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2011年06月04日

●サザエさんと原始炉

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江利チエミの「サザエさん」といえば、相当古い。
小学校に入った頃、この映画が封切りされて観たような覚えがあった。
だから1957,8年頃だと思う。
ところがその歳、昭和32年に、東海村で『原子の火』が点いたのだった。

その前後は、国を挙げての祝え祝えの大騒ぎだったに違いない。
何せ、戦後すぐの暗い世相に一条の希望の光が射したのは、
湯川博士の「中間子理論」で、ノーベル賞を受けた事だった。
その影響か、新生児に「秀樹」と名付けるのが流行した。
それで、私の実兄も元樹となった。

ところが、原子力委員の一員だった湯川博士、
「公開・民主・自主」の平和利用三原則に反する委員会を
拙速で強引だと批判して辞任したとある。
その勢いが今日まで続いて、遂に大事故まで突っ走ったのだった。

しかしながら、このサザエさんの作者・長谷川町子さんの
遠くを見据えた炯眼には、驚くばかりだ。
下の記事を書いた伊藤記者にも敬服するが、
「昔の方がずっとあったかった」と述懐する老女の言。

たしかに、グリルで秋刀魚はスマートに焼けるだろう。
しかし、面倒な七輪で焼く秋刀魚には、その時空を包む
すべてが詰まって、曰く言い難い味がある。
それが情緒と言うものだろう。

そんな心のひだが無くなって久しい。
この記事の最後にある
「本当のあたたかさとは何だろう」
「何のために発展するのか」を、
そのまま私に自問自答したい。

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