●泊原発3号機・検査結果は真っ赤な改ざんです
とうとう、泊3号機が稼動する。
高橋知事の英断か、勇断か、愚断か、知らないが兎に角動く。
プルサーマル推進派の知事を選んだのは、大多数の道民。
今さら、文句は言えまい。
誰が、悪いのでもない。
ホ・オポノポノ流に言えば、全ての責は自分に還って来るのだろう。
何があっても、道が悪い、国が悪い、とは言えず、
その果を自ら食す覚悟を我々は持つべきなのだろう。
「泊原発3号機・検査結果は真っ赤な改ざんです」
と検査官の下請けさんが内部告発。
(告発した藤原節男さん、隣は奥さんの修子さん。)
――記――
「私は原子力発電所の安全性を高めなければならないと思うからこそ、厳しく検査し、
検査でおかしなことがあれば、それを記録に残しておくべきだと考えてきました。
しかし、私が所属していた原子力安全基盤機構の上司は、
不都合な検査記録は改ざんしろと命じたのです。
それを拒否した結果、私は組織から追い出されることになってしまいました」
こう語るのは、独立行政法人「原子力安全基盤機構」の検査員として、
全国の原発の安全検査を行ってきた藤原節男氏(62歳)である。
藤原氏は名門・灘高校から大阪大学工学部原子力工学科に入学したエリートエンジニア。
同窓生や恩師には「原子力村」の大物たちも多い。
大学卒業後は、三菱原子力工業(後に三菱重工に合併)の社員として、
日本原子力研究所への派遣などを経験し、2005 年に原子力安全基盤機構に入社。
原発との関わりは大学入学から実に40年以上に及ぶ。
ちなみに、藤原氏の実兄の守氏も大阪大学核物理研究センターの准教授で、
福島第一原発事故後に周辺地域の汚染マップを作るべく研究者たちに
呼び掛けたメンバーの一人である。
兄弟揃って原子力や核の世界で生きてきたエキスパートと言えるが、
冒頭で藤原氏が語るように、上司の記録改ざん命令を拒否したことをきっかけに、
氏は勤務先である基盤機構を追われることになった。
この記録改ざん命令の詳細について語る前に、
藤原氏が昨年3月まで在籍していた原子力安全基盤機構について簡単に紹介しておく。
同機構は2003年に発足した独立行政法人で、今年4月段階の職員数は426名。
その目的は大きく言って、原発や原子力施設の検査や、設計の安全性解析など。
原発の検査をする機関としては、経産省の原子力安全・保安院があるが、
同機構は保安院の「下請け」的な立場で、全国の原発の検査を行う。
呼称としては、保安院の検査担当者は「検査官」、同機構のそれは「検査員」と区別される。
実際には、保安院の検査官が検査するのはごく一部で、
大半は同機構の検査員が検査に当たっている。
そして、同機構を特徴づけるのが、経産(通産)官僚たちの天下り組織として機能していることである。
現理事長の曽我部捷洋(そがべかつひろ)氏は元通産官僚で、
原子力安全課長などを務めた後、天下り。
西部ガス常務などを経て同機構発足と同時に理事に就任している。
また、曽我部氏の他、3人いる理事のうち2人が通産官僚OBである。
他にも部長クラスにOBたちがいる。
「原子力資料情報室」共同代表の伴英幸氏は、同機構について次のように語る。
「あそこは技術者が多数いますが、彼らは保安院の役人たちの下働きのように使われている。
実際の検査にあたっても、コストを抑え、期日内に検査を終えることばかり要求される。
厳密にやるほどカネと時間がかかるから、どうしても手抜きになりがち。
それでも検査結果の提出先である保安院は素人中心だからフリーパス状態。
職務に忠実な検査員ほど、このままではダメだと思うでしょうね」
臨界事故の危険性
藤原氏は三菱重工を55歳で退職した後、同機構に再就職。
検査業務部の調査役を務めていた。その藤原氏が上司から検査記録の改ざんを
命じられたのは、2009 年3月のことだった。
