●筆談ホステス・里恵さん
20年も前になるだろうか。
ススキノのキャバレー「ミカド」へ正月の組合総会の帰り、
古株の幹部に連れて行かれた。
みな酔狂の時、私のズボンの裾をまくったら、若いのに股引が見えたので、
並み居るホステスさんから笑われて赤面したのを、今なお鮮明に覚えている。
この歳になっても自分が下戸のせいか、自ら進んで酒場の暖簾を潜ったことがない。
酒呑みから見れば、人生の半分は損していると思われるだろう。
確かに、そうかもしれない。
綺麗所に囲まれ、あれこれ、浮世の憂さを忘れるのも一興かもしれないから。
しかし、社員を連れて飲み明かし、酔い潰れたという経験が一度もないので
人間としては随分面白くない部類に入るのだろう。
そんな中、書店で『筆談ホステス 67の愛言葉』という本が、
目に飛び込み、ちょと頁をめくって見て驚いたのだ。
たかが二十歳そこそこの小娘(失礼!)さんが書く言葉とは、
到底思えない含蓄ある言葉の一片一片に正直目を瞠った。
銀座のホステスが、定年間近な中高年の親父、
それは経営者や課長部長を相手に、丁々発止同じように唸らせる。
倒産した者、離婚した者、左遷させられた者などなど、
不況の煽りを食らって、明日をも知れぬ馴染みだった客を
一筆啓上とばかり、テーブルのメモ紙に認めた文言が、
彼らを癒し、立ち直らせるのだ。
明日に希望をもたらせるのだ。
何故、筆談なのか。
それは、彼女は耳が聞こえず、語れないからだ。
だが、聞こえない故に、その選び抜かれた、あるいは降りて来る言葉は、
光彩を放って、意気消沈した大人の心に刺さって輝く。
本のサブキャッチに「青森一の不良娘が・・・・・・」とある。
この斉藤里恵さんの詳しい経歴は知らない。
しかし、読まなくても、その紡ぎだした言葉の背景は解るような気がした。
「五体不満足」の乙武洋匡さんやピアニストの辻井伸行君など、
身障者の方々の人知の及ばない努力や才能の開花には、
何か神仏の使いのような気さえするのだ。
そんな一人の里恵さんも、娑婆に蓮華を咲かす菩薩なのかもしれない。
工場をたたんで、田舎に戻る経営者には、
「花はその花弁(はなびら)のすべてを失って 果実を見いだす」 (タゴールより)
と涙と共に書いて渡す。
その後、その果実はスクスクと成長しているとの報告があったとか。
派閥抗争に敗れて無一文になった部長には
「散る桜 残る桜も 散る桜」
と、良寛さんの言葉を送って、人はみな本来無一物なことを説いて励ます。
失恋で、次の恋が臆病になっている女の子に、
「お風呂で転んだからと言って、
二度とお風呂に入らない人は
いませんよ」と、自ら閃いた煌き言葉に、その子は笑い声を上げて立ち上がったとか。
激変のアパレルで働き詰めで心身喪失した人には、
「弓は使う時にはひきしぼるが、使わぬ時には緩めておくもの」 (ヘロドトス『歴史』より)
と機知に富んだ古訓をかりて、リフレッシュの必要性を説いて、見事立ち直らせた。
些細なミスで大きなチャンスを失った人に、
「・・・・・失うという言葉には、『人』と『大』という文字が隠れています・・・・・」
「失うことで 人は大きくなる」
この言葉に励まされ、後日、再びチャンスが訪れた。
「星という字は、日が生まれると書きます。
辛い時は“星”を見上げてください。
きっと明日が生まれます。
そして“明日”は、
明るい日に違いありません」
「死にたい!」と、経理に金を持ち逃げされて絶望した社長にこの言葉。
このメモ紙を握り締めて闇の中から、後に新たな会社を興したのだ。
「地球は英語でEARTH、
最初のEはEDEN(大地)、
最後のHはHEAVEN(天国)です。
そして2つをつなぐのは
ART(芸術)では?」
のお笑い松本人志さんの名言を引いて、
オタク青年に希望を抱かす。
・・・・・・これ以上、披瀝したら楽しみが無くなるので止めます。
最後に、平社員で嘆く男性にこう勇気付ける。
「平安、平和、平穏、平易、平気」
「『平』って、幸せな言葉が多いですね」
後日、その男性から「我ら宇宙一平凡で幸せな家族」と書かれた感謝のメールが入ったとか。
これで、私も「そうか、周平の『平』も悪くないんだ。
周りを平安にするか!なかなか良い名前なんだ・・・・」
と、自分ながら気付いたり、励まされたり。
これも、里恵さんの智恵の言葉のお蔭。
ありがとう!!
最後の最後、
「世も未(末)だ!」
「末(終わり)のもう少し先に、
きっと未来ってあるんですね」