●「お母ちゃん!」・・・・・・・・
東井義雄先生の講演録
『10代の君たちへ 自分を育てるのは自分』より
長崎に、原子爆弾が落ちました時、
当時、10歳であった荻野美智子ちゃんという
女の子の作文をちょっと聞いてください。
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雲もなく、からりと晴れたその日であった。
私たち兄弟は、家の2階で、ままごとをして遊んでいた。
その時、ピカリと稲妻が走った。あっというた時には
もう家の下敷きになって、身動き一つできなかった。
(大きいお姉さんが水兵さんを4、5人呼んできて、
美智子さんは救出されました。しかし……。)
その時、また向こうのほうで、小さな子の泣き声が漏れてきた。
それは二つになる妹が、家の下敷きになっているのであった。
急いで行ってみると、
妹は大きな梁(はり)に足を挟まれて、泣き狂っている。
4、5人の水兵さんが、
みんな力を合わせてそれを取り除けようとしたが、
梁は4本つづきの大きなものでビクともしない。
水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。
よその人たちが水兵さんたちの加勢を頼みに来たので、
水兵さんたちは向こうへ走っていってしまった。
お母さんは、何をまごまごしているのだろう、
早く帰ってきてください。妹の足がちぎれてしまうのに……。
私はすっかり困ってしまい、ただ背伸びをして、
あたりを見回しているばかりだった。
その時、向こうから矢のように走ってくる人が目についた。
頭の髪の毛が乱れている。
女の人だ。裸らしい。むらさき色の体。
大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。
ああ、それがお母さんでした――。
「お母ちゃん!」
私たちも大声で呼んだ。
あちこちで火の手があがり始めた。
火がすぐ近くで燃え上がった。お母さんの顔が真っ青に変わった。
お母さんは小さい妹を見下ろしている。
妹の小さい目が下から見上げている。
お母さんは、ずっと目を動かして、梁の重なり方を見回した。
やがてわずかな隙間に身をいれ、一ヶ所を右肩にあて、
下くちびるをうんとかみしめると、うううーと全身に力を込めた。
パリパリと音がして、梁が浮かび上がった。
妹の足がはずれた。
大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。
お母さんも飛び上がってきた。
そして、妹を胸にかたく抱きしめた。
しばらくしてから思い出したように私たちは、
大声をあげて泣き始めた……。
お母さんはなすをもいでいる時、爆弾にやられたのだ。
もんぺも焼き切れ、ちぎれ飛び、ほとんど裸になっていた。
髪の毛はパーマネントウエーブをかけすぎたように赤く縮れていた。
体中の皮は大火傷で、じゅるじゅるになっていた。
さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ
皮がべろりと剥げて、肉が現れ、赤い血がしきりににじみ出ていた。
お母さんはぐったりとなって倒れた。
お母さんは苦しみはじめ、悶え悶えてその晩死にました。
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東井:これは、特別力持ちのお母さんだったのでしょうか。
4人も5人もの水兵さんが、
力を合わせてもびくともしないものを動かす、
力持ちのお母さんだったのでしょうか。
皆さんのお母さんも
皆さんがこうなったらこうせずにはおれない。
しかもこの力が出てくださるのが、
お母さんという方なんです。
女子の皆さんは、
やがてこういうお母さんになってくれりゃならんのです。
女になることはいいかげんなことじゃないんです。