●カルルス温泉
新年の社員旅行はカルルス温泉だった。
今年の候補は登別、と出た時、
咄嗟に、「それなら奥のカルルスに行こうか」と、なった。
それは何故かと言えば、同じ所には行きたくないなー、
という単純な理由と、もう一つ
幼い時の想い出の場所だったからだ。
・・・・・山道をバスに揺られていた・・・・・・・
長い大きな古い渡り廊下を歩いていた・・・・・・・
暗い外風呂の湯に入っていった・・・・・・・
そんな三つの微かなシーンがモノクロ写真のように、
不思議な懐かしさを伴って、心の底にある鏡に映っていた。
そこは、父と母との三人だけだった。
他の兄弟が居なかったから平日なのだろう。
きっと私は、就学前の幼児だったはずだ。
何故だろうか。
カルルスという名と、母は病んでその為に湯治に行ったのだ、
と知ったのは、後年のことである。
親子で温泉に行けたのは、生涯でその一度だけだった。
今回、50年以上を経て、
その思い出のカルルスを訪ねた。
しかし、その感興は再びとならず、
現実的風景に、過ぎ去りし時間を埋め戻すことはなかった。
・・・・・ある夜の、暗い部屋から庭をのぞき、流れる雲に
揺らぐ月の茫漠たる風景を思い出す・・・・・・
そんな情緒的視線は、昔だからではなく、
子供の心眼の深さではなかったか。
今見る月の色より、ずっと深々とした彩りであった。
「月ぞしるべこなたに入せ旅の宿」
しかし、人は想い出を美化すると言うのではない。
あの頃は、もっと物の真を観ていたような気がする。
幼き日は、もっと別の何かを感じていたような気がする。
人生は、或いはその追体験をしようと、
逆周りに胎児へと、その記憶を指でなぞっているのかも知れない。
その時、己は心の海に浮いていた。
気持ちの赴くまま何処ともなく流れていた。
芭蕉は、「俳諧は三尺の童にさせよ・・・」
と、句作の口訣を伝えた。
赤子は、偉大な詩人であり、悟者である。
(千歳柏陽台、リピエーニさんにて新年会)