●祈り・・・・・・
「祈り」とは・・・・・・・・・・・
この問いを、
一枚の写真が答えているように思えた・・・・・・
それは、母そのものの、尊き姿だった・・・・・・。
浜益・「幻の飯鮨」の木村テルさんが来店された。
数日前もいらしたが、生憎私が不在で失礼をした。
それで、「どうしても、宮下さんに会いたい」との思いで、
日を改めて三男の明宏さんに連れられて来てくださった。
もう何年振りだろうか。
いや、20年近くもお会いしていなかったのでは。
今年で、85歳になられるという。
民宿を営んでいる木村さんのお宅へ、一族郎党押し掛けたのだが、
つい最近のようで、実は親戚の子供達もみな幼少の二昔前だった。
毎日商売をしていると、因果なもので中々足を運べない。
みな近いようで、遠くなってしまった。
そんなこんなで、毎年年末の電話越しの声だけでは感じられない、
遠くに置き去りにして来た懐かしき母親に会ったような気がした。
住み慣れない浜の生活に、どれほどご苦労をされて来たことであろうか。
聞くに、17歳頃三越に入りNHKの平和慰問団で踊りをする歌姫となりコンクールで優勝。
其の後、縁あって浜益の網元・勝三郎さんと結婚。華やかな生活から一転しての漁場。
当時、鰊漁の最盛期、一晩に何千万円も稼いだという今は亡きご主人。
親分肌で気風も、羽振りも良かった。
だが、昭和30年忽然として群来(くき)は止み、みな路頭に迷う有様となった。
満州・樺太からご主人を頼って来た親戚縁者に持ち金を悉く分け与え、底を尽いたという。
それからが受難の時代、イカ・スケソウも不漁が続き、ことに浜益は恵まれなかった。
その時、仏縁あって”魚籃観音”さまに一心に祈る信仰生活が始まった。
竜神様にも御庇護を受けるようになり、奇跡的に道が開けて来たのだ。
それが、「飯鮨」だった。
昔、漁場のヤン集達のために、仕込んだ保存食だった飯鮨を、
外に売りに出そうと思い付いたのだった、それから40年。
今では道内外から「幻の飯鮨」と呼ばれ、
入手困難な人気商品となった。
この自然発酵の賜物は、
年末年始の食卓にどれほど華を添えたことだろう。
この劇的な運命の血筋には、母上の3代前のお祖母さんが福井城のお姫様に連なる。
その母上の従兄弟が、あの西郷輝彦が演じた「どてらい奴」だったのだ。
母の父方が札幌の老舗「山善」さんの創業者。
そして、テルさんの実妹がモダンアートダンサーとして国内外で活躍。
三人のご子息は、新聞社・設計事務所・広告代理店の各社長さんとなられた。
テルさんをこれまで押し上げてきたもの、それはご先祖への感謝と祈りだった。
どうしても、地下洞の「無限心庵」にお参りしたい、と一心に祈りを捧げていらした。
何か同じものを感じるとおっしゃる姿が神々しく感じられた。
ここには今のまほろばを導いた原理の中心が存在して、
宗教の違いや、その有無も問わない。
誰もが、平和の祈りが捧げられる聖なる祠としてただ在ればよい。
無窮に宇宙の外に出で、無尽に宇宙の中心に帰れる仮の在所で。
初めて木村テルさんと、深い関わりが始まったように感じた。
あの寒風と豪雪が吹き荒ぶ浜益の海浜で耐え続けた祈りの生活。
その日、鬼神もあはれを感じ、天地も動かして来た無垢の御心を見させて戴いた。