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まほろばとは エリクサー&オリジナル オンラインショップ まほろば自然農園 レストラン
まほろば自然農園
 
     
 

 去年の初雪は、11月3日でしたが、今年は一週間も早く来てしまいました。
しかも、去年はすぐ融けたのに、今年は一週間も農作物は雪のなかで収穫できない状態が続いたのです。  

 その上、重い雪と強い風で、第一ハウスが壊れてしまったのでした。 第一ハウスは、奥行き25メートルほどの小さいハウスですが、初めて店長(大橋)が建ててくれたハウスで、そこから果菜類の自家育苗が始まった思い入れの深いハウスです。  

どうにか修復して(部品を足して)また使えるようにしたいと思っています。


 
   今年の秋大根は種まき後、発芽してから、本葉4〜5枚になるまでの間に全く雨がなく、乾燥が続き過ぎてしまいました。

傾斜地に播いているので乾燥は大敵でその上、今年は8月半ば過ぎても、朝夕の気温が下がらず、乾燥に輪をかけてしまいました。

 


 

   大根は気温が下がらないとスクスク育ってくれないので、ダブルパンチです。その上、気温も下がってやっとぐんぐん成長し始めたかと思いきや、早い初雪で凍りついてしまいました。
もう少し、早く播種していれば、発芽の時だけでも何回か雨をもらえたのですが。

 去年は育ちすぎて困ったので、今年は播種を少し遅らせたのもいけなかったかと思います。


 


 
   そのせいで生理障害が発生し、輪黒 (上の方に黒いワッカが入る)や下の方に空洞が出来たりする物が多くなりました。漬物大根を買って戴いたお客様から、何件かクレームが入り、多少のことは、代替品をお届けしてお詫びして参りました。

  しかし、これ以上販売するのはご迷惑をおかけするばかりと思い、漬物大根に限り販売を中止することに致しました。
漬物大根を干すのには、タイミングが大切で、ちょっとでも狂うと(代替品をもらって遅くなると)十分干し上がらないうちに凍結したりして取り返しがつかなくなります。



 
   また、マンション住まいの方や漬物の仕方も分らない若い方も増え、何でも出来合いのもので済ませたりで、昨今では漬物人口も随分と減りました。  

   今でも漬物をされる方は、上手名人のこだわりの方が多く、ご自宅で食べられるだけでなく、息子・娘さん達や、来客にも食べてもらったり、お裾分けしたりする方も多いので、大根の品質には大変気を配られるようです。  

漬物大根の予約を戴いている方々に、お電話で大根に輪黒や空洞が発生したことをお知らせし、ご期待に添えないことをお詫びしたのですが、予約を取り消される方は少なく、
「それでも良いから」と、再度ご注文を戴きました。
こんなに嬉しいことはありません。
本当に感謝の気持ちで一杯です。



 
   店のバラ売り大根は、今のところクレームがなく、引き続き販売させて戴いています。 お客様が多少のことは我慢して下さっているのではないかと思います。有難いことです。

安全・安心については、絶対の自信があります。
まだ何千本もある畑の大根をムダにするのは忍び難く、お客様のためにも農園のためにも、廃棄せずに販売した方が良いと判断いたしました。  

店のバラ売り大根は、
現物やレシートも必要なく、スグ取替えさせて戴きますので、
ご遠慮なくお知らせ下さいませ。



 

 白菜、キャベツは不作どころか、種まきや、間引きや移植が大幅に遅れてしまったのに加えて、乾燥と暑さでなかなか葉が巻いてくれないうちに雪が降ってしまいました。それでも、店のバラ売りキャベツは少しずつ出していますが、漬物用には到底回りません。

 でも巻かなかった白菜は、来年早春、美味しい菜花になって皆さまに喜ばれると思います。
しかも、例年よりたっぷりあることでしょう! お楽しみに!!