藤原氏の告発を聞こう。
●当時、北海道電力の泊原発3号機は、建設が終わり、使用前検査の段階に入っていました。
私は電気工作物検査員として、同原発で3月4日と5日の2日間にわたって
『減速材温度係数測定』という検査を行ったのです。
これは原子炉内で何らかの原因で冷却材の温度が上がっても、
原子炉出力を抑えることができるかどうかを判定する基本的な検査で、
どの原発でも、この検査なしでは運転することは許されません。
ところが、4日の検査では本来なら『負』にならないといけないこの係数が『正』になってしまった。
このまま運転すれば、臨界事故につながりかねない危険な状態です。
そこで、翌日の検査では、部分的に制御棒を挿入し、
ホウ酸の濃度を薄めるなどの対策を取って検査をし直しました。
その結果、係数が『負』になったので、条件付きで合格としたのです。
私は当然、4日の『不合格の検査記録』と5日の『条件付き合格の検査記録』の両方を、
上司のグループ長に見せた。ところが、
グループ長は3月4日の検査記録を削除するように指示しました。
これは記録改ざんに他なりません。
納得できなかった私は、グループ長に検査実施要領にもあるとおり、
不合格の検査記録も必要だと訴えました。
それでもグループ長は『私は出来の悪い検査記録の不備を指摘しているだけだ。
このままでは承認印は押さない』
と、あくまで改ざんを要求する。
挙げ句の果てには、私がその要求に従わない場合、
『(査定について)評価を絶対に下げてやる』と恫喝したのです。
私と一緒に泊原発の検査にあたった同僚の検査員に、
グループ長は『このままの検査結果を保安院に報告すると、
1日目は不合格、2日目は合格になる。
検査不合格の後に合格にしたことになると今後の議論を呼ぶ』などと話したそうです。
保安院に気を遣って、不都合な証拠を、もみ消したかったということでしょう。
● 4件の内部通報
原発の安全性を考えれば、グループ長の指示に従うわけにはいかない。
そこで藤原氏はグループ長の上司に当たる検査業務部長に報告した。
経産省OBのこの検査業務部長は、「検討タスクグループ」を発足させ、この問題の検討を指示。
結果的に検査記録はそのまま提出すればよいということになったが、
同時に藤原氏が抗議していたグループ長の改ざん指示命令についても
不問に付されることになった。
記録改ざん指示をなかったことにはできないと考えた藤原氏は、
とにかく検査記録を提出するようにと求める部長に抗議。
すると6月になって配置転換を命じられ、
勤務査定は5段階評価の下から2番目となる「D」評価となり、
7月には賞与が8%カットされた。
部長の業務命令に背いたという理由である。
藤原氏が続ける。
「配置転換後は仕事らしい仕事も与えられませんでした。
私は記録改ざん指示がおかしいと訴えるまで、
『D』評価を受けたことはなく、明らかに報復です。
その後も再びD評価を受け、昨年3月末に定年を迎えたとき、
本来なら大半の人が再雇用されるところ、私は再雇用不可とされて、
職場を去らざるを得ませんでした」
実際、藤原氏が退職することになった昨年3月末時点で、再雇用されたのは計28人。
再雇用されなかったのは、本人が再雇用を望まなかった1人と藤原氏のみである。
現在、藤原氏は再雇用拒否という機構側の処分取り消しを求めて、機構側と訴訟中だ。
この訴訟で藤原氏の代理人を務めるのが、「浜岡原発運転差し止め訴訟」などの
弁護団も務めた海渡雄一弁護士である。海渡氏が言う。
「藤原さんの訴えは、一検査員の雇用問題ではなく、
原子力発電所の安全性に対する問題提起だと考えています。
原子力安全・保安院につながる原子力安全基盤機構という組織で、
データ改ざん命令のようなものがまかりとおっていたら大問題。
それに、藤原さんは原発の現場で長年検査業務に携わってきた人物です。
