2007年01月31日

●雨音に何を聴く?

ハンコックと親戚.jpgハンコックご夫妻と親戚)

もう早、一月の末。
朝、わずかの時間であるが、先祖にお参りする。
ことに、三十一日は、祖父の命日で、感慨が深い。
一度も会ったことがないのだが、昨年の富士山に関わる顛末は
すべて祖父の、わずか28年の生涯がもたらせた
奇跡のような話だからだ。
富士のふもとの寒村に生まれ、
長男でありながら、貧しさの余り
遠い北海道の釧路の地に渡り、
そこで事業をなし、早々にしてこの世を去った。

それは、昔なら何処にでもあった話かもしれない。
しかし、100年後に、その一つの秘話が開花して、
南北の親族を結び、さらに本家に遺る古文書から、
日本人のルーツまで遡るきっかけを作るとは、
誰もが考えだにもしなかった事だった。

丁度昨年の1月28日に、
遂に実家を探し当ててから一年、
最後はGハンコックさんまで訪ねてくれたという結末に、
人生は劇場のような気がする。
今日も、その山梨のおじいさんから皆を懐かしむ手紙が届いた。
その情の厚さに、こちらも涙してしまう。

この情の繋がりを「情緒」と呼ぶことを
数学者の岡潔先生から、
十代に教えられて、今日まで来た。
自然にしても、人の世にしても、神々にしても
人の情なしには、語れない。

ロッキーと浅間神社.jpgロッキーさんと浅間神社)

ロッキー田中さんが、富士の講話の中で、
「何故、キリスト教が日本に根付かないのだろうか?」
という問いに、
「それはだね、八百万の神々に一つの神が加わるだけだからさ!」
との答えに、周りは爆笑の渦であった。

たしかに、日本人の自然観には、
自然の一つ一つに神が宿るとして、
自然と一体の暮らしぶりを何千年来続けて来た。
ハンコック氏は、この汎神教こそ、世界の混沌を救う鍵だと説かれた。

花にも、水にも、鳥にも、人と同じ心があるとする。
その情緒の世界に、もう一度立ち戻る時が来ているのだろう。

今日は、北海道の冬には、
真に珍しい雨が降り続いた。
この季節外れの雨音を、
何と聴こう。

神の悲しみの涙かもしれない、と。
それは・・・・

銀杏と浅間神社.jpg浅間神社の大銀杏)


2月の17日に、「富士の古文書と日本人の行方」について、私が話します。

2007年01月30日

●楽しむこそ、物の上手なれ

吉田秀和.gif

今、私の部屋にNHK・FMの『名曲の楽しみ』が鳴っている。
R・シュトラウスで、余り好みではないのだが。
でも、軽妙で温かな語り口の吉田秀和さんの声を聞くと、
何故か、ホッとして知らずに聞き込んでしまうようなーー。
曲名や演奏家を紹介する際のドイツ語の発音も、
嫌味に聞こえず、快く聞こえるから不思議だ。

既に90歳を越えてしまわれたが、
未だに現役で、明瞭で分かり易い言葉と
洞察眼は衰えてはいない。
昨年、文化勲章を授与されて、
長年にわたる音楽評論や随筆に対する
社会的位置づけが初めて確立された。

私の若き頃、前衛音楽集団
「二十世紀音楽研究所」の所長に就任された。
決して古典アカデミズムを固守するという構えでなく、
良いものは良いとして、進取の気象もあり、
若き芽を育てて行こうという大らかで温かな眼差しがあった。
当初「音楽以前」と酷評されていた武満徹さんも、
吉田さんは初めから、この若き天才の煌きを嗅ぎ取っていた。

その肩の力を抜き、淡々と語る音楽への愛情が、
何よりも、こんなに長く評論を続けて来られた秘訣だったのだろう。
とにかく根っから音楽が好きでたまらないという風だ。

評論の神様、故小林秀雄さんの
近くに居を構えて、鎌倉が長い。
「好きなものは?」との問いの最後に、
氏は「発見の楽しみ」を加えていた。
グレングールドをLPで探し当てた時などなど・・・。