 

 
 
   昨年は11月3日の雪(スグ融けたのに)で、多くの実をつけたまま、ピーマンもトマトも凍結して全滅、勿体なかったのです。
しかし、今年は一週間も、露地のピーマンが、雪の中に埋もれたままで、何度も凍結したのに、気温が上がるとまた元気に戻ってきました。  

白菜やキャベツや青菜類は丈夫なので、根雪にならない限り、また解凍されて元気になりますが、南国生まれの果菜類は、通常一度凍結してしまえば、細胞壁が壊れて脱水してしまい、元に戻れないのですが、今年は何度凍結しても戻るのです。

まほろば農園より風当たりの弱い、下の農家さんの畑のピーマンはもうとっくにダメになり、整理されてしまったのに……です。

 自家採取の積み重ねで、生命力が強くなったと思いたいところです、今年は11月7日で、まだピーマンは元気ですが、片付けが間に合わなくなるといけないので、解体して来年に備えることにしました。



 
   寒くなってくると、トマトは葉カビ病が出て全滅したり、凍結して戻らなくなったりするのですが、今年は皆のハウス管理が上手になったのと、ピーマンと同じく自家採種で種が強くなったのかもしれません。

 

 11月10日の今日も、まだ元気で出荷できています。
11月の感謝デーまであったりするかも……。  
どちらにしても、まほろば農園始まって以来の最長記録です。

 

 


 
 

 一番小さい第3農場すべてに大豆を作りました。

若いうちは枝豆で出荷して、残ったものは完熟させて、まほろばのオリジナル味噌(へうげ味噌)加工の原材料の一部になります。

収穫して干す作業はなかなかのもので、思った以上に何日もかかってしまいました。



 
   私は、倒れてしまった大豆は手で刈り取らなければいけないけれど、倒れてないのは草刈機の方が早いのではないかと思ったのですが、ミーティングでは、皆は手で刈り取る方が早いと言うのです。

何故かと言うと、草刈機で刈ると、枝豆の木がバラけてしまい、また寄せ集めて束ねるのが大変だからなのだそうです。

う〜〜ん!
現場の人が全員そう言うのですから、
それが正解なのかも……。



 

 

 

 
   家庭菜園でもなければ、大農家〔コンバインで刈り取りながら、同時に脱穀〕でもない、8ヘクタール(8町歩)ほどの都市近郊の衛星農家であるまほろばの中途半端なところです。
  しかし、私は見つけたのです。
ネットで一定方向にきれいに揃って、豆が倒れてくれる刈り取り機なる物を!!
でも、それは時すでに遅く、刈り取りとハサガケがすべて終わった直後でした。

「よーし! 来年こそは……」
参考のために写真を載せておきます。

 
 


 
 

 干し方も野積み(=仁王積み=実のある方を中側にして、地面から円形に積んでいき、一番上に雨よけを掛ける)にすれば、束ねる必要もなく、早いのですが、大豆の完熟と農作業の遅れで、刈り取りが、お天気の悪い晩秋にもつれ込んだので、根雪になるまでに乾かない可能性がでてきました。

そこで、高めの支柱を建てて、天日干しのイネのように、風通しの良いハサガケにすることにしました。

今年はたくさん作ったので、毎年のように、生乾きのものを狭いハウスに入れて乾かすという訳にはいかないからです。

畑に脱穀機を持って行って、その場で脱穀し、茎や殻から離してカサを少なくしてからハウスに持ち帰り、唐箕(とうみ)に掛けてゴミを取り除きます。  

  最後に、農園野菜も残り少なくなりましたが、根雪になるまでは、雨や雪の合間を縫って畑に残った野菜を収穫し、集荷していきたいと思います。
寒さで甘くなった露地野菜を今しばらくお楽しみ下さい。

 

 

 
   (興味のない方は飛ばして読んでくださいね!)  

 大豆は、専門農家がコンバインで刈り取りながら脱穀しても、外国産の大豆には価格競争で負けています。

この上、日本が今話題のTPP(環太平洋経済連携協定)に加入したらどうなるのでしょうか?


 
 
   
 私はTPPに反対なわけではありません。
問題と責任は関税を撤廃しても、世界の中で生き残っていけるような足腰の強い第一次産業を作って来られなかった農水省と国にあると思います。

しかし、国際競争力のある、生産性の高い農業を実現する為には、土地の集約と機械化による大規模農業を目指さなければなりません。

政府はそのような方向で、農業政策をある程度進めようとしてきましたが、関税や税制の問題、農民感情とも複雑に絡み、遊休地や兼業農家の取り込みには成功していません。
農業の企業化も成功例は少ないようです。  

中途半端な保護政策や、助成金や免税措置ではどうにもならない抜本的な構造改革が求められているように思います。



 
   それには、この国の農業をどのようにしたいのかという根本的な哲学や、それに基づいた基本方針が大切になってきます。
農業は、国民の健康と命を守る事、結果として環境も守ること、それが大前提です。

ところがこのような理想的な農業は、土地の集約と機械化による大規模農業とは相反するもので、追求すればするほど、最も生産性の上がらない一部の変わり者(有機農業者は全体の0.9パーセント)の集団になってしまうのです。  

