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2011年05月27日

●武田教授の本のあとがき

武田邦彦教授の新刊本のあとがきに、
科学者としての自省と悔恨の訴えに人としての良心を感じました。

武田本.jpg
(「原発事故残留汚染の危険性 〜なぜ国は本当のことを公表しないか!〜」 
            ¥1050 朝日新聞出版 )

あとがき

おわりに

本を書き上げて脱稿するときには、いつも書いたことの余韻が残っていて、
それを文章にします。
しかしこの本だけは、そういう気分にはなれません。
私も長い問、原子力に携わってきました。
それは、原子力こそが未来のエネルギーであり、
日本の将来にとって必要なことだと確信をしていたからです。

しかし、今回の福島原発の事故は、原子力に携わってきた者にとっては、
大きな衝撃でした。
衝撃というよりも、これまで原子力が日本社会に貢献してきたことを
全部覆すぐらい大きなことでした。

私が平成18年(2006)に理解したことは、
「地震で倒れることがわかっている原発」をつくっているということです。
そして、このような状態ではやがて原子力はダメになってしまうのではないかとの危倶が、
今回の福島原発事故で本当になったことに唖然としたのです。

しかし原子力に携わつてきた人たちはどのような思いでいるのでしょうか。
私はテレビに出てくるよく顔の知った人たちを見て、
この事故の大きさをよく認識しておられないのではないかと思いました。

私たち(原子力関係者)は失敗したのです。
私たちの考えは間違っていたのです。
私たちが今まで正しいと思つてきたことは間違っていたのです。

そのもつとも大きな原因は、「私たちが考えた範囲で安全なら良い」という傲慢な心、、
原発の付近にいる住民の健康を考えなかったことです。

日本の原子力技術は世界に誇るものであり、きわめて安全に運転できるのです。
しかし技術が社会に貢献するためには、技術レベルではダメだということを
今度の福島原発の事故は示しました。

辛いことですが、現場で頑張った人を褒めてはいけません。
これまで原子力で重要な職にあった人をテレビに出してはいけません。
私たちは失敗したのですから。

もしかすると今度の事故は、原子力というものを日本人が利用してはいけない
ということをいっているかもしれません。

人間が想定する大きさの自然災害だけを守ることができ、
それを超えるものは今回のような事故になるのですから、
私たちは原子力を使うことができないことになります。

ディーゼル発電機を遠くに置いておけばよかったという話ではないのです。
私が技術に人生をかけたのは、技術の力で日本に貢献したいということであり、
日本人を苦しめようと思ったわけではありません。

しかし結果的には、多くの人を苦しめる結果になりました。
私たちは今後、どんなことがあっても「科学的に問違っていること」を許さない
強い信念が求められるでしょう。


                                  2011年4月1日

                                          武田邦彦

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