吉田秀和全集.jpg

そして、それは音楽に限らず、本からも
楽しみの泉はあった。
孔子のこういう文に、出会ったという。

「『子曰知之者不如好之者。好之者不如楽之者。』
すこし書き直してみると、
『子は言う。之を知る人は、之が好きな人に及ばない。
之が好きな人は、これを楽しむ人に及ばない。』
とでもなかろうか。
音楽評にも通じる話で知識ばかり開陳して
結局何が好きか分からない文章。
これが好き、あれは嫌い、と威張っている文章。
好き嫌いでなくて楽しみを知る人の書いたもの。」
と、氏は記している。

言葉が溢れている情報社会の中で、
人生の楽しみや歓びが、滲み出るような文章に
なかなか会わない、
批判のための批判や
自己顕示のための知識の披瀝は
もう沢山とでも、語っているのだろうか。

小林秀雄さんは、批評の極意は
「その人を愛することから始まる」
と、言っていた事を思い出す。

孔子は、
「粗末な食を喰らい、水を飲んで、肘を曲げて枕にする。
楽しみは、またその中に在り。・・・・・」
とした貧しい境遇の中でも、
道を楽しんだ。

何事も
好きを通り越して
楽しみまで行かねば、
物事の本質が
見えてこないのだろう。


道なお遠しといえども、
この毎日の生きていることの
楽しさ、嬉しさを
大事に育てて行きたいと思う。

2007年01月29日

●捏造の根元は?

あの『発掘!あるある大辞典』の納豆騒動。
しかし、我がまほろばは意外と平静だった。
皆、よく見ていらっしゃる。
TVで「何々がいい!どれが効く!」と放映したら、即
電話が鳴り、来客が目ざとく買い占め、その棚は空になるという。

今はやりのアンチエイジング若返りの成分「DHEA」にダイエット効果があり、
それはイソフラボンを多量に含む大豆、ことに納豆にある、
という新しい切り口で、古典的食材が脚光を浴びた。

物事の一つ一つには陰陽や裏表がある。
これが、絶対良いというものはこの相対世界には絶対無いのだ。
免疫力食品の最右翼が、納豆であるという最近の学術発表もあるくらいだから、
今回の件は、当たらずとも遠うからず、
といった所だと思うのだが、問題はそこにはない。
捏造体質にある。

ちなみに、まほろばでは、大豆製品に対しては、
リノール酸過剰摂取という影の部分が、
現代病疾患の大きな原因のファクターを占めていて、
何が何でも風に、全面的に推薦は出来ない。
それは、専務の健康コラムに譲るとして。

納豆.jpg


05年に韓国ソウル大学のK教授が奇跡の細胞
「クローンES細胞」を発見したが、実は捏造であった事が発覚。
ノーベル賞に一番近かった国民的英雄が逮捕されて、
国家の威信と希望は潰えてしまった。

それと同じように、今度は日本でも、
東大・生命化学工学科のT教授とK助手が「RNAリボ核酸」の研究で、
同じ捏造疑惑で懲戒免職となった。
実験ノートがなかった、データーが改竄された、再現性がない、という
素人でも考えられない事態が、今科学の世界で起こっている。

我々、科学音痴の者にとって、侵すべからざる聖域だったものが、
実は納豆騒動と変わらなかったという茶番劇に、
何故か笑ってしまうのだ。

偉そうな科学者も、ヒョウキンなお笑いタレントも
根は同じなのか、と
人間のサガを感じてしまった。

実は、この科学における捏造は、今に始まったことではない。
2000年前のプトレマイオスからニュートン、メンデル、野口英世と
名を連ねられたら、みな口をアングリと開けてしまう。

W・ブロード、N・ウエイド著の『背信の科学者たち』によれば、
科学の不正は特殊でなく、科学の営みにまつわることだという。


背信の科学者.jpg

その不正が起きる理由に、
自説への深すぎる確信。
論敵を論破したいという誘惑。
認められたいという欲望。
偏見の合理化。
競争が激しく研究が組織化した現代では、期待する上司への迎合。
出世や権力への欲望。
研究費獲得競争のプレッシャー。
等々・・・・・・

これをテレビ局にすんなり置き換えてみれば、
そのまま即原因になっている。
いや、そればかりでない、医学界でも、どこでも通用する回答だ。

土台、毎週毎週、週替わりで、新しい健康法がある訳がない。
毎日毎日、あれが良い、これが効くと言って、
毎日、健康食品や食品を求め続けて行ったら
家計がたまったもんではない。
それより、体が
「どっちかにしてくれよ!」って、悲鳴を上げるだろう。

