●幼き日々の情操の森
今朝の道新を見て、懐かしさがこみ上げて来た。
それは、名も無き「我が幼き日々の森」が載っていたからだ。
名を『ユカンボシ川源流』というらしい。
この年になって、初めて知った名だった。
私にとって、心の奥に潜む幼年期を育くんでくれた森でもあった。
何度、通ったことだろう。
昆虫採集に明け暮れた日の、虫たちの格好の巣窟がここだった。
この昼なお暗い木々の蔭に、この清流がサラサラと流れていた。
そのユカンボシ川は、『鹿の住んでいるところ』の意味という。
しかも川沿いには、1200年前の住居跡が30もあったらしい。
生家の近くを流れている漁川(いざりがわ)には昔、
鮭の群れが上って来たと、祖父が語っていたことを思い出す。
故郷・恵庭は、アイヌ部落が点在していて、有名なカリンバ遺跡などがある。
日本一古い織物や漆が出土して、驚いた。
子供の頃、そんな謂れなどつゆ知らず、友とその森で土器や石器を掘っていた。
今も、心に焼き付いている標本にした秋の落ち葉。
小学1,2年生の頃、最も自然の彩りの深さを
感じ取っていたのではなかろうか。
後にも先にも、あれほど心に沁みる色合いはなかったように思う。
その頃の担任の草薙宏昌先生は、その森の中の家に住んでいた。
宮沢賢治の「カラマツの林の小さな茅葺の小屋にいて・・・・」の
そんな感じの佇まいだった。
そこに行っては、紙粘土で人形作りを教わったり、
紙芝居を作ったり、いろいろ学んだ。
私にとっては、「ユカンボシの森」はまさに『トトロの杜』でもあった。
今は、どうなっているのだろうか。
既に半世紀も経っている鬱蒼とした森は、
今もなお太古の鼓動を打ち続けているのだろう。
誰にも、何にも侵されていない神秘の領域が
思い出の続きに残っていることに、悠久な時の営みを感じる。
何もない新しい詰まらない街だ、と思っていた故里が、
こんなに掛け替えの無い息吹をひそめていたことを誇りとしたい。