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2010年08月04日

●松陰先生と入江ご夫妻

吉田松陰 2.jpg

8月4日は、吉田松陰生誕の日。
180年前の今日生まれ、江戸伝馬町で処刑され、
わずか29年2ヶ月の生涯の幕を閉じた。

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めて置かまし 大和魂

この余りにも有名な句の吉田松陰の生き方に感銘したのも、私が18,9の時。
彼の生活ぶりを真似て、麦飯に少しの味噌とモヤシを食べて困窮生活を続けていた。
明治維新ならぬ昭和維新を興こそうと、若い同志が狭いアパートに集まって、
侃々諤々、日本の歴史や将来のことを熱く話し合って夜を明かしたものだった。

そんな仲間の一人が、日本の行く末と自分の生き方を憂いて自死した。
それほどの悲壮感をもつほど、みな真剣に日本を想い、自分の人生を探っていた。
こんな折に、例の三島由紀夫が市ヶ谷で自決した。
世は騒然としたが、現代に比せば、まだまだ泰平であった。

翻って、今を見れば、どうだろう。
もう手の付けられない末期的な様相に、当時の心境をもってすれば絶望しかないだろう。
政治の混迷、若者の無関心、自然の荒廃は、昔日の比ではない。
事実、私とて声を荒げて訴えることも出来ず、
明日を信じて、ただ毎日の仕事に精を出すより他は無い。

若き日の松蔭と言えば、
『野山獄読書記』に、安政3年には505冊、
翌年10月までに、何と380余冊を読破している。
またペリー来航までに、南は熊本、北は津軽まで歩き、
その総距離は1万3000キロを遊歴したという。

死に至るまでの史実やエピソードは語り尽くされて書くまでもないが、
死して尚も、かくまで後代の人をして奮起させる至誠とは何かを思う。
「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」という
已むに已まれぬ情熱とは何か、これが人生の要諦のような気がする。

かつて数学者の岡先生は、世紀の難問を解く鍵は、
この「已むに已まれぬ情熱しかない」と、おっしゃっていたことが印象的だった。
先生の精神集中は異常にミり、周囲の人をしていぶかしく思わせるものだった。
松蔭もそのように鬼気迫るがゆえに、若者の心の炭に火をつけたのだった。

それは、尊皇攘夷であろうが何であろうが、思想を超えた熱情を伝える。
それを孟子は、「至誠にして動かざる者、未だ之あらざるなり」と語った。
「至誠天に通じる」と一途に信じて、遂に死して天に昇った。
その僅か2年余りの行動が、200年を動かす。
イエスも同じく3年ばかりの伝道で2000年を動かした。

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そんな折、先日、山口県萩市から入江ご夫妻がお越しになられた。
「森下自然医学」に30年も前から関わり、先年エリクサーを購入され、
是非とも、まほろばに訪ねてみたいと念願されたという。
定年後、初の二人旅であった。

ご主人の邦春様は、長年信用銀行の理事長を勤められていた
萩の名士であり、重鎮でもある。
そして、何と松蔭神社・責任役員の総代をされておられる。
その古武士然とした御風貌には、積年の御苦労と叡智が刻まれてあった。
いかにも、松陰先生と一脈相通じる至誠の方。

アイ子さまも日々、ヨガに励み、ピアノを習い、水泳に興じて、
天真朗らかで、実に若々しい。
前向きで、語られる事々が明るく楽しい。
お二人を見て、延いては松蔭先生のお人柄が偲ばれるというもの。

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http://www.shoin-jinja.jp/(松蔭神社HP)

最後に、今までの松蔭像は、老成して本居宣長や良寛のように思われていた。
だが、最近写真版が発見されたのか、いかにも29歳の青年のようで一安心した。
そのお顔からイメージする松下村塾の講義風景も変わって来る。

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松蔭は「幼心を捨てよ」と言い、高杉晋作は「稚心を去れ」と説いた。
最近発見された坂本竜馬弱冠22歳の書簡の筆致を見て、
維新の若者の歳は若くとも、成熟した精神に圧倒された。

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振り返って、私は稚心だらけで、体だけは老成している。

コメント

はじめまして、私は入江邦春、アイ子の息子で入江清五と申します。
このたびは私の両親が大変お世話になりました。また、貴殿のブログで紹介していただき、両親ともども大変喜んでおります。下記に、父からの返信を書き込ませていただきます。
「ブログを拝見しました。有難うございました。私はパソコンの操作ができませんので、過日息子から郵送してもらいました。今日、先ほど倅が帰省しましたので、我が家のパソコンで返信をしてもらっているところです。ところで、松蔭先生の写真については神社の宮司に見てもらい、意見を聞きたいと考えております(24日に会います)。そんな訳で、返信が遅れて申し訳ありませんでしたが、お許しください。
猛暑の折、ご自愛の程を。

入江邦春
   アイ子

返事が大変遅くなりましたが、お言葉ありがとうございました。
「森下自然医学9月号」にも書きましたが、昔日韓が同国だった頃、入江様がお生まれになった島などは、まさにその中にあり、深くして久しいご縁を感じないではいられません。
松陰先生も、その血筋を引くものであるでしょうし、世の平和を希求する熱烈な志も、そのような環境にあって生まれ出たものでしょう。
あのお写真はネットで見つけたもので、言われれば、果たして真実か否かは、確かめようがありませんでした。
もし間違いであれば、お赦しください。
ともあれ、日本愛国の精神が、若者の中に、再びと萌え出づることを、願わずにはいられません。
その日を夢見て、還暦の身に鞭打って、精進して参りたいと存じます。
どうぞ、今後ともご指導の程、よろしくお願い申し上げます。

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