科学の証明という、大きな指標にはなり得るが、
絶対とは言えない一見まことしやかなロジックに惑わされて、
実は、その物全体を見る目を失われたら、
一粒の大豆にも笑われるだろう。

自然の発露から出たというものでなしに、
ある型を決めて、
そこに押し込めることを続けて行くなら、
誰もに、何時か破綻が来る。
納豆騒動を、人ごとと笑ってはいられない。

現代に生きる我々一人一人が
この無形の型枠の中に押し込められて、
一定の物を、作り続けねばならない生活を強いられている。

何事も、ほどほどの所で、
打ち止めも必要かと思う。

このブログも何時まで続くやら・・・・・
無理と分かったら、止めるか、休止する
柔軟性も持ちたいもの。

まあ、『継続は力なり』もまた、
歴史的事実であり、
人生の真理ではあるが・・・・・

2007年01月27日

●ハンコックさんのDVD発売

ハンコック DVD.jpg
ハンコック DVD2.jpg
申し込み先:潟gータルヘルスデザインさんへhttp://www.thd-web.jp/item/item.php?item_base_id=568


昨年11月に行われた、グラハム・ハンコック氏の
『スーパー・ナチュラル』の講演会のDVDが、
トータルヘルスデザインさんから発売されています。
上記のHPをご覧になって、お申し込み下さい。

その2枚目の後半「知られざる富士発見ツアー」の
『宮下古文書』の中で、私が講演している様子が少し映されています。
本家の宮下義孝さんと古文書が収められている石蔵の様子も見れます。

その明見村一帯は、神話の里ですので、
何時かツアーを組んで行きたいものですね。
今回は、時間の都合で、一番見てもらいたい所に
案内することが、出来ませんでした。

日本の神社の元社となる所で、
非常に霊気を放っているところです。
そして、ツアーの先導役は何と言っても
ロッキー田中さんに頼みたいものです。


富士講演会.jpg
(前列右端のE・デラヴィ氏が、隣のG・ハンコック氏に通訳されている。)


この時の講演と同じ内容のものを、
再びまほろばでお話したいと思います。
来る2月17日(土)夜7時からです。
丁度、旧暦の大晦日で、
また下の「無限心庵」オープン2周年祭も兼ねて開きます。
地下で野点も設けられたら良いですね。

次の日18日は
正月元旦を祝って、1時からギターコンサートを開きます。
新しい年明けが、皆さまに輝かしい光をもたらしますように!!
節目は何度あっても良いものですね。
「日に新たに、日々に新たに」


富士初日の出.jpg
ロッキー田中さんHPhttp://www.rocky-fuji.com/

2007年01月26日

●福田さんとBACH

福田 演奏.jpg

チェンバロ演奏家の福田直樹さんが突然、昨日午後に来店された。
室蘭と長沼の福祉施設へ、演奏会のため雪の北海道へ。
まほろばでは、昨年8月に、
名古屋のオーガニックワインの児玉さんの紹介で音楽会を開催した。

その時、初めて
「純正律」と「ピタゴラス音律」と「十二音階」の違いを、目の前で披瀝してくださった。
あの斎藤秀雄門下の桐朋英才教育での絶対音感実験教室の一期生。
だからご自分で自在に、調律される。

同じバッハのインヴェンションでも、このように響きが違うものか。
十二音は濁る。純正律は澄む。
現在の十二音階は妥協の産物でしかないという。

だから、就学前の幼児には、
ピアノ音やTVなどのデジタル音を聞かせないで欲しいという。
出来れば、声による歌で耳を作って欲しいと訴える。
それによって、美しいものを選り分ける力が、自然に備わるという。
ヨーロッパの音楽家は、讃美歌を合唱することで基礎を形成して行った。
あのシューベルトの歌曲の天性の美しさは、
彼が少年合唱隊で調性の和声で、耳を研ぎ澄ませたからだという。