成功者と見える人たちも、研修生やボランティアの労働力に依拠したり、理解ある消費者の人たちを対象にした直売や、直送で農協や仲介業者の中間マージンをカットして、しかも寝る暇もないくらい働いて、初めて成り立っているのです。



 
   まほろば農園も、今年からボランティアの方々に助けて戴いたり、まほろばに9掛け(小売価格100円の物だと、90円で仕入れてもらう)で卸させてもらったり、冬場はまほろばに出向社員として働かせてもらったりしていても、赤字は膨らむ一方です。



 
  単一作物を広範囲に植えれば、機械化しやすく生産性は上がりますが、植物の多様性や、共生という生態系の自然性を破壊してしまうので、永続可能な農業として、土や作物が健康に育つことは難しく、農薬が必要になってきます。

どんな土作りをし、どのくらいの規模で単一作物を植えたり、何と輪作することが、生態系の自然性を破壊しないで、農薬を使わない永続可能な農業を実現できるのか、効率化も睨みながらの研究が必要かと思います。


 

 

 
   除草剤は、ホルモン撹乱物質だと分かったにもかかわらず、今の農業は除草剤がなければ成り立たないという理由で、禁止されてはいないのです。

実際に、除草剤が使えなくなれば、生産コストは嵩み、国産はもっと高級品になり、輸入物が激増して、それでなくても低い日本の自給率はさらに下がり、日本国民さえ養えないものになるのではないでしょうか?



 
 本当に人々の健康の役に立つ、農薬の要らない生命力の強い野菜を作ろうと思えば、何世代にも渡る自家採種が必要になります。


   
  しかし、成長が均一に揃ったり、反収(一反あたりの収穫量)の上がるF1種に比べて、自家採種は不揃いで(個性のあるのが自然ですから)収穫と選別に手間ヒマがかかって、収穫量も少なくなります。

  また、自家採種は、種が実って結実するまで長い間畑において管理しなければいけないので、160種類以上作っているまほろば農園では、栽培面積が狭くなります。



 
   本当の意味で、抜本的な構造改革とは何か。それは莫大な援助をして、植物工場を建て、不自然で、生命力のない、ひ弱な無農薬野菜を作ったり、効率化だけを考え、生命哲学の欠如した遺伝子組み換え作物を研究したり、導入したり、個別保障を充実させることではないと思うのです。
(取りあえずの個別保障に反対なのではありません)
 

 
  もっと根源的なところで、化学肥料と農薬で疲弊した農地をどうすれば回復できるのか、農家が低コストで作物を生産できるような仕組み作り、国家的規模でなければ出来ないような仕組み作りをやるべきだと思うのです。


例えば、
 


@ 全国的に、人糞や厩肥や海産物や生ゴミや剪定枝などなど、ありとあらゆる物を堆肥化させる一大国家的プロジェクトを立ち上げて、何一つ無駄なく、誰もが廉価で恩恵に預かれる事業を起こす為の仕組みや法律を作る事と、財政援助、有害物を取り除くための研究開発。

(国家主導で仕組みさえ作ってしまえば、原材料は無料で無限にあります。焼却場で灯油を使ってCO2を排出するよりも、微生物で発酵させて肥料にした方が環境にもやさしい。

個人で堆肥を作る労働力の節約、出来た堆肥を使って、化学肥料で疲弊した土壌の改良による化学肥料や農薬の節約や廃止、永続可能な循環農業の実現――結果的に焼却場の負担軽減)

(人糞は問題点も多く、直ぐには無理と思いますが、一番有効で無料、無限なので除外しないで研究対象にして行くことが大切だと思います)

A 除草剤を禁止し、雑草を土壌改良や肥料として利用できる仕組みや機械の開発費に投資すること。
 例えば、除草剤を使わなくても、稲などの除草ができる除草機や、まほろばのような傾斜地でも使える除草機械などの研究開発費などなど、もっともっと廉価に作物を生産できるための技術開発にお金を掛けること。

B 遺伝子組み換え技術の研究と試験圃場の中止、花への使用も禁止する。
(0-1テストでは、免疫に対してマイナスで、自然治癒能力や環境適応能力の低下を招くと思います)

C 大型機械の共同利用や、貸し出し制度などなど、農協が管理、斡旋する(現在は、機械で労働力を節約しても機械の支払いで赤字)・・・
農協に加入していなくても、農業者であれば利用できる仕組み作り。  (例えば現在では、有機農業推進法は出来たけれど、農協に加入していない独自の販売ルートをもつ有機農業者には、台風被害があっても支援がない。

