●「父・齋藤茂吉と詩人・坂村真民」
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり
私の心に刻まれたこの名歌の作は、アララギ派の歌人・斉藤茂吉であった。
若き頃、「万葉秀歌」で万葉集の道案内をしてくれたのも茂吉であった。
彼は、精神科医でもあり、長男に同じ医者の斎藤茂太、
次男にあの「どくとるマンボウ」シリーズの北杜夫がいる。
この血は、父に負う所だろうが、「猛烈母さん」の母・輝子さんの筋ではないか。
ことに、斉藤茂太さんは、精神科医としては著名で、
その発言は注目されている。
今日は、その一端のほどを・・・・・・・・
「モタさん」の愛称で親しまれ、
精神科医・エッセイストとして活躍した齋藤茂太氏。
本日は、『致知』2004年4月号より、
齋藤氏が語られた父・齋藤茂吉と詩人・坂村真民氏の
お話をご紹介いたします。
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「父・齋藤茂吉と詩人・坂村真民」
齋藤茂太(精神科医)
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もう四年前(二〇〇〇年)のことになります。
『致知』の企画で坂村真民先生と対談することになりました。
真民先生とお会いできるのは願ってもないことで、
私は胸躍らせて先生のご自宅にお伺いしました。
その時に感じたこと、学んだことを述べれば
どんなに紙幅を費やしても足りませんが、一つだけ記すと、
真民先生が対談の最後のほうで言われたことが、
いまでも胸に焼き付いているのです。
真民先生は毎晩唱えるお祈りの言葉がある、とおっしゃいました。
それは大無量寿経の嘆仏偈の中の言葉です。
「我行精進、忍終不悔」(わが行は精進して忍んで終に悔いじ)。
修行に完成はない。
修行して修行して、この道をあくまでも歩み続ける。
そのことに悔いなどあろうはずがない。
それこそが生きるということなのだ。
その決定心を毎晩刻み込んでいる真民先生の姿に
粛然とするものがありました。
詩人になるために詩を書くのではない、
自己を成熟させるために詩を書くのだ、とは
常々真民先生のおっしゃっていることです。
それは、先生の多くの詩で確かめることができます。
「存在」
ざこは
ざこなり
大海を泳ぎ
われは
われなり
大地を歩く
真民先生の生き様や詩を通して、
私の胸に浮かんでくる一つの言葉があります。
それは「愚直」です。
良寛は自らを「大愚」と称しましたが、それに匹敵する、
いな、それに優る大きさで、自己成熟を願って
精進し続ける生き方が己の一本道と思い定め、
脇目もふらずひたすら歩み続ける、
こういう愚直さほど偉大で、光り輝くものはない、
と思わずにはいられません。
私は真民先生の姿を通して、
父茂吉の生き方に気づくことにもなりました。
あかあかと一本の道とほりたり
たまきはる我が命なりけり
これは数ある父の歌の中で私がいちばん好きな一首ですが、
これは父茂吉が医業や病院経営など煩雑な生業があろうと、
自分はあかあかと通る一本の道、歌の道に生きるのだと
思い定めた決定心の歌なのだ、と改めて思うのです。
そして父は思い定めた一本道を愚直に生き、
命を輝かせることができたのだ、と思わずにはいられません。
真民先生の己を極める愚直な生き様は
まぶしいほどに輝いています。
父茂吉もまた、愚直に歌の道を貫いて
重みのある輝きを備えることができました。
私の生き方はそれに比べるべくもありません。
それでも精神科医四代目として医業に懸けた小さな歩みは
私なりにささやかながら輝いていて、これでいいのだと、
老いの身に勇気を授かるような気がしているのです。
コメント
まいどです。
この斎藤先生の本ですが、祖父の家にあり偶然今読んでいる最中です。
言葉のちからは良い方へも悪い方へも行く。だから日々、いい言葉を口にする。
悩んだ時、自分が弱い時に読むと、また今から再スタート!という気持ちにさせてくれますね!
また昨日やんじー様から残暑見舞いを頂戴しました。宜しくお伝え下さい。
Posted by: muso 橋本 | 2011年08月26日 10:25