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2011年01月04日

●「致知」に載る

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憂国警世の月刊誌「致知(ちち)」2月号の
「致知随想」の欄に、私の一文が掲載された。
文というより、記者の方が、東京からわざわざ来店されて、
インタビューして纏められたもの。

「『小国寡民』に生きる」と題して、
普段書いたり、語っていることで、目新しいことはない。
ただ、自分の書き下ろしでないので、
文調や運びにいささか異なる印象ある点はお許し願いたい。

しかし、有り難いことで、
まほろばの生き方が全国の人々に知られること、
というより「小国寡民」という思想が伝わる事が喜ばしい。
拡大路線を走る有名企業の愛読者も多いと聞く。

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それより、「致知」と聞くと、四書五経を学んだ若き日が懐かしく思う。
これは孔子の弟子、曾子の「大学」の中に記されている
「明明徳」「親民」「止於至善」の三綱領と、
「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の八条目の
その「致知」から由来している。

つまり、世界を治めるには、自分を修めることから始まる、というものだ。
ところが後代、この「格物」が先か、「致知」が先か、という歴史的一大論争が起こった。
南宋の朱子と明の王陽明の対立で、大まかに言えば、
物(理)を格(至)すか、知を致すか、どちらが先かというものだった。

Zhu_xi.jpg(朱熹)
images.jpg(王守仁)

詳しい内容は、かえってチンプンカンプンになるので省略するが、
私の師は、「格物」論であった。
知るということは物や事に当たらねば理解出来ない。
学問や知識では知ることを致す、極めることは出来ないだろう。

最初から知が至れるのは、聖人君子で、これを生学生知という。
後追いで、散々苦労して知るのは私の如き凡人で、これを困学困知という。
しかし今思うに、どちらが先と言うより、どちらも同じでないか。
行なうことで知り、学ぶことで知る、心身は同じであろう。

朱子学や陽明学の詳しいことは知らないが、
学問という形が残ると、自分を置き去りにして、
朱子だ、陽明だ、と解説や論争が始まる。
それは、どっちでもいいのだ、己が確りしていれば。

「致知」の題名に少なからず、不満を抱く学士もいるであろうが、
時代は、そんな古色蒼然たる論議を望みはしない。
「致知」社の今の日本を憂い、どう立て直すか、
という熱き心の同志が、今行動を起こすことの方が、
天下の大事であろう。

一月の売り出しに、随想をたよりに載せたいと思います。

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