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2009年06月18日

●ヒカリソースと野球そして自然食

光食品 島田社長.jpg

日本一の有機のソースと言えば、「ヒカリ!」
そう、徳島の光食品KKの島田社長ご夫妻が、来店された。
15年振りの店での再会。
お父さんの代からのお付き合いで、既に25年。
時々、東京のEXPOでお会いする。

今回は、ソース作りに欠かせないトマトの作付計画のために来道。
温暖化で北上する産地移動で、ソースもいよいよ北海道上陸となった。
アメリカ・中国に継ぎ、国産有機のトマトを北海道で500t収穫を目指す。
当麻、旭川など今年100tを見込めると言う。

しかし、原料を徳島まで送るとなると運賃の下敷きになるので、
こちらでピューレの二次加工する工場を持つという。
行く行くは、全工程の工場が立ち上がるかもしれない。

社長曰く、「北海道の農民の方々の意識のレベル、モチベーションが高いのには驚いた。
徳島では、なかなか因習が強く、有機への取り組みが積極的でない・・・」
食糧基地である北海道は今後益々全国からの注目度が増して行く。
まほろばが北海道から離れられない訳だ。

4,5〜5度の糖度しかない地這えの加工食用トマトは硬くて酸味がある。
高い抗酸化作用があるリコピンが一般トマトの3〜5倍、
スプーン一杯で、一般トマト1個分に相当するという。
日本と中国は、収穫も完熟の時、手もぎで採るが、
アメリカの大産地では、未熟時に一斉に機械刈りするという。
当然品質の格差が出来、あえて北海道産にこだわりたい理由がここにある。

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ところで、光雅社長が奥様の彰子さんとここに、ご一緒するのは初めて。
何と、彼女はあの徳島池田高校野球部の名将・蔦文也監督のお嬢さんだった。
2連覇の後、敗れた相手が、あのPLの桑田・清原選手だった。
当時、マスコミも賑わせたやまびこ打線、
その野球漬けのTVドキュメントを観た覚えがあった。

その画面に登場した彰子さんを光雅さんが同じように観ていて、一目惚れ。
即見合いを申し込み、即プロポーズ、即決まり!!
当時、互いに30,28歳と出遅れて焦ってたことが大きい、と大笑い。
今は56歳の働き盛りとあって、二人とても仲が良い。

奥様は、暑い所が大の苦手で、北海道に移住したい、と。
「それでは、『蔦ブランド』で別のソース会社を立ち上げよう!
夫婦別居して新生活を」と、これも冗談を言って笑い合った。

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話は野球繋がりで、工藤公康投手が、46歳の最年長記録を更新しているが、
それを健康管理されているのが彼の奥様で、大の自然食の愛好家だという。
長く横浜で「サロンド・チャーム」というエステ美容室を開業されている。
その工藤ご一家と島田さんの縁が繋がっていた。

腸造血 車中.jpg

さらに面白いことに、先日の森下会長を千歳にお送りする車中。
野球と自然食の話題が上った。
あの西武ライオンズの広岡監督がリーグ二連覇を遂げた秘密は
実は、密かに自然食を実践していた事が当時マスコミで取り上げられた。
私もよく覚えていて、遂にスポーツ界にまでも、と思ったものだ。

腸造血 著書.jpg

しかし、その指導者が森下会長とは露知らず、驚いてしまった。
後日、その本と記事を会長が送って下さった。
田淵選手はじめ皆熱心に、玄米食を実践して故障が激減したということだ。
そこに入団したてのあの工藤投手がいたのだ。

腸造血 ライオンズ.jpg

その当時の影響が、奥さんをして彼の栄養管理に駆り立てたのかもしれない。
兎に角、好きこそ物の上手慣れで、自然食大好きが高じて、
ご主人を、前代未聞の記録破りの大投手に仕立てたのだろう。
これも、元を辿れば、森下理論の御蔭とも言え、
また自然食の大効用とも言えるのだ。

人から人へ、物から物へ、
巡り巡って、回り回って、
自ら発したものは、また自らの元に帰るのかと、
思い知らされた次第。

今回の島田ご夫婦のご縁も、また何時の頃か、
繫ぎ繋がって、良きご縁を運んで皆さんを幸せにさせるのだろう。
出逢いの一瞬一瞬を大切にしたいものだ。


コメント

 玄米食生活10年以上 自分で子宮ガンを治した知人がソースはヒカリにしなさい といつも言ってました 理由がよく解りました また 高校野球大ファンの私には 蔦監督は忘れられない方ですので ただただびっくりすると同時に むかしむかしのやまびこ打線の活躍をを思い出して感慨ひとしおです

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