2006年12月31日

●無事の歳、無事の事

2006酉の市のコピー.jpg

今年も残す所
後3時間余り。
ようやく、店を閉め、
後片付けを始めている。

いささかの掃除と、
「酉の市」から「初売り」への衣代え。

生鮮品の処分。
商品の在庫取りと発注。
初売りのたよりの印刷と垂れ幕作り。
パートさんのねぎらいと隣近所回りのご挨拶。
まだまだ、仕事は山のように残っているが、
ほどほどの処で打ち止め。

最後、エリクサー台を囲んで手打ち式。
地下の「無限心庵」にて、一年の感謝の礼。

今年も、無事暮れようとしている。


それだけで、ありがたい。


この20年間、
最後の〆に、みなに言い続けて来た。
「無事が何より、
 無事より有り難いものなし」
と。

まほろばは、
大きくも、有名にもならないが、
みな、事無きを得て、
今居ること、
今生かされていることで
充分。

それだけで、
たくさん、たくさん
戴いている。

お客様が変わりなく、
みんなが元気であれば、
すべて万々歳!!

今年も万々歳、
今までも万々歳、
来年も
ずーと、ずーと、万々歳!!


そう、私たちは、
天の神様から
自然の仏様から、
一杯、一杯、
戴くのみ。


これ以上、
要らないくらい。


ありがたい。
ただ、ありがたい。


眼が回るほど忙しくても
こんな気持ちで、
歳を越せる幸いを
感謝します。


皆様、ありがとうございました。
来年もさらに、
幸いの歳でありますことを。
無事の歳でありますことを。

年末 看板 霧.jpg寿 看板 字.jpg寿 看板 光.jpg

「大晦日の月」と「寿の字」三態

2006年12月30日

●干芋物語

干し芋 大干し場.jpg

十二月ともなれば、
先ず真っ先に
お客様からの問い合わせのある。

「もう、来てますか?」
「いいえ、まだです。」
これだけでお互い分かる。

川又さんの干し芋である。
時期が、まだ早いと分かってても、
必ず聞きに来られる。

それほど、
待ち遠しいのだ。
それほど、
美味しいのだ。

まだ、商売をアパートの一室から
始めた頃の22年前、
『自然食通信』という雑誌で
川又信一さんを知った。

その産直の干し芋とやらを、取り寄せて見た。
そして、目が点になるほど、
びっくりするほどの美味しさだった。

当地の人は、それは当たり前なのだろうが、
サツマイモの産地でない北海道では、
干し芋がどう作られているか、
知るよしもなかった。

干し芋といえば、
あの白い粉の吹いた、
火にあぶって食べるものと
相場が決まっていた。

しかし、来た干し芋は、
何と鼈甲色のツヤツヤしたものだった。
そして、口に含むと、
その柔らかい歯ごたえ、
舌にすでに甘さをたたえ、
のど越しも、なんとも言えず、
男子の私が、
先ずトリコになった。

自転車の配達の往き帰り、
それをほうばりながら、
寒風の雪道を向かって行った。

当時、菜食主義だった私は、
芋と自家製甘酒がエネルギー源だった。
今は何でも食べる私は、
干し芋も振り向かなくなったが、
何故か、女の人は目がない。

余談になるが、
さつま芋を幾ら仕入れても仕入れても、
すぐ売り場から無くなる。
しかし、食卓に料理で載ったためしがない。
慮るに、あれは昼日中、
ご主人が居ない時に、
無くなってしまうのではないだろうか。
思い過ごしだろうか?

干し芋 おばあちゃん.jpg


怒られそうなので、話をそらせて・・・

言うのは簡単だが、為すことは難しい。
食べるのは一瞬だが、作るのは手間隙かかる。

干し柿の旨さは、渋柿の渋の転化。
干し芋の旨さは、「玉豊」という名の常食にしない芋の不味さにある。
暖冬では、甘味が出ずに干し上がらない。
厳しい筑波颪(おろし)の北風と九十九里の浜風が芋を鍛える。

何でも、良いものが良いとは限らない。
欠点が長所に成り得る。
厳しさが甘さに変わる。

「そうだよ。
何の取り柄もない、
何の能力もない、
お前は、
希望の星だよ。」
って、自分の子に言って聞かすには、
最高のお手本なのだ。
このホ・シ・イ・モは。

干し芋 干し場.jpg

それはさておき、
何故、市販の干し芋は白いのか?
それは、いわゆる出荷調整のため、
冷蔵庫保存するためである。
鼈甲の色も、一ヶ月も経つと
糖化して粉が噴き出す。
それを一年もたす。
豊作の値崩れや、不作の高騰を避け、
毎年平均的な値を出すためだ。

