●胡桃のテーブルから
(胡桃材のカウンターと製作者のコンパス今村さん)
ソフテリアのテーブルを胡桃材に換えた。
今まではパイン材で傷つき易かった。
長さ4.3m、幅80cmの大物で2枚。
木工作家の今村さんと市内を半年かけて探し当てた。
室内が白っぽいので、ダーク系で引き締めたかった。
漸く出来上がったカウンターを見て、
みなから感動の声が上がった。
5,60mmの厚さの無垢材、耳をそのまま残して活かした。
その滲み出る風格、ただならぬ空気は、何とも言葉に出来ず。
芯の茶系に皮の白目、その色合が一層柔らかさを醸す。
樹の精に吸い込まれるように、何時の間にかテーブルに着いてしまう。
以前に比し、強い吸引力をまざまざと見せ付けられた。
ここで、しみじみと一杯のコーヒーを啜るだけで、
瞑想気分になってしまうだろう。
大木にハグして一体になる瞑想法があるようだが、
都会の片隅でも、樹と語り合える時間が存在する。
(ウオールナッツ、胡桃の大木)
しかし、問題が出て来た。
無垢の良さを生かす為に、オイルを塗ってもらうだけに留めた。
だが、水をお出しすると、そのグラスの跡がそのまま残るのだ。
チョットした食器のスレが、傷となって付くのには頭を痛めた。
今更ながらコーティングすればよかったかな、と後悔した。
しかし、ここが判断の為所(しどころ)だった。
札幌で一番の材木の目利き、森銘木店の中村さんとは旧知の仲。
聞くと、そこは意見の分かれる所で、最後は施主の思いだけだ、という。
利便を取るか、自然を取るか。
コーティングすれば、サァーと拭くだけで何も留めない。
しかし、オイル仕上げは、毎日の手入れが欠かせない。
店仕舞いした後は、ヌカ袋の磨きを丹念にして朝まで乾かす。
これは、結構手間隙のかかる厄介者なのだ。
しかし、こう思った。
その手間の分、樹は応えてくれる。
そして、樹はその手間分、お客様に語ってくれる。
染み込むオイル、磨きをかける愛情。
それでこそ、無垢は無垢としての表情や価値を
一層光らせてくれる。
(福田君の赤ちゃん「多櫻/たおちゃん」。かわいいね。すわり心地がいいみたい!)
今日、現代文明がもたらせたのは、
この簡単便利というコーティングの世界だった。
その薄皮を剥いだ所の、樹の温もりや語らい。
触る掌の何か、嗅ぐ匂いの何か・・・・・
その言うに言われぬ何かが、実は最も言いたいこと
樹が人に最も知ってもらいたいことだった。
プラスチックの皮膜では、すべてが遮断されて
何もかも伝わらなくなるのだ。
早いこと、強いこと、保つこと・・・・・・・
さまざまな現代の利便性がもたらせたものは、
我々に幸せや楽しさや優しさを
ひっよとしたら、奪い去っていたのかもしれない。
鉄やコンクリートが強いと誰もが思うだろう。
しかし、奈良の古寺が樹木で成っていた事を改めて知る。
弱いこと、柔らかいこと、朽ちやすいこと・・・・などが、
実は強く、堅く、長らえることを覚(さと)るのだ。
不便なこと、晩いこと、目立たないこと・・・・などなど、
負のようなこと、蔭のようなところが、
実はとても大事であることに気付く。
本物は、やはり晩くやって来る。
一枚の木の語る処は、大きくて、かつ深かった。
木々に救われている小さな人間がいる。