●ときめきの富士山
(今回なかなか、全容を現してはくれなかった富士山)
富士吉田で投宿の朝一番、
5時過ぎ、グラッと揺れが起こり、
「間が悪い、ここで東海地震に遭うとは。
富士山爆発もあるかな・・・・」
との不安もしばしの間。
揺れが収まったものの、昨夜の新宿での地震。
その後、沖縄、福岡・・・と連発、日本列島一帯が揺らいでる。
今朝ラジオで、東海沖では200万年前から、同じプレートで地震が続いているとか。
富士山も今まで何度かの噴火で、本家の「富士古文書」が散逸したり、
氷川神社へ移されたり、と何度も書き換えられて今日がある。
昔、みな富士登山する際、本家の近くの明見湖で、身を清め、心濯いで、
六根清浄と唱えて山頂を目指したという。
徐福の像が立つ、この明見湖では、今蓮の花盛り。
一面に咲き誇る蓮華は、龍が棲まうとも言われる池でもある。
万年寺での墓参を親戚と済ませる。
そこで、山梨日日新聞に掲載中のロッキー田中さんの
「ときめきの富士」シリーズに、
明見が紹介されたことを教えられる。
その一文を掲載する。
〜ときめきの富士 ロッキー田中 作品より〜
「富士と暮らす『素朴で情に厚い人柄育む』」
富士吉田市の明見地区。
不思議なご縁ができてこの地区とのかかわりが深くなりました。
札幌のMさんが品川区の私のサロンを訪ねてきました。
明治時代に明見の地から、北海道に移庄した先祖のルーツを辿るた.めに、
これから富士吉田市に向かうとのことでした。
サロンで話が盛り上がりました。
明見の地区は古くから集落が在ったところ、
富士山麓と中東アルメニアのアララツト山一帯との類似性、
火祭りなどの共通性。
さらに東方蓬莱山(富士山)と徐福伝説の不思講・・・。
やがてMさんからご先祖の家が見つかったと連絡が入りました。
それは富士北麓の片田舎で営々と家脈を継いで、
古文書を大切に護っているお家でした。
私も幾人もの方々とご縁ができました。
百年も番地が変わらないほどの静カな山里は、
富士の神々に守られながら、素朴で情け深い人柄を育んできました。
桜のきれいな堂尾山には葛飾北斎が90歳の正月に描いた、
富士越龍図の場所があるそうです。
私はいつかここから、現代の越龍図を撮ろうと決心しました。
近くには徐福ゆかりの遺跡が幾つも残っています。
富士吉田織物「甲州織」の起源は徐福といわれています。
中国で古代から盛んだった"養蚕・機織。の技術を、
阿祖谷(明見)の里人が習得しました。
富士と共にある暮らし、育まれてきた文化、
それこそが世界文化遺産の資質ですね。
(写真・文/ロッキー田中)
その後、明見の実家で驚きの発見があった。
その事は、次回「自然医学」誌に掲載しようと思う。
コメント
「自然医学誌」掲載を、楽しみにしております。
Posted by: 澤田季里 | 2009年08月20日 00:17