2007年02月28日

●旧正月コンサートと食の革命

ギターコンサート 全員.jpg

先週の日曜日18日は、旧暦の正月元旦。
これを祝して、札幌の「ハート音楽院」の皆さんで、
音楽会を開いて下さった。
「まほろば新春ほっとホットコンサート」
最初の「ほっと」は、心がほっとする、
後の「ホット」は温かい、
新春の雪解けに心開いてゆく北国の人々にとって
旧暦は、自然の巡りに相応しく、明るい希望に輝く。

それと、参加された音楽院の先生・生徒さんの
何ともほほえましく、あったかい生の音楽に
身も心もほどけるのを感じた。

何時ぞや、英国のギタリスト、ジュリアン・ブリームの来日が
病気のため、急遽中止になったことの悔しさを思い出していた。
その時、弾かれたかもしれない
「オリエンタル」や「アルハンブラ」や「シシリアーナ」などなど
盛り沢山に、時にフォークや童謡を交えてのプログラム。
より多くの皆様に聞かせて上げたかった。

たまたま三重からお越しの大森俊紀さんが参加されて、
「やはり、生は素晴らしい」と感想をもらされ、
ほっと、安堵のため息をついた。

初めて古代ギリシアの「プサルタリー」という弦楽器を見て、
簡単に、しかも美しく一音を奏でられるさまに、
会場の皆、童心に帰って楽しんだ。
http://homepage2.nifty.com/psaltery/
また何時か、コンサートを開催することを約束して、
音楽院の皆様に感謝感動する一時を惜しみながら閉会した。
ギターコンサート 2、.jpg

その前日の大晦日の17日の午後、専務はチエリアで、
市の主催する「地球にやさしい町づくり」の活動報告会で講演。
まほろば農園の取り組みを市民の皆さんに報告。

私は夜、まほろばで「富士古文書・・・・」の話。

講演会 専務 チエリア.jpg
講演会 社長 まほろば.jpg

そして、24日の土曜は、まほろばで、
専務の「油の時事問題をお話します」の講演会。
今話題のトランス酸をはじめとして、
テレビで毎日のように宣伝されている
特定保健用食品(特保)に指定された植物油の問題点や、
まだ余り知られていないけれど、
本当は一番怖いアクリルアミドの話などがあった。

隠された事実には驚くばかりだ。
それを見抜く0−1テストの威力もまた面白い。

11日には、東京のタカコナカムラ・スクール「ライブ醤ジャン」
http://www.takakonakamura.com/web/
での「間違いだらけの油選び」の話と、
最近、講話が多くなって来ている。

50年近くに及ぶ専務の食理論が
ようやく陽の目を見ようとしているのかもしれない。
出版の話もちらほら、食の革命も近いかな。

講演会 専務 まほろば.jpg

2007年02月27日

●エリカさん大活躍!!in USA

エリカ1.jpg
エリカ2.jpg
昨日、突然「しんやえりか」さんが、
アメリカから一時帰国されてまほろばに立ち寄られた。

また、7月には渡米して永住する予定。
それも、彼と伴に。
アフリカ系アメリカ人のトニー(Anthony Brown)は
黒人霊歌を歌う世界の名テナーでもある。
その歌声は、魂の奥底から響き、病みし心を癒す。

国と民族の壁を超えて、結ばれる
その魂の融合に祝福したい。

彼女は『なないろのうた』という詩画集を出版し、
まほろばで作品展を開いた。
そしてトニーと一緒に「結」の解説を
翻訳してくださった。
エリカ6.jpg
(まほろばで販売しています。)

その時トニーは、「結」の持つ
東洋の奥深い和合の精神に共鳴して、
民族を超えた愛の普遍性に共に感動したのだった。

結 英訳.jpg

昨年11月に彼女が出立してより、カンザスの街で
ちょっとした有名人になっていた。
あの忌まわしい原爆の被災地広島出身の彼女は、
恨みを以って語るのではなく、
愛をもって語ったそのメッセージ。