しかし、最近は中国産の
安い物に押されて、
国内生産者も一頃のような
勢いが無くなっている。
これは、椎茸農家のように
国内農業全体に言えることだ。

ともあれ、
あの国産の干し立ての
芋の旨さは、他国の物では
味わえない。

正月の家族の語らいを
一層和ませるものとして
後々までも
遺り、繋がるよう
祈らずにはいられない。

数少ない伝統食。
その素朴な味わいの一品。
これを大切に扱いたいものだ。

川又さんご一家の
長年にわたるご苦労、
本当に、本当に、
ありがとうございます。


干し芋 染ちゃん.jpg

2006年12月29日

●年賀のこと、一葉のこと

たけくらべ.jpgたけくらべ・書稿


大晦日。
これを、「おおつもごり」と読ませた
樋口一葉の小説があった。
年の瀬も押し迫って、
後三日ばかりを残すところとなった。

まほろばにとっても、
この三日が山場で、
正に、新旧の書き入れ時なのだ。

そんな店に気持ちを集中するのに、
心残りが、年賀状書きだった。

とうとう、今朝まで
年甲斐もなく、
夜なべをしてしまった。
今、この記を書いているが、
頭がボーとしている。

当世、パソコンの普及で、
誰もが、簡単に打ち込みと印刷が
可能になって、
仕事がすこぶるはかどるのは、
有難い。

しかし、年に一度の挨拶は、
住所書きだけでも、
自筆との思いで、
一気に500枚以上
書き続けた。

一夜で、事を片付けたので
気持ちが清々したのだが、
書きながら、
一人の方のはがきが
心にかかった。

それは、今年から
年賀を止めるので、
その挨拶を、
というものだった。

最近、虚礼を廃止する
という動きが少なからずある。
実際、書きながら、
会社間のあいさつは、
言葉の金釘流とも言うべく、
形だけのものになっていて、
全国のその数たるや、
億兆枚ではなかろうか。

既に取引のない所や
思い出せない人や、
それが、結構の数に上る。

はっきり言って、
これは、無駄であるし、
心が伴わない。

ECOの側面から見ると、
紙・印刷の消費、
集配人の労力など
経費の節減や
環境に負荷を
掛けない事を考えると、
これは一考を要すべきものではなかろうか。

しかし、一方、
しばらく会っていない友や知人、
お世話になった師や先輩の
居所や消息を、
はがき一枚で毎年確かめられる
良さも捨て難い。

また、ゆったりとした
正月気分の中で、
全国からの
創意工夫された絵柄や文面を
読むのも、一つの愉しみでもある。

こんなことを書いてしまったら、
折角の虚礼廃止の勢いも
志半ばで折れてしまいそうだ。

だが、極端に止めないまでも、
毎年数を絞って減らして行き、
どうしてもという方のみを、
残して行くことが、
あらゆる資源を枯渇させない
一つの勇気ある選択だと思うのだが。

来年は、私も
それに取り組んでみようと思った。


一葉  手紙1.jpg


それにしても、
手紙を書きながら、何時も心にかかるのが、
最初、出て来た一葉の事であった。

彼女の筆致の美しさは、
単なる上手いカナ書家の類いではないことだ。
それは、
文が彼女の生活から滲み出た
つれづれであり、
息遣いであり、
肉声であったことによる。

筆遣いの活き活きした様は、
型の借り物ではなく、
まさに心の活写であった。

ことに、小説の師、
半井(なからい)桃水への
恋文は
たぎる乙女の心情が溢れ出た
古今の絶品であろう。

私が、最も惹かれるのは、
形が、心と
一緒に存在している。
芸術が、生活から
生まれ出ている点だ。


いずれにせよ、
心の伴う音信は、
数ではない。


一葉  手紙2.jpg一葉から桃水への書簡

2006年12月28日

●農は感恩報謝に・・・

池田さん.jpg
池田父子、店長(左)朝のミーテイングで挨拶


昨日の朝、仕入れから帰ると
剣淵の池田さんが来店されていた。
「絵本の里、剣淵」。
「有機農業の町、剣淵」。
その立役者が池田伊三男さんだった。
「生命を育てる大地の会」を立ち上げた
地道で長い足取りは、
「北に池田あり」と、全国に知らしめた。

