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2009年03月17日

●新しき扉、古き回廊

鳥取神社 横から.jpg

昨朝、仕入れに卸市場に行くと、
有機野菜の仲買さん米内会長から、
例の「鳥取慕情」を読んで泣いた、との感想を戴いた。

米内さん父子は、戦前から釧路地域に野菜の荷を送っていた。
そこは、全く作物が採れない不毛の地であったからだ。
根釧原野での農業が、いかに実りの無いものであるかを、
骨身に染みていて、熟知されていた。
この話は、人事ではないと思った、と語られた。

鳥取慕情冊子.jpg

実は米内さんは、満州の東安県からの引き揚げで、
それは壮絶な戦争体験をされた。
両親一家の波乱万丈の逃走劇は、
活写・ドラマにもなる、と涙ながらに語られる。

折りしも、その早朝、自宅で
数学者の藤原正彦さんと作家の五木寛之さんとの対談を読んだばかりだった。
それが満州と朝鮮との引き揚げの様相を、克明に語った対話だった。
それで、リアリティが一層膨らんだのだ。

戦前の人々の苦労は今と隔絶していた。
我々の時代では、想像を絶するものなのだ。
よく祖母に言われたが、
昔の苦労をしたら、今の艱難は何でも越えられる、と。

鳥取神社 百年館.jpg

今朝、鳥取神社から電話が入り、
「『鳥取慕情』を百年館に収蔵して、皆さんに観てもらいたいが・・・」
との問い合わせだった。
勿論歓んで、快諾させて戴いた。
多くの方に読んで頂いて共に、
祖先への感謝報恩のよすがになればと願っている。

富士 葬儀1.jpg

ここ一週間以上、ブログを空けたのは、
富士吉田の親戚で不幸があった為。
それは、自分にとって、劇的なもので、
感動溢れる数日間だった。

一言では、表現し得ないことで、
何時かまとめて感想を述べたいと思っている。
これも先祖にまつわる話で、
この処、歴史づいている。

これは、一人私というより、
「温故知新、古きを温めて新しきを知る」ための
祖先からのメッセージと引き合わせなのだろう。

新しき扉は、古き回廊から入る。

コメント

私も“鳥取慕情”で、泣きました。本当です。

ありがたいことです。

道内の祖先のみなさん、
浮かばれると思います。

ありがとうございます。

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