな事を考えると、一事一物に、その人の生涯が詰まっていると言える。
小さな商店とはいえ、この中に、
どれほどの人生と、どれだけのドラマが溢れているのだろう。
涙あり、笑いありの語り尽くせぬ苦労の塊が一商品に隠れている。
そんな由緒有る商品が、肩を寄せ合いながら、ぎっしり棚に並んでいる。

私達は、大事な大事な掌(てのひら)に零れるほどの人生を背負っている、
担っている、代弁させてもらっている。

そこには、
・・・・・・・・・・ただ、感謝・・・・・・・・・・・・・

それしか言いようのない沈黙があるだけだ。

コメント

・・・ありがとうございます・・・
・・・感謝します・・・
本当にこの言葉に尽きると思います。

先日、10年前に農業研修でお世話になった、
八街の内田美津江さんから、「半立ち」の
貴重な落花生が野菜と一緒に届きました。
箱を開けた瞬間、八街の景色と香りをすぐに
想いだしました。
10年経っても、同じ香りがした野菜と落花生。

人も、植物も、みんな、時間と空間を超えて
繋がっている・・・
この世に生まれてきただけで、幸せです。

本当にそうですね。

何事も、氷山の一角で、
表に顕れるのは、一分。
隠れている事が、ほとんどですね。

私達は、見ているようで見えていないのかもしれません。
それは、この世とあの世の関係も同じなんでしょう。

心の眼(まなこ)を開かねばならないのかもしれませんね。
色々、気付くことがあれば、教えてください。

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