●おかあさん ぼくが生まれて ごめんなさい
この詩を前にもご紹介しましたが、再び載せます。
先日札幌で致知出版社主催の主幹・藤尾社長の講演会が開かれました。
私は、この木鶏会に入っているのですが、ここ2年ほど欠席続きです。
一度は社長のお話をお聞きしたいと思っていたので、多忙の中出席しました。
その話の中で「おかあさん ぼくが生まれて ごめんなさい」が、
朗読されて、また涙しました。
重複するかもしれませんが、一年かけて作った詩を味わってください。
ご指導された向野先生の文をそのまま載せます。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
この詩は、15歳で亡くなった山田康文くん—やっちゃんが作った詩です。
重度の脳性マヒで、全身が不自由、口も利けないやっちゃんが、
いのちのたけを託して作った詩です。
この詩が生まれたのは、やっちゃんが亡くなる、
わずか二か月前のことでした。
当時私は、養護学校卒業後の障害者たちが集える「たんぽぽの家」をつくろうと、
障害児のお母さん方と共に、「奈良たんぽぽの会」を結成していました。
その活動の一環として、養護学校の生徒の詩にフォーク好きの学生さんが曲をつけ、
コンサートをする企画が持ち上がったのです。
やっちゃんのように重度の子の場合は、先生である私が抱きしめて、
全身で言葉を聞くのです。
何か月もかけてやっと前半部分ができた時、
やっちゃんのお母さんに見てもらいました。
読み終えてもお母さんは無言でした。
ただ目頭を押さえて、立ちつくしていました。
『わたしの息子よ』と呼びかけたお母さんの詩が、
私の手元に届いたのは、すぐ次の日のことです。
今度は私が立ちつくしました。
わたしの息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああ ごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
“重くはない”と聞いている
あなたの心が せつなくて
私の息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
このお母さんの心を受け止めるようにしてやっちゃんは、
後半の詩づくりにまた挑んだのです。
やっちゃんが言う「ごめんなさいね」は、
母へのいたわりと思いやりがあふれていました。
それだからこそ、いっそう母子は、
ともにいたわり合って生の意義を確かめたのです。
〜「現代人の伝記」致知出版 向野幾世さんから 〜