それは、今までは
「私は世界の中に在る」と多くが思っている。
しかし、今は
「世界は私の中に在る」と。

当地の人は、今まで聞いたことがない
耳新しくも、それは、
センセーショナルな発言だった。

欧米の人々にとって、
「自然は心の外に在る」と思っている。
しかし、
「自然は心の中に在る」
とは。

そして、それは真の
平和の原理だった。

エリカ3.jpg

彼女は、トニーと共に、彼の地で
東洋思想の奥に湛える真の
平和と愛のメッセージを
食を通し、画を通し、音楽を通し、瞑想を通し
静かに訴えるだろう。

まほろばの
「結」や「Sarah」や「七五三塩」や「ELIXIR」は
この根源の原理から生まれた。
erika.jpg

形をかりて心を表現するこの手法を
二人はきっと素晴らしい形で
世に顕すだろう。

その一個の小石の大海に投げられた
波紋は、遅くとも、小さくとも
何時か、きっと
大きな陸も山も呑み込むような
波紋となることを
信じている。

エリカ4.jpg
トニーの新譜『Each Other's Light』Anthony Brown
一ヵ月後まほろばで販売予定、日本初です

エリカ5.jpgトニーさんのHP
http://www.anthonybrownbaritone.net/

2007年02月22日

●事と人

洞爺 景色2.jpg
(洞爺の中島と、キラキラ光る雪)


自宅の窓辺の雪が
例年なら屋根の下まで積もって、
暗く部屋を閉ざしていた。
しかし、今年は全く、その翳りがない。
初めてのこと。

桜のたよりも、今年は早いと聞く。

何もかも、暖冬の余波が至る処に押し押せている。
誰もが別段深刻な様子もないまま、
春を迎えようとしている。

これは、かつてない異常なことなのだ。
日常の身の回りに目が奪われて、
そのシグナルに気付かない。

昨日、社員旅行の帰り、皆でアル・ゴア氏の
『不都合な真実』を観た。
http://www.futsugou.jp/


氏の長年の温暖化に対する研究と警告が、
今冬の異常気象と重なって、
より現実的な説得力となって、迫って来た。

ここでは、その内容を話すには、
各方面で語り尽くされているので、あえて触れないでおく。

何万言、言葉を尽くすより、先ずは是非映画を観て欲しい。

それよりも、内容以前に、感じたことは
ゴア氏の人柄であった。
何か、真摯で誠実な心が、聞く人、見る人を
惹きつけて信じさせてしまうものがあった。

それは、一つに安心感といったものだろうか。
彼の言うことなら、信じられる、力を貸したい、
という思いにさせられる不思議な魅力に溢れていた。

何を言ったかでなく、
誰が言ったか。

これは、真理の側面であるような気がした。

確かに、環境問題やさまざまな事々が知らされている。
しかし、何故か胡散臭さが、鼻に付いたり、
解るんだけど、どうも足が向かないな、
ということがないだろうか。

最近は、その傾向が特に多いような気がする。
一回聞いたら、もういい・・・・

でも、魅力的な人の話は、
同じ事を、何度聞いても
聞きたくなる。

自然の風光は、
相も変わらず、年々同じだ。
だが、飽きるということがない。

事の真実とは、
人の真実かもしれない。

人如何によって、
事の真実も真実でなくなるのかもしれない。

そこには、事があるのではなく、
心がある。

環境問題も大上段に構えるのではなく、
まほろばが出来ることを
今まで通りに、
淡々と粛々と、
やって行きたいと思う。
自分の身の丈に応じて。


洞爺 景色1.jpg
(部屋の窓から、洞爺湖が一望に鳥瞰出来る。)

一昨日は、長年苦労に苦労を重ねさせた
皆の慰労にと
洞爺のウインザーホテルに泊まった。
その日、来年の六カ国協議のホテルに選ばれたばかりだった。
格安だったから、選んだが。
20年に一回なら許されても良い。

それでも、お客様に、
休んで、ご不便をおかけしてはならない、
と1日だけの宿である。

そんな事情を、みんなよく知っていて、
良く耐えて頑張ってくれる。


しかし、パートさんを残しての休みは
後ろ髪を引かれるように、心から休めない。

そして決意。

来年は、1日だけ休ませてもらって
皆で一緒に、温泉に浸かろう!ということになった。

ささやかだけど、
お湯で心一つになって、
明日の活力にしようと、
約束した。

洞爺 ハープ.jpg
(朝、ロビーでハープの生演奏)

2007年02月14日

●結と結衣ちゃん

結 印.jpg

8日より、長野、加古川、京都に出張。
専務と伺った健康食品会社の中田社長さんとの初対面。
とてもお人柄が誠実で、会社も堅実。
「一見は百聞は如かず」で、尋ねて手応えがあり。
夢が一歩現実化に向けて歩み出した。
嬉しい。

ただ、残念なのが、どうしても入れたかった草実が、
生薬であるため、健食に出来ず、
断念せざるを得なかった。
エッセンチアの篠原先生が、その朝まで、
八方手を尽くして色々問い合わせて下さったが、
ダメだった。

これは、きっと何か意味があるのだろう。
何時かお話したいが、、
私にとって、すごい因縁を感ずる生薬なのだ。