●春がよんでるよ
(友竹正則、NHK東京放送児童合唱団
1963年(昭和38年)2月-3月期放送)
一昨日、NHKFMをかけながら仕事していると、
突然、子供の頃口ずさんだある歌が流れた。
その時、鳥肌が立ったというか、
懐かしさが込み上げて来て、
その日以来、曲が頭から離れることがなかった。
他人が聴くと他愛もないと一笑に付されるであろうが、
当の本人は何故か真剣になってしまった。
それは「春がよんでるよ」という童謡、
1963年に「みんなのうた」で放映されたポーランド民謡だった。
http://j-ken.com/category/all/data/669787/
「春がよんでるよ」
ひばりのこ すずめのこ
飛びながら 何を見た
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春がよんでるよ
あの土手に 寝転んで
お弁当 食べたいな
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春はすてきだよ
もぐらのこ かえるのこ
動き出せ 目を覚ませ
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春がよんでるよ
ほがらかに 歌う空
若草も 声合わせ
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ
春の歌声よ
(作詞:小林幹治 曲:ポーランド民謡)
(島田浩ph)
軽やかな澄み切った青空に、
今にも燃立つ春の気が、
期待に満ち充ち、嬉しそうに
人も動物も野原に駆け出しそうになる
明るい曲なはずが、
何故か儚い陰影を落としている。
その短調の短いフレーズの中に、
悲しい物語が隠されているようで、
それはポーランドの辿った悲哀の歴史が
民謡として歌い継がれたものだろうか。
幼稚園の児も歌っているこの唄に、
音楽のもつメッセージの深みを感じて
胸が締め付けられるような叙情に泣いた。
(よだかの星)
「春がよんでるよ」の
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨのフレーズに、
後に学んだ古歌、
ほろほろと 啼く山鳥の 声きけば
父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ
の音調が、既に少年の心に届いていたのだろうか。
歌うたびに切なくなる節に、
今は亡き父と母を思い浮かべるのだろうか。
宮沢賢治は散歩をしているときに、
時々「ほっほー ほっほー」と叫んで飛び上がったという。
「鳥のように…唄って暮した」という賢治の心の水底にも、
この「ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ」の調べが何時も流れていたのだろう。
当時、戦前に国内では聞かれない欧米の民謡や童謡が、
「みんなのうた」で紹介され、何よりも毎日テレビから
流れてくるその歌声を楽しみにしていた。
少年少女合唱団の高く澄んだ声に憧れたものだ。
(おお ブレネリ)
ちょうど小学校の4年から6年生にかけてだろうか、
裏声が出て、自分でも驚くほどの歌唱に酔った。
いわゆるボーイソプラノという領域だろうか。
音楽で歌うことを、どんな学科よりも好んだ。
それで、女の子にもてた事も、気を良くさせたのだろう。
しかし、中学に入ると同時に、その声は失われ、
それまでの天上の気分は一遍に吹き飛んでしまった。
その3,4年間の数々の思い出の曲が、私の情操を
育んでくれたのだろう。
きっと、同年代の人は、少なからずそんな気持ちでいただろう。
(踊ろう楽しいポーレチケ)
少年時代、あの青空の彼方に何を見ていたのだろうか。
「ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ・・・・・・・・・・」
虚空からの呼び声が届いているだろうか、今の私に。
ホーヨホヨヨ ホーヨホヨヨ・・・・・・
(島田浩ph)