池田 かぼちゃ.jpg池田 キャベツ.jpg
大地の会のキャベツと南瓜


その池田さんに有機農業を指導したのが、実は
まほろばの本店店長、
大橋君の亡きお父さん昭雄氏だった。
40年も前から、
農業の本来の在り方と実践法を説いて
道内はおろか、
内地(本州)まで、教え広めていた。

みかんや柿の箱に印刷された
『故郷の味覚』の
全国ブランドが今も遺っている。

そのお父さんの薫陶を受けて
今日あることを、
何時も感謝している池田さんは、
報恩感謝の人だった。

人の情義に薄くなった今の世に、
なおも故人の恩を偲んで忘れない、
そんな人柄に、人は付いて来た。

それは、何れの業においても
最も肝要な事のように思うのだ。

そして、接しても高ぶらず、おごらず、
謙虚に、師の息子である大橋君に
意見を聞くその姿は
美しいとさえ思った。


報恩と謙遜の心が、
日本農業の祖
二宮尊徳先生の
遺徳であり、教えの根幹だった。

それは他でもない。
天地自然へ
帰り行く
祈りの心でもあるからだ。

二宮尊徳.png二宮尊徳翁


今問われているのは、
有機云々の技術や知識より先に、
大事なもの、
明日を継ぐもの、それは
この感恩報謝の
心に違いない。


この十二月の雪の中。
キャベツとカボチャが届けられる。
街中の我々は、ごく当たり前のことのように
それを売り、そして買い求めている。

しかし、その陰なる苦労は、
まほろばの雪場の作業で
初めて、わずかながら、
理解出来たように思った。


雪中 小松菜.jpg
小松菜収穫、まほろば農園にて


雪の中をかいで
小松菜を採り上げ、
雪とむしろを取って、
埋めた白菜を拾い上げる。

剣淵の広い畑に
思いを馳せ、
このような全国の生産者に支えられている
我々の幸せを、思わないでは
いられなかった。


それは、
ただ、
「ありがたい」。


白菜 1.jpg
囲っている白菜、まほろば農園にて


2006年12月27日

●歳の市始まる

酉の市.jpg

先日の大雪は、
一遍に北国らしく、あたりを
白一色に染めなして
師走らしさを演出してくれた。

25日のクリスマスが終わり、
昨日から
いよいよ酉の市。

後、数日で、
今年も幕締め。
まほろばは、大晦日の最後まで
店を開ける。
帰るのは
10時過ぎかな。

以前は、
元旦過ぎても、
働いていた。
スタッフが増えた分、
少し帰りが早くなった。

大掃除は正月明けでなければ、
現実出来ないほど、
年末の多事多忙に追われている。

この慌しい繰り返しの中で、
一年また一年と過ごして来た。
おそらくあの世に旅立つまで、
この生業(なりわい)は変わらないのであろう。

若い頃は、こんな仕事
早く卒業したいと思っていたが、
今は、どんな業種でも同じこと、
と諦め、
「これで、中々良いもんだ」
と、達観出来るようになった。


芭蕉.jpg

芭蕉翁が、
『何に此 師走の市に ゆくからす』
と詠ったのを、
若い時は、世の中を斜に構えて、
忙しくする市中の人々を蔑んだ嫌いがあった。

でも、厭世の時と市井の時を半ば
過ごして見て、今となっては、
「それは、カラスの勝手でしょ」って、
芭蕉に言ってやりたいな、
と、思ってもみる。

しかし、また彼は
年の瀬の中の
人ごみにまみれたいほど、
人そのものが、
懐かしかった。

彼は、
人の世の
人情機微に
深く通じていた
人生の苦労人でもあった。

そんな私も、芭蕉の死から、
馬齢だけは五つ以上も越えてしまった。
賢愚文質の均くないといえども、
多少歳の功で、ちょと生意気言っても
罰は当たるまい。


十牛図も、最後は
還俗の境を納めとする。

風流も
塵に染まりて深くなる。
相聞の事も、
自然の理(ことわり)も
通ずる道は、
一つであろう。

まあ、早々に悟らず
俗中の俗人で
この世を終えるのも
「また、善きかな」
と、今日も商売に
明け暮れする
自分を楽しんでいる。


牛図.jpg


2006年12月26日

●現地漬け紅鮭

再び、鮭のはなし

現地漬け 紅鮭.jpg

カナダ西岸のジョンソン・ストリート海岸、 
そのフリーザーリバー産の
現地で塩漬けた紅鮭!!


