十二月ともなれば、
先ず真っ先に
お客様からの問い合わせのある。
「もう、来てますか?」
「いいえ、まだです。」
これだけでお互い分かる。
川又さんの干し芋である。
時期が、まだ早いと分かってても、
必ず聞きに来られる。
それほど、
待ち遠しいのだ。
それほど、
美味しいのだ。
まだ、商売をアパートの一室から
始めた頃の22年前、
『自然食通信』という雑誌で
川又信一さんを知った。
その産直の干し芋とやらを、取り寄せて見た。
そして、目が点になるほど、
びっくりするほどの美味しさだった。
当地の人は、それは当たり前なのだろうが、
サツマイモの産地でない北海道では、
干し芋がどう作られているか、
知るよしもなかった。
干し芋といえば、
あの白い粉の吹いた、
火にあぶって食べるものと
相場が決まっていた。
しかし、来た干し芋は、
何と鼈甲色のツヤツヤしたものだった。
そして、口に含むと、
その柔らかい歯ごたえ、
舌にすでに甘さをたたえ、
のど越しも、なんとも言えず、
男子の私が、
先ずトリコになった。
自転車の配達の往き帰り、
それをほうばりながら、
寒風の雪道を向かって行った。
当時、菜食主義だった私は、
芋と自家製甘酒がエネルギー源だった。
今は何でも食べる私は、
干し芋も振り向かなくなったが、
何故か、女の人は目がない。
余談になるが、
さつま芋を幾ら仕入れても仕入れても、
すぐ売り場から無くなる。
しかし、食卓に料理で載ったためしがない。
慮るに、あれは昼日中、
ご主人が居ない時に、
無くなってしまうのではないだろうか。
思い過ごしだろうか?
怒られそうなので、話をそらせて・・・
言うのは簡単だが、為すことは難しい。
食べるのは一瞬だが、作るのは手間隙かかる。
干し柿の旨さは、渋柿の渋の転化。
干し芋の旨さは、「玉豊」という名の常食にしない芋の不味さにある。
暖冬では、甘味が出ずに干し上がらない。
厳しい筑波颪(おろし)の北風と九十九里の浜風が芋を鍛える。
何でも、良いものが良いとは限らない。
欠点が長所に成り得る。
厳しさが甘さに変わる。
「そうだよ。
何の取り柄もない、
何の能力もない、
お前は、
希望の星だよ。」
って、自分の子に言って聞かすには、
最高のお手本なのだ。
このホ・シ・イ・モは。
それはさておき、
何故、市販の干し芋は白いのか?
それは、いわゆる出荷調整のため、
冷蔵庫保存するためである。
鼈甲の色も、一ヶ月も経つと
糖化して粉が噴き出す。
それを一年もたす。
豊作の値崩れや、不作の高騰を避け、
毎年平均的な値を出すためだ。
しかし、最近は中国産の
安い物に押されて、
国内生産者も一頃のような
勢いが無くなっている。
これは、椎茸農家のように
国内農業全体に言えることだ。
ともあれ、
あの国産の干し立ての
芋の旨さは、他国の物では
味わえない。
正月の家族の語らいを
一層和ませるものとして
後々までも
遺り、繋がるよう
祈らずにはいられない。
数少ない伝統食。
その素朴な味わいの一品。
これを大切に扱いたいものだ。
川又さんご一家の
長年にわたるご苦労、
本当に、本当に、
ありがとうございます。