●奥田シェフinまほろば #3 講演会
講演会前に、「アル・ケッチャーノ」と奥田シェフを紹介するプレゼンに、
「素敵な宇宙船地球号 〜庄内を食の都に!!地場イタリアンの挑戦〜」と
NHKBS「食の聖地へ」のTV放映があり、人となりが、より迫って来た。
実は、1時間の予定が、準備不足もあり、映像延長で助けられた形だった。
この場を借りて、お詫び申し上げます。
まだ41歳という若さながら、すでに社会的定評も得られ、今後益々世に知られるだろう。
だが、彼は名声に溺れることなく、しっかと地元に脚を据えながら、
地域と共に生きて行くに違いない。
電話越しにゆかりちゃんが「うちと同じだから、同じだから・・・・」と頻りに繰り返したという。
彼も挨拶に笑いながら、その顛末を話していたが、何を隠そう、
互いを結び付けたのは、彼女がいみじくも言った「同じ」郷土愛ではなかったか。
それが知らずして共感し、呼び込んだ原因だと確信する。
月並みに言えば「地産地消」、この言葉が独り歩きすることなく庄内に息づいた。
東京の名店帰りなら、これ見よがしに都会の風を見せ付けたがるだろう。
しかし、彼はそれより隠れていた地元野菜の伝統種に目を付けた。
まほろば農園でも、固定種・在来種を更新しているが、以前、宮崎県椎葉村の
椎葉クニ子さんから何百年も伝承していた平家大根などの種を戴き植えてみた。
そして、その時、原種の如何に力強く、その味わいの豊なるかを知った。
十字架野菜の翌春に開く菜花の、この世のものとは思えない味の深さに感動した。
庄内にも、今は忘れかけた在来野菜が小農家の片隅に追い遣られていた。
それを彼は掘り起こし、その野菜からのメッセージを敏感に受け取ったのだ。
それは、その物の味をそのままに伝えることだった。
ソースで味をつけて、変性させることではない。
むしろ逆で、直裁にその味を知ってもらうこと。
それは、彼自身の変容でもあった。
イタリアン料理人の名義を、あっさり取り払うことに躊躇はない。
そこから、彼の旅立ちというか、出発があった。
作物の持ち味を、ダイレクトに伝える伝道師でもあった。
外目から見ると異端であり、自然から見ると、それは正統であった。
日本の懐石は、素味を引き出すことに極意がある。
彼の奥義は、正にイタリアンを装った日本食・地方食であった。
それは、フレンチ、イタリアン、中華においても、根本的な革命事だった。
しかも独り浮ついた発想ではなく、常に地元住民と共にあった。
かつて、庄内には、佐藤久一が居た。
「世界一の映画館」と「日本一のフランス料理店」を
山形県酒田につくった男は、なぜか忘れ去られてしまった。
しかし、その血脈が彼に飛び火したように感じられた。
世界を変えるのに、都市のひのき舞台は不要だ。
むしろ虚虚実実の錯綜する所に、真実は見失いがちだ。
そして、自然がないこと、作物が採れないことが決定的に欠落している。
これからは、地方から世界を変革する事実を奥田シェフに見出した。