福田 調律.jpg

そして、さらに、
最近、何処も彼処も、モーツアルトばやりの狂想曲で、むしろ危険だと指摘する。
自分は、トータルのバランスを育てることが大切だと考える。
それはバッハに極まると。
バッハを演奏するのは、あくまでも手段に過ぎず、
バッハから何を聞くかが問題だ。
その芸術から、人生の目盛を見つけるためで、
誰でもがバッハの人生の全体像や宇宙観に感性が触発されて、
自己の人生に反映されればよい。

「宮下さんが、エリクサーを作ったのも、それも芸術表現で、
広い感性が生み出したものだ」とおっしゃる。
元々、バッハは大好きで、聞く一方だが、
確かに宇宙的構造や均整の美しさや安定感は、
理知と情意のバランスを教えられる。

何か、東洋で言えば、孔子の言動や
易経を音楽にしたような絶対観が存在する。
そして、皆が、その気付きに出会うために、
福田さんは、何処でも赴いて演奏をされる。

自閉症を治せる曲は、すべての疾患を治せるとまで言われている。
そのためには、二声のインヴェンションや
平均律クラヴィア曲集などが、最適という。
確かに、それは一句一句が珠玉の言葉が、紡がれている聖書のように、
無駄のない精錬された曲は、天国の音楽のようだ。

福田直人.jpg

最後に、オーデイオの話になった。
福田さんは、正しい音と美しい音とは違う、という。
正しい音を再現しても、心に美しい音と聞こえるとは限らない、と。

そして、容量パワーがあっても、微弱に制御された音が、感動を呼ぶという。
内容が豊富にあっても、すべて全力で出さず、
抑制した音、微かな音を響かせる。
ここに、含みがあって、言外の音を喚起させるのだろう。

老子の「・・・・大方無隅,大器晩成,大音稀声,大象無形,・・・・・・」の
「大きな音は微かな声だ・・・」という件(くだり)を思い出した。
芭蕉の「かるみ」も荘重な漢語を駆使した後の
「わび・さび」を越えた境地であった。

腹に多くを蔵するも、
語る口は少なくし、歌う声は小さいほどよし。

内容が無いから、
私は毎日語り過ぎている。


福田直樹さんHP:http://www.pianist.jp/fukuda/
各地での演奏会開催をご希望の方は上記にお気軽にご連絡下さい。


2007年01月25日

●新年会!送別会?

昨日はプリンスホテル28Fの最上階で
まほろば恒例の遅い新年会を開いた。
藻岩山と街中が一望出来るロケーションに、
みな会場に入るなり「ワアー」という歓声。

チョット贅沢かなと思うも、
日頃の皆の働きぶりに比せば、
報える処か、
世界一周しても返すに余るくらいだ。

本当に皆、陰日なた無い働き者だ。
私の誇れるものといったら唯一、まほろばのみんな。

新年会 涙.jpg


そんな中で、昨日はおめでたい席ながら、
つらい発表を開口一番しなければならなかった。
それは染ちゃん(染谷衣重さん)が、辞める事だった。
みんなそれを聞いて、空気が一瞬というかしばらく止まった。
私も、涙をこらえての発表だった。

故郷のさいたまの家に帰り、
保母さんになりたい初願を遂げるためだ。
短大も保育科をでて、免許もある。
その後、農業がしたくなって、札幌の八紘学園に学び、
卒業して、まほろばに入り、しばらく農園で働いていた。

大橋店長が挨拶した。
彼は農家出身で朝早くから晩遅くまで、
農家の働く厳しさを身に染みて知っている。
店長の働きぶりは衆目の認めるところで、
その器量は大きく優れていて、
私は、日本一の店長だと誇っている。

その店長が、
朝は自分よりいち早く出勤し、夜は一番遅く帰る。
「帰んなさい」と10回言っても、帰らない。
「自分が今まで会った中で、こんな人物は居なかった」と。

それで、辞めるのに、引き止めたいが、
余りもの働きぶりに、このまま行くと体を壊すので、
留めるわけにもいかなかった、と、
自分の両肩をもがれるようだ、とスピーチした。
本当に人の2,3倍働く染ちゃんが居なくなって、
一番困るのは店長だ。

次々とみんなの挨拶があったが、
皆染チャンを誉めるばかりで、惜しむ余り泣き出す人もいる。
その中で、染ちゃんのことを、
「いつも笑顔で、ありがとうを言って、人の悪口を一度も聞いたことがない」と言った。
悪口をこれまで私も聞いたことがなく、
ある人の事を聞きただした時も、遂に口を割らなかった。
50代を過ぎる主婦が口々に、染ちゃんから学んだと感謝していた。
師に年齢の差はなく、出来ている人は若くても完成している。

