昨日はプリンスホテル28Fの最上階で
まほろば恒例の遅い新年会を開いた。
藻岩山と街中が一望出来るロケーションに、
みな会場に入るなり「ワアー」という歓声。
チョット贅沢かなと思うも、
日頃の皆の働きぶりに比せば、
報える処か、
世界一周しても返すに余るくらいだ。
本当に皆、陰日なた無い働き者だ。
私の誇れるものといったら唯一、まほろばのみんな。
そんな中で、昨日はおめでたい席ながら、
つらい発表を開口一番しなければならなかった。
それは染ちゃん(染谷衣重さん)が、辞める事だった。
みんなそれを聞いて、空気が一瞬というかしばらく止まった。
私も、涙をこらえての発表だった。
故郷のさいたまの家に帰り、
保母さんになりたい初願を遂げるためだ。
短大も保育科をでて、免許もある。
その後、農業がしたくなって、札幌の八紘学園に学び、
卒業して、まほろばに入り、しばらく農園で働いていた。
大橋店長が挨拶した。
彼は農家出身で朝早くから晩遅くまで、
農家の働く厳しさを身に染みて知っている。
店長の働きぶりは衆目の認めるところで、
その器量は大きく優れていて、
私は、日本一の店長だと誇っている。
その店長が、
朝は自分よりいち早く出勤し、夜は一番遅く帰る。
「帰んなさい」と10回言っても、帰らない。
「自分が今まで会った中で、こんな人物は居なかった」と。
それで、辞めるのに、引き止めたいが、
余りもの働きぶりに、このまま行くと体を壊すので、
留めるわけにもいかなかった、と、
自分の両肩をもがれるようだ、とスピーチした。
本当に人の2,3倍働く染ちゃんが居なくなって、
一番困るのは店長だ。
次々とみんなの挨拶があったが、
皆染チャンを誉めるばかりで、惜しむ余り泣き出す人もいる。
その中で、染ちゃんのことを、
「いつも笑顔で、ありがとうを言って、人の悪口を一度も聞いたことがない」と言った。
悪口をこれまで私も聞いたことがなく、
ある人の事を聞きただした時も、遂に口を割らなかった。
50代を過ぎる主婦が口々に、染ちゃんから学んだと感謝していた。
師に年齢の差はなく、出来ている人は若くても完成している。
とにかく何でも器用にこなし、熱心で、仕事が早い。
しかも、謙虚で、一歩下がって表に出ない。
機械類が好きで、畑ではトラクターの運転が大好きで我先にと乗る。
レジでも、バックでも、パソコンでも、彼女に敵わない。
一回何百万の発注でも、易々とこなす。
砂糖も塩の製造も終わるまで、午前様でも帰らない。
私が見るに、彼女には、
凡そ、使う使われるという自他の境が無いのだ。
経営者、労働者という労使の対立も無い。
若い人にありがちなドライな考え方で仕事をしない。
あるのは、ただ仕事だけ。
それをやり終えるまで、とことんやる。
時間の観念もなく、報酬という利害もない。
まるで、禅の修業に打ち込む若き僧侶のようである。
分別心を捨てて、目の前のそのものになり切る。
そのなり切ったところに、悟りの世界が豁然と開かれる。
専務の家内も語ったが、
物事を徹底的に突き進めれば、自ずと
次のステージに神仏が引き上げてくれる。
だから、これを天の祝福と捉えて、
皆で明るく送ろうと〆た。
清々しい、新年会であった。
これを引き止めるのは、
あとは熱烈な恋しかないだろう。
あと、2ヶ月余り、
誰か、繋ぎ止める若人が出るか・・・・・・
まほろばは、
本当に人に恵まれている。
何か聖家族のようで、自分はこんな仲間に
一緒に囲まれて仕事をしている果報者。
だから何時死んでもいいな、と思っている。
二十年来勤めていたパートさんが、体の限界を知って辞めた。
ところが、ゆっくり出来るはずの家で、寂しくて寂しくて、
まほろばに来るとホッとする、という。
そして、また忙しい職場に復帰したのだ。
「あら、00さん、どうしてここに居るのーーー?」と意地悪言うと、
嬉しそうに、満面の笑みで、
「死ぬまで、使ってーーーー!!」と返す。
周囲は、笑いの渦。
毎年バリ島通いのお姉さんは、
何時も、日本のことが頭から完全に外れて、遊んだ。
「しかし、今年はまほろばのことが気になって、帰りたくて、帰りたくて・・・・」、
とうとう、涙声になって言葉にならなかった。
ある新米の女の子は、
まほろばには一杯神様が居る。
000の神、0000の神、000の神・・・
みんな一人一人、スゴイ仕事師でプロ。
まほろばは、八百万の神々集団だ!!
最後に、誰か、
「まほろばは、ふるさとだ!」
と、絶叫して終わった。
何んとも言えない、嬉しくも豊かな会だった。
その後、ボーリングとカラオケで、さらに溶け合った。
つつましいけど、
この仲間に、
私は毎日、心癒されながら
働くことが出来て、
この一生は
充分満足だった。
本当に、
「ありがとう!!」
って。