現地漬け紅鮭.jpg       一尾 ¥5,900


紅鮭は北洋、アラスカ、カナダ
などの海域で漁獲される。

しかし、みな遠洋漁業のため、船で急速凍結して、港まで運ぶ。
その後、加工工場にて、解凍され、塩蔵して、再び冷凍する。
そして店頭に並ぶ時は、やや解凍気味で、家に持ち帰って、再び冷凍して、
また解凍して、漸く焼いて食べる。
その冷凍・解凍の繰り返しは、数知れず。

一般の塩紅は大量生産の工業製品になっている。
一旦冷凍したものを解凍すると、
細胞が死んで壊れてしまっている。
塩をしてもなかなか馴染まず、多量の塩が要る。
それで、本来の味が引き出せない。

しかし、現地漬けは、大いに異なるのだ。

漁獲仕立ての魚体は、細胞が生きている。
わずかの塩切り(塩をする事)で、細部まで塩が入る。
一昼夜置くと、
肉質の蛋白質とうまく化合してアミノ酸化し、
旨味成分が一層引き立つ。
味が自然に出きった処で、
急速冷凍をかけて旨味を閉じ込める。

それは、釣った魚をすぐ食べるより、
半日置いた方が旨いのと似ている。
貴重なワンフローズン(一回冷凍)である。

紅鮭の品質の大きな違いは、
この現地漬けか否かにある。
しかも、現地漬けは、
極めて数が少なく、幾分高価である。
しかし、代えがたい過程と品格がある。

そして、産地があのフリーザーリバーの紅鮭。
アラスカのカッパリバーなど著名であるが、
やはりカナダのジョンソン産には叶わない。

それは何故か、
それは遡上する母川の長さにある。
それに比例して脂の蓄えが異なる。
そして、それは体の色素にも出るという。
粗脂肪が濃いほど、色素は反比例して薄くなる。
つまり、フリーザーリバーは長いため、
ブリストルの鮮赤に比し、
深いピンクである。
それほど脂が載っているといえるのだ。


数ある紅鮭の中の現地漬け。

あの方にこそというには、
打って付けの贈答進物の極みである。

寒風干し鮭.jpg
店前で鮭の寒風干し

2006年12月25日

●酒蔵??チーズです

酒造.jpg

宮嶋さんがやって来た。
札幌に来るたびに寄る。
先回は3日前。
もう20年以上の付き合いだ。

何か、兄弟のような、
親友のような、
会っては、
最新情報を交換している。

そして「怪しいなーーー」って、
相手の話の揚げ足をとっては、
お互いクサシ合っている。

でも、笑って、
密かに納得しては、
黙って次回の講演や文章に、
相手の怪しい話をチャッカリ
パクって我が事のように披瀝する。
(冗談半分以上ですよ)

でも、世話になったのは
僕の方が多いかな?(笑い)

憎めない笑い顔に
全国のファンは多く、
一番は何たって、フランスのチーズ界のドン
ヒュベール元会長の心を射止めたことだろう。
彼が、宮嶋さんを見込んで、
日本における
ナチュラルチーズのオーソリテイーに
育て上げた。

これは後代からみたら、
歴史的なことだ。
そして、世界チーズオリンピックで
あの「さくら」が
見事グランプリを獲得したのだった。

エリクサー・チーズ
「ti-tie(チッチ)」も
彼なしには、出現しなかっただろう。
そろそろ、来年あたり、
国産でのチッチの生産を
始めようか、と話し合ったばかりだ。
また、話題を呼ぶだろう。

そんな中、
「酒造」という日本風チーズの開発を試みた。
以下、宮嶋さんのコメントを載せる。

酒造 醍醐のしずく.jpg


酒蔵   宮嶋望
 「日本の味を醸し出すチーズを作りたい!!」
という思いから、乳の醗酵に寺田酒造さん(寺田本家http://www.teradahonke.co.jp/エリクサーブックレット「エリクサーと発芽玄米酒」http://mahoroba-jp.net/elxir/booklet_top.htm参照・まほろば発行差し上げます。)の「醍醐のしずく」を使い、表面を洗う塩水にはレモンの香のする日本酒を使い、日本人の味のパターンにピタリとはまる強い風味のチーズを作ることが出来るようになりました。
まほろば社長との0−1テストによる開発で始まったものが、二年の時を経てここまで仕上って来ました。
今では、北海道の二つの酒造会社(田中酒造、小林酒造)さんの支援を受け、北海道の醗酵菌を使った北海道の風味を持つチーズを作るべく努力をしています。
味の刺激も日本風、日本酒にもピタリと合うチーズを、クリスマスに、お正月にお楽しみ下さい。

宮嶋 酒造.jpg「酒造」1箱¥1.470