そんな人が『より安全に』と願って内部告発したのに、その声は届かなかった。
このことが持つ根本的な意味を、裁判を通じて多くの人に知ってもらいたいと思います」
実は、藤原氏は同機構にデータ改ざん指示の不当性を訴えるのと並行して、
原子力安全委員会と原子力安全・保安院に対しても、2009 年11月、
計4件の内部通報を行っている。
告発の内容は以下のとおりである。
@ 2009 年3月の記録改ざん命令について
A その記録改ざん命令を問題にせずに放置した
原子力安全基盤機構の組織の問題について
B 1999 年7月、敦賀原発2号機で配管に亀裂が入り、
冷却水が漏れた事故の原因に関するもの。
原因について藤原氏の主張した説を採用せず、
対策のカネが少なくて済む説を採用した結果、
同様の事故が2003年9月にも泊原発2号機で発生したことについて
C 原子力安全基盤機構の検査業務部で、検査ミスを報告する際に本来の報告書を使わず、
簡略化した書式で済ませていることについて
なかでも、藤原氏はBの件が「原発の安全性の面ではもっとも重大だった」と語る。
●敦賀原発2号機の事故が起きたとき、私は三菱重工で事故対策本部に所属し、
原因究明に当たっていました。
その際、事故の原因が再生熱交換器という部分にあり、
他の原発でも同様の事故が起こる可能性があると主張しました。
しかし、実際には敦賀原発2号機の再生熱交換器に特有の事故原因で、
その再生熱交換器だけを交換すればよいという結論になってしまったのです。
この段階では、私が主張した事故原因も推測の域を出ませんでしたが、
後に泊原発2号機で同じ事故が起き、
私が言っていた事故原因が正しかったことが明らかになった。
しかも、後でわかったことですが、
三菱重工ではこの誤った事故原因の裏付けを取るために実験を行ったところ、
期待どおりの結果にならなかったので、実験データを改ざんした。
これは別の三菱重工の社員が2002 年9月に保安院に内部通報しています。
私が泊3号機の検査で、不合格の検査記録を残すことにこだわったのも、
このときの経験が大きい。
危険性があったことを放置したり、なかったことにしてしまうと、
日本のどこかの原発でいつまでも同じような事故が起こり続けることになってしまう」
これでは事故はなくならない。
こう語る藤原氏は、日本の原発事故に対する処理方法を、
わかりやすい言葉で喩えてみせた。
「工場のライン上を次から次に製品が流れてくるところを想像してください。
そのなかに、部品が一つだけおかしい不良品が混じっているとします。
そのとき、部品だけを取り替えて、対症療法で問題は解決したというのが、いまの処理方法。
しかし、本当にやるべきなのは、
なぜおかしな部品が作られたのかという根本原因を突き止めることでしょう。
それが検査員として私がこだわってきたことなんです」
保安院などに内部通報したCについても、問題は大きい。
たとえば、簡易書式に書かれた検査ミスのなかには「判定基準が間違っていた」
「検査結果の数値が一部間違っていた」などと、
検査の信頼性そのものを失わせる記述がある。
だが、これらの内部通報は、保安院でも安全委員会でも「原子力安全に関わる問題ではない」
という回答で、調査が行われることはなかったという。
原子力安全基盤機構に、藤原氏の主張について問い合わせたが、
こちらは「藤原氏とは係争中のため、取材には応じられません」(広報室)と答えるのみ。
「日本の原発は、検査方法から徹底的に見直さないと、いつまでも事故はなくならない」
と語った藤原氏。40年以上にわたって原発を見てきた藤原氏が危惧する検査態勢。
いったい、原発の安全性は誰が担保しているのだろうか。
by「私が命じられた北海道泊原発の検査記録改ざん」
(週刊現代 2011 年 6 月 18 日号(6 /6 発売)