研修生に対して補助金が出ることになったけれど(事業仕分けで、今後どうなるかは分かりません)研修を受けた市町村で就農するのでなければもらえないので、まほろばで研修した人は今まで誰ももらえませんでした。
有機農業や自然農法で研修できるところは少ないので、普通の農業研修生よりはるかに条件が悪い)

D 農協は農薬の使い方や、回数を指導するのではなく、堆肥の使い方や、農薬を使わずにできる農業を指導する。
(その為には、篤農家の視察や技術交流、農業試験場の研究実践による有機農業技術と理論の確立が重要)

E 国は、種苗会社が良質なF1種や在来種を育成する為の規格基準作りと法律の制定、農民が廉価で安全な種を買えるような仕組み作り(ここに補助金をつぎ込んでも良いと思います)。

F 後継者のいる農地や、農地として人に貸している場合は免税し、農業目的で遊休地の取得をする場合には税金を掛けないといった税制改革。

大都市周辺の農地は高くて(将来宅地化するのではないかという思惑から)、新規参入を難しくしているので、はっきりした都市計画を住民に示し、農業委員会が中に入って、適正価格で農地が売買されるようにする。
〔例えばまほろばが借りている第6農場(2,6ヘクタール=2町6反)だけでも3億円)

G以上を実現するために、農協の果たす役割を大改革。


   等など、もっとやるべきことは色々あると思いますが、ちょっと思いつくだけでもこの位あるのです。
 

ここまでやってTPPに加入するのでなければ、個別保障にどれほどお金をつぎ込んでも、農政の不備による結果を修正するだけで、このような一時しのぎの弥縫策では農業問題は永久に解決しないと思います。そればかりか、個別保障は毎年継続しなければいけないので、抜本的な構造改革をするための資金も失い、国家財政も破綻するのではないでしょうか?



 政府は、基本方針では、農産物の競争力向上や、海外での需要拡大を進めるとしていますが、政府にも、TPPに反対する側にも、そのための具体策が不明確なように思います。
   思い切った農業改革は、国家主導で仕組みさえ作ってしまえば、原材料は無料で無限にあり、富や雇用を生み出してくれます。

農業に限らず、後になるほど医療費の節約や、公害問題の解決など現代社会の難問題を解決してくれる100年の大計ではないでしょうか?

効率化のために構造改革を叫ぶ人はいても、農業は、国民の健康と命を守る仕事だと言う事を大前提とした哲学がないように思います。
どうせ、狭い日本の農業面積などフルに活用したとしても知れているのです。  

 粗悪品を大量生産する方向を選ぶより、農業を健康産業に位置づけて、出来るだけ低価格で、安心安全の差別化商品を作る方向で、思い切った農業改革をした方が、国民の健康に資するばかりでなく、海外にも輸出できて、小さい国の生き残り策になるのではないでしょうか。

国内の農産物が低価格で、それが安全で美味しいと分かれば、いくらTPPに加入して貿易自由化を制定しても、国民は国産品を選ぶようになるのではないでしょうか。
また、農業者も個別保障で保証金を貰うよりも農業にはるかにやり甲斐と生き甲斐を感じるようになると思います。
大切なことは、少ない財源をどこに投資するということではないでしょうか。

 
 

 

 

 

 
 
 
   まほろば自然農園で過ごしたこの1年は、感謝で始まり感謝の気持ちで終わることとなりました。
一日として同じ日はなく、過ぎ去った日々は決して戻らないという当たり前のことが、農園で働くものにとってとても大事なことであり、その日その瞬間が野菜たち、自分たちにとても大切で、今を生きた一年でありました。  

植え付けから、水やり、追肥のタイミングなど、今ここでやらなくてはという瞬間の毎日。
体と五感をフル活動させて、夕暮れまであっというまの一日。
気がつけば、もう一年が過ぎようとしています。

   四季折々の自然の中、小別沢の丘の上で、時には土砂降りの雨の中、雪の中、強い風の中、雨上がりの虹の下、照りつける太陽、それはすべて青い空の下で、秋の色とりどりの木の葉のような農園スタッフは、様々な事を共有、共感しあい、時によく話し合い、一つとなって、ただひたむきに自然と向き合いました。

 

