●ささやかな街の片隅で・・・・・・
昨日は、「自然医学」の連載記事の取材に郷里・恵庭に帰った。
また12日は亡き父の月命日なので墓参りも兼ねていた。
実家でお寺さんの読経後、母二人と墓地に向う。
懇ろに墓掃除をし、佛花や供え物をし、手作りの食膳を手向けてお参り。
そして、腰を下ろし、ゆっくりその食を無言で戴きながら、父を偲んだ。
その時、初めて母が月命日の日には、
この墓参りを欠かさなかった、ということを知った。
春秋それは、出来るだろう。
しかし、冬はどうするのか、それを考えると想像するのさえ叶わなかった。
聞くと、道路から遠く離れたこの墓まで雪をはね、樏(カンジキ)を履いて
やっとの思いで辿り着くのだそうだ。
そして自分の背丈もある雪の山を砕いて、
墓が顕われるまでスコップで掘り続ける。
それで、少し墓石が傷ついた事を悔やんでいた。
そんな母である。
昨年父の七回忌が済んで、今年八周年を越えたと言うのに、
未だ毎朝、丁寧な蔭膳を仏前に供えているのだ。
そして、今朝届いた新聞記事を読み聞かせ、
特に好きだった俳句の欄を拡げて見せるのだった。
今でも、常に父と一緒なのだ。
何処へ行くにも「行って来ますね、お父さん」
何処から帰っても「只今帰りました、遅くなってごめんなさい」
と言うのだ。
だから、外泊はめったなことでしない。
さすがの私も、8年も経ち、近くに住まっているのに、
冬場雪の中の墓参りは知らないでいた。
すっぽりと穴の開いたカマクラのような中で、
父と語らい合うのだろう。
その時は、外の寒さも忘れて・・・・・。
母にとって、何もない澄み切った墓苑での一時が、一番心が和むと言う。
正に、生きて眼の前に父は座っているのだ。
母には、そこは天上の花苑であった。
そういえば、50年経っても、目覚しい発展も望まれないふるさとは、
今日も何処までもその空は晴々と広がり、恵庭岳・樽前山を映して
幼い日々と同じ空気、同じ風、同じ光を投げかけてくれる。
何も無いけれど、なんて良い街に生まれたのだろう、と思った。
ささやかな街の片隅の、ささやかなドラマ。
母の精一杯の父への愛情が交わされる舞台の
この土に、私も何時か帰って眠るのだろう。