●新居を売り払って
ある知り合いの方から久し振りにお電話があった。
3月12日、那須の家近くの森で散歩したところ、
急に左手が痺れ出した。
福島原発から90km圏内だった。
13日、取るものもとりあえず、荷造りして
実家の春日部に避難した。
その間、1カ月半、外に出なかった。
空気が違ったからだ。
その間も右足が震え出し、
喉が痛く、咳が止まなかった。
ここも断念し、飯能市に借家を見つけた。
その間に、那須の買ったばかりの家を売り払い、
家財を全て移したのだった。
今、その方は、ほうほうの手を尽くして逃げ延びたが、
皆がみな、逃げられる訳ではない。
埼玉とて、絶対安心ではないという。
元々、虚弱な方だったので、
放射能に敏感だったかもしれない。
健常な方は、今は良いが、後に来るのでは、
と心配されていた。
対応が早く、震災後すぐ退避したのが功を奏したのだろう。
何はともあれ、先ずは知人の今に安堵した。
小さいといえども、一家をも売り払う現実があった。
どうにもならない今の現状を呆然と見るばかりだ。
せめて出来る事は、北の恵みを送り届けるくらい。
それに、生きる希望を繋げるなら、何時までも送り続けたい。