 けれど時に自然は過酷で、野菜たちを厳しく育て、われわれを試し、同じく育て、時に大きな恵みを与えてくれました。

今を生きた瞬間が野菜たちに詰まっています。  
まほろば自然農園の野菜は、農業に対する考え方、その方法だけではなく、すばらしい人々と、かけがいのない瞬間、その思いがたくさん詰まったものなのだと強く感じました。
 
 土埃の中、喜び、笑い、泣き、苦しみ、前を向いた日々の連続でした。小別沢の丘の上で野菜たちとともに、太陽と水と土と空をを見つめた一年でした。緑あるそんな丘がいつまでも続きますように。  

まほろばの皆さんに暖かく迎え入れてもらい、支えてもらい、農業のことだけでなく、いろいろな事を教えて頂きました。  
農園では朝、ありがとうございますと感謝の気持ちを一つにしています。  
まほろば農園で私はまた一つ、小さい一歩かもしれませんが、一人の人間として成長できたことをうれしく思っています。  

今またここで一つ、  ありがとうございます。



 

 
 いつも、ありがとうございます。 先日、まほろば農園のある小別沢町内会で親睦会が行われ、私も専務と共に参加させていただきました。  
   農園二年目の私は初めて参加させていただく集まりでしたので、始めは少し緊張していましたが、町内会の方々に家族の様に接していただいたおかげで楽しい時間を過させていただく事が出来ました。

 なかには
『来年の春に、わしが採って来たアイヌ葱をまほろばに出さんか?』 と声をかけていただいたり
『今日はあの山賊みたいな兄ちゃん来てないんか?』
『山賊……  あ!福田チーフですね。』    とか
『おめぇんとこは鹿でたか?』 等々、情報交換もさせて頂き勉強にもなりました。  

考えてみれば、自宅にいるよりも長い時間を小別沢のまほろば農園で過しているのに、私は小別沢の事を何も知らないな。
と、思いました。

そこで、早速調べてみる事にしました。  
まずは名前と歴史から。
 

「小別沢」の名は、アイヌ語の「ク・オ・ペツ」(仕掛け弓を置く)の意。古くは狩猟の場であったようです。
ここは屯田兵村設置後、兵村の集備用地(訓練地)として、陸軍省から借り受けていた土地でした。  

 明治27年(1894年)に日清戦争が勃発し屯田兵が出征すると、
これらの土地を有効に活用するために、ここで炭焼きが始められました。  
同年、青森県から我満嘉吉という人が炭焼き従事者の頭として、この地へ最初に住み着き、その後徐々に人家も増え、農耕に力を入れる人も増えていきました。  

しかし、明治43年(1910年)の春、突然の山火事に見舞われ、一ヶ月余りも続いたこの火事により、あたり一面は丸坊主になったといいます。

人々はこの災いを開墾の手助けと考え、以前にもまして農耕に力を注ぎ、見事に山林を農耕地に切り替えて生きました。
(西区HPを参照させていただきました)

 
   
  調べてみて驚きました!  

 我満さんはまほろばに色々と野菜を提供していただいている方ですし、畑は、まほろば農園のお隣さんでもあります。
我満さんのお祖父さん?曾お祖父さん?にあたる方が小別沢の歴史に大きな足跡を残していらっしゃる方だったとは…。

それと、当時の小別沢の方々は山火事での『困難』を前向きに受け止め、『有難い』に変えてしまうほど生きる力を持っていたのだと感動いたしました。  

きっと、焼けた樹でも太く深い根をはっていたでしょう。
山に囲まれ沢も多いために大きな岩や石もゴロゴロ出てきたと想います。  

それを機械や重機も使わずに牛や馬、人の手だけで取り除き整地していく…。  そういったことに想いを馳せると、多くの先人たちの計り知れない苦労の上に私たちは種を蒔いているのだと気づきます。  
 ただただ、感謝するばかりです。  

 
 私などはこのような機会がなければ、柔らかな土は初めから此処にある当たり前のものだと思っていたほどです。 反省。
地に限らず人も同じことが言えるかも知れません。  

当たり前のように仕事をして、当たり前のように食べ、 
当たり前のように風呂に入る。  
当たり前のようにカミさんの前で屁をこき、
いつもの様に睨まれ、縮み上がる。  

 でも、当たり前の事など本当は何一つ無くて、
全ての事が感謝の対象になるのだと思いました。  
今日も当たり前のように昇ってきてくれた朝日に手を合わせたくなります。  
まほろば農園を支えていただいて、いつも有難うございます。



 
     

2010年11月号

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