私は「一家に、一人の、氣功師を!」スローガンに、札幌市内で氣功道場を開いている者です。先日、縁ありてお付き合いさせて載いている、まほろば社長宮下氏より「どうぞ、召し上がれ!」と"一杯のかけそば"ならぬコップ一杯の水を勧められました。私は勧められるままにそのコップの水に片手を翳したところ、とても強い氣が放射されているのを感じたのです。
(氣・の感覚の判らない方もいらっしゃると思いますので氣のイメージを少々…フワフワした空気の層が両手のなかにある感じ、エアータオルの圧搾空気の強い抵抗感,両手の間に風船があり押すと押し返し、引くと引き返す感じ,ピリピリと電気に感電した感じ、温かい・涼しい・チクチクした感じ等々の感じが有ります。始めは何も感じられなくても氣功を練功すれば誰でも直ぐに感じられる様になります。)

  この一杯の水の場合、重厚な圧力感が数メーターに及ぶ、陽光のごとき暖かみ・月光のごとき清々しき涼感・とが揮然一体となって発氣されている。と言う様に感じました。氣の力感からすると上級者、否それ以上のレベルの者が発している強い氣であります。正に驚きの事態の出現です。 これは凄い事です!「蛇口を開けば上質な“氣功水”がコップの中に」と言う事になります。

  さて、ロにしてみると、舌上舌下より蕩けて染み込んで行く。柔らかに透明に蒸発するがのごとくに。是こそ「甘露水」と言うに相応しい水なのかも知れません。上手く表現出来ませんが…
「…含んでゐるだけでも、うっとりする。軽快に暖をくすぐりながら通過して、體内にぽっと灯りがともったやうな嬉しい気持になる。…」 太宰治著・浦島さんより抜枠。
上記は、浦島太郎が龍宮城で桜桃と花びらの酒を載く場面の描写ですが、そのまま、この水を飲んでの感想として無断で引用させて載きましたが(ゴメンナサイ・ダザイさん)何故か実感として上記文章がふと浮かびました。

 ともかく、飲んで美味く、氣力一杯の水を瞬時に創りだす浄活水器の完成と相成りました。氣功練功者として、素晴らしい時代の到来と此の「まほろばエリクサー」に脱帽し、そして賛辞するものです。
(何故って?私も氣功師の瑞くれとして、氣功水等簡単につくれると内心思っていたのですが、此のまほろばエリクサーは、万人にしかも、その人々の個々の願望に合った氣功水を瞬時にコップの中、鍋やポットの中に生み出してしまうのですから。しかも大事なことは少しの邪気も含めずに、それが出来ると言う事です。私の様に邪気多き人間には殆ど無理です。こんな事は、神とか精霊とかのレベルでないと出来ないことです。だから…)

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