とにかく何でも器用にこなし、熱心で、仕事が早い。
しかも、謙虚で、一歩下がって表に出ない。
機械類が好きで、畑ではトラクターの運転が大好きで我先にと乗る。
レジでも、バックでも、パソコンでも、彼女に敵わない。
一回何百万の発注でも、易々とこなす。
砂糖も塩の製造も終わるまで、午前様でも帰らない。

私が見るに、彼女には、
凡そ、使う使われるという自他の境が無いのだ。
経営者、労働者という労使の対立も無い。
若い人にありがちなドライな考え方で仕事をしない。
あるのは、ただ仕事だけ。
それをやり終えるまで、とことんやる。
時間の観念もなく、報酬という利害もない。

まるで、禅の修業に打ち込む若き僧侶のようである。
分別心を捨てて、目の前のそのものになり切る。
そのなり切ったところに、悟りの世界が豁然と開かれる。

専務の家内も語ったが、
物事を徹底的に突き進めれば、自ずと
次のステージに神仏が引き上げてくれる。
だから、これを天の祝福と捉えて、
皆で明るく送ろうと〆た。

清々しい、新年会であった。
これを引き止めるのは、
あとは熱烈な恋しかないだろう。
あと、2ヶ月余り、
誰か、繋ぎ止める若人が出るか・・・・・・

新年会 全員.jpg


まほろばは、
本当に人に恵まれている。
何か聖家族のようで、自分はこんな仲間に
一緒に囲まれて仕事をしている果報者。
だから何時死んでもいいな、と思っている。

二十年来勤めていたパートさんが、体の限界を知って辞めた。
ところが、ゆっくり出来るはずの家で、寂しくて寂しくて、
まほろばに来るとホッとする、という。
そして、また忙しい職場に復帰したのだ。
「あら、00さん、どうしてここに居るのーーー?」と意地悪言うと、
嬉しそうに、満面の笑みで、
「死ぬまで、使ってーーーー!!」と返す。
周囲は、笑いの渦。

毎年バリ島通いのお姉さんは、
何時も、日本のことが頭から完全に外れて、遊んだ。
「しかし、今年はまほろばのことが気になって、帰りたくて、帰りたくて・・・・」、
とうとう、涙声になって言葉にならなかった。

ある新米の女の子は、
まほろばには一杯神様が居る。
000の神、0000の神、000の神・・・
みんな一人一人、スゴイ仕事師でプロ。
まほろばは、八百万の神々集団だ!!

最後に、誰か、
「まほろばは、ふるさとだ!」
と、絶叫して終わった。

何んとも言えない、嬉しくも豊かな会だった。
その後、ボーリングとカラオケで、さらに溶け合った。

つつましいけど、
この仲間に、
私は毎日、心癒されながら
働くことが出来て、
この一生は
充分満足だった。

本当に、
「ありがとう!!」
って。

新年会 染ちゃん.jpg


2007年01月24日

●志ある友よ、来たれ!!

             まほろばでは、
              健康や、環境、平和の問題を、
          身近な食べ物や水、
             農業、生活関連用品などを通して、
                 足もとから見つめ直し、
                    改善していくためにスタッフ全員が
                       仲良く努力しています。

         厳しい事も、苦しい事もありますが、
         同じ志を持ち、ともに努力していける
         同志を新たに募集したいと思います。

まほろば 外面.jpg


本店正社員募集 


 ●学歴不問
 ●年齢 30才位まで
 ●履歴書と、志望動機(原稿用紙2枚程度)を持参、または郵送

まほろば看板.jpg


まほろば自然農園正社員、研修生、農繁期アルバイトスタッフ、ボランティア募集 


 ●学歴不問
 ●正社員は年齢30才位まで
 ●有機農業に関心があり、体力のある方
 ●研修生は、H19年4月〜12月までの一年契約、有給
 ●ボランティア、年齢制限なし、時間制限なし
 ●農繁期アルバイトスタッフは、登録制、時給

 農園.jpg


    
お問い合わせ先:まほろば本店(担当:大橋) TEL:011-665-6624