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2011年03月30日

●原爆が落ちた戦場のよう・・・

今朝、厚別店の穂積君からの日報に、

「今日は、自衛隊で被災地に行かれている夫に、
荷物を送るお客様が来られました。
『現地は、原爆が落ちたかのような惨状で
厳しい状態』
だそうです。
こうして、普段どおりの生活をしている一方で、
懸命な活動をされている事を思うと、
言葉にならないです。・・・・・」

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今朝、やっとのことで、ヤンジーとアグネスに電話が繋がった。
何時かけても、圏外なのだ。
つまり、電話、電気、ガス水道が通っていない処で救助しているのだ。

今、南三陸町に入ったところで、昼・夕で300食づつのラーメン、
石巻では1200食を作って、長蛇の列でみな喜んで食べて行かれる。
しかし、持って行った3000食分も底をついたという。

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何とか、送って上げたいが、届くところがないらしい。
主な拠点に届けても、そこに行くだけで2,3時間もかかる。
ガソリンがないのだ。
水も、給水車が来ても、タンクに入れた分は、すぐ炊事で無くなってしまう。

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急遽マイクロバス隊が、北海道に引き返して、
ニセコ、長沼、恵庭と回って、救援物資、ことに不足な野菜を集荷するという。
是非、皆さんにもご協力願いたい。

避難所に居る方は、潤沢に物資が情報が流れるが、
家に留まっている人々が悲惨で、孤立状態。

食べ物も水も届かない処が多く、
主に、ヤンジーはその周辺に回って、炊き出しをしている。
家から出てきて、有り難く貰うカレーやラーメンに
みな生き返った表情を見せるという。

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とにかく、現地は凄まじい状態で、戦場そのものだという。
新聞報道と違って、
そこらに流されている車には、遺体が隠れている。
だれも、どうしようも出来ないのだ。

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逃げ延びて、食にありつけた人からは
「小学校の校舎の壁に、15人ほど張り付いて
死んでいた」と聞いた。

みんな心に焼きついた現場の生々しい様子を胸にしまって、
口に出す人は少ない。

私達は、報道写真の上っ面だけで、印象が流されようとしているが、
実際は、2万、3万ともつかない遺体がそこにあるはずなのだ。
それを見て、初めて震災の惨さを実感できるのだろう。

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ヤンジー隊は、日々その現実の中で、向き合って救援している。
対岸の火事のように、腕を組んで見ている私が恥ずかしい。
何とかと思うが、今ここで、出来るだけやれる事をやろう。

今日、皆様から戴いた「ヤンジー炊き出し支援金」を送る。
引き続き、義援金をお願いします。
私達に出来ることはそれと、祈ることだけです。

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(エリクサー水も底を突いたことだろう。何とか出来ないだろうか・・・・)

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