●高木仁三郎氏 遺論文の予言
「核施設と非常事態―地震対策の検証を中心に―」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002066513
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■「行政側にも事業者側にも原発の安全性を見直して、
この大災害をよい教訓にするという姿勢が少しも見られなかった」
高木氏は、その論文の冒頭で、こう述べている。
「私は耐震建築の専門家でも地質学の専門家でもないが、
電力会社や政府の委員会に属する専門家の人たちが
〈原発は地震に対して絶対に安全〉
と断言することに、かねがね疑問を抱いてきた。
新たな地震が起こるたびに従来の認識や対策方法の変更を
迫られたりするような状況の下では、
地震学も耐震建築学も未だ現象論的な経験学の領域をでず、
大自然相手ではそれも当然で、とても
〈絶対〉
などを主張できるものではないと考えられたからである。
阪神大震災は、絶対を主張する専門家の過信の根拠のなさを
天下に明らかにしたと思われたので、
この大きな不幸が技術革新へのよい反省材料になるだろうと、
報道に接しながら確信した。
ところがである。
阪神大震災に行われた、耐震設計に関するいくつかの討論
(政府・電力事業者側との論争)に出席してみてわかったことだが、
行政側にも事業者側にも原発の安全性を見直して、
この大災害をよい教訓にするという姿勢が少しも見られなかった。
いや、非公式には、私は現場の人たちから多くの不安や
〈安全神話〉の過信に対する反省の声を聞いたが、
それらは少しも公式の場に現れなかった。
そのことにショックを受けた。
公式の場では、相も変らぬ〈原発は大丈夫〉の大合唱である。
たとえば、『通販生活』1995年夏号の討論で、
次のようなやりとりがあった。
小森(東京電力):・・・・建て前というかもしれませんが、
設計とはそういうことです。
我々はちゃんとやっています。
田原(司会): じゃあ、神戸の高速道路や新幹線を設計した連中は
バカだったということになるわけですか?
学者たちは、今になって、大丈夫というものはない、
壊れない建物などないんだ、
それでうまく壊れるためにはどうすればいいのか
という議論になっているわけです。
ところが、原発はいまだに壊れないの一点張り。
そこがわからないんですが。
岸(東京電力):基本的には、良い(筆者注:壊れないの意)方はこれだ、
悪い方はこれだと、仕分けできてるわけですよ。・・・・・・
田原: いや、だから、(神戸の震災で)学ぶべき点はあったのか、
なかったのか、どっちですか。
藤富(通産省):今のところ、従来の安全設計のやり方を改善しなければ
いけないような問題はなかったと思っています」