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2011年05月30日

●3・11からの再生

「北の国から」でお馴染みの富良野在住の
倉本聰さんによる寄稿文が、道新に掲載されました。
我が意を得たりという内容なので、全国のみなさまに読んで戴きたいと思います。

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便利手放す覚悟のとき
                      倉本 聰

再生には大きな覚悟が要る。
痛みを伴う覚悟である。
日本は第2次大戦の敗戦で文字通り瓦礫の焦土から再生した。
この再生には大きな思想の転換、既存概念の徹底的な変革が求められた。

軍国主義・全体主義が崩壊し、代わりに民主主義が流入した。
民主主義は本来、権利と義務という両輪で成り立つものなのだが、
それまでの義務ばかり押しつけられていた日本人は
権利主張を認められることがうれしくて、一方の「義務」を軽視した。

同時に資本主義が圧倒的に流れこみ、
これまで質素が美徳とされたのに消費=浪費こそ経済発展の鍵という、
仰天するような思想の転換が起きた。

「科学」がさまざまな物を開発し、「経済」がもうかるからそれを後押しした。
再生産不能の商品は作ってはならないという珍説が横行し、
大量生産・大量消費・大量廃棄という「もったいない」を否定する社会が誕生し、
多くの古来の伝統文化、手作業による技術が衰退し、
手に職を持つ職人たちの職を失って日本から消えた。

そうやってこの国は国民総生産(GNP)世界2位まで踊り上がった。
科学と経済が手を組むことでその豊饒さに有頂天になり、
夜もこうこうとまぶしく光る日本列島を作ってしまった。
そこに突然津波が襲い、原発事故まで引き起こして60余年のツケが来た。

敗戦直後の皇室内閣、東久彌宮首相が発言した国民総懺悔という言葉がある。
一億総懺悔と改められて戦後初めての流行語となった。
今回の災害に際しての、国や東電の責任を問う声、
あるいはエネルギー政策の変換の声など、
国家大局としての議論は多々あろうが、それ以前に僕は、
僕自身を含めてわれわれ日本人がおごり溺れていた戦後60年の暮らしに対して
一億総懺悔すべき時であると思う。

われわれは科学を信じ過ぎ、経済と欲望の虜になっていた。

考えてもみて欲しい。
マグニチュード9という地震のエネルギーは、
広鳥の原爆、32000発分のエネルギーである。
それを想定外と科学者は言うが、
では地球史上にくりかえされた大陸の大移動、
地殻と地殻がぶつかってヒマラヤやロッキーまで創出してしまう
あの変動のエネルギーは、一体マグニチュードいくつになるのか。

その確率を論ずるのも結構だがそれ以前に、
われわれはこの繊細にして微妙な奇跡の惑星、
地球というもののわずかな地表にしがみつき住まわせてもらっている
卑小な一生物であることを忘れてしまっているのではあるまいか。

今、この災害からの再生にあたり、われわれは岐路に立たされている。
とるべき道は、二つある。

一つは、これまでのような豊饒さ便利さをもはや捨て切れないとあきらめる道である。
それにはこれまでのようなエネルギーを必要とするから、いかに自然エネルギーを
今後開発しようとしても、当分の問は原発というものに頼らざるを得ないこととなる。
その場合今回のような、あるいは今回以上の想定外の事態の発生を、
われわれは覚悟してかからねばならない。

あなたはその覚悟を持つことが出来るか。
いまひとつの道は、これまでのぜいたく、便利を少しでもあきらめ、
質素な昔に帰る道である。

バブル期以前の暮らしまででも良い。
それでも原発はかなり不要になる。
ただし。
その場合にもかなりの覚悟がいる。

夜の街は暗くなる。
終夜営業のコンビニはなくなる。
テレビの深夜放送もなくなる。
自販機は街から姿を消す。

電化製品から待機霞力かなくなり、機能するまでにやや時間がかかる。
リモコンもなくなってわれわれは一々電化製品まで歩いてスイッチを押しに
行かなければならないようになるかもしれない。

あなたはそういう覚悟が持てるか。
便利とは人問がサボルということである。
人間が本来持っているはずの体の中にあるエネルギー。
そのエネルギーの消費を抑えるということである。
そのエネルギーの能力に応じて、急ぐことを避け、
身の丈に合わせた人間生活を身分相応になし遂げることが、
本来のつつましい暮らしではなかったか。

30年前に書いた「北の国から」というテレビドラマで、
都会の暮らしからいきなり富良野の、
電気も水道もない廃屋に住まわされることになった少年が、
仰天して父親にぷつけるせりふがある。

「電気がないッ!?電気がなかったら暮らせませんッ」
「そんなことないですよ」
「夜になったらどうするのッ」
「夜になったら眠るんです」

1日の3分の1は闇である。
闇は眠るための時問である。
夜の街が暗いのは危険であるというなら、夜は表に出なけれは良い。
それこそあたりまえのことであり、あたりまえの暮らしに戻れは良い。
もっともそれにも覚悟が要る。
(寄稿)

くらもと・そう
1935年生まれ。
東京都出身。59年、東大卒業後、
ニッポン放送入社。63年退社。
シナリオ作家として主にテレビドラマを書く。
77年、富良野市に移住。「北の国から」などで
2000年に紫綬褒章受章、
10年に春の叙勲旭日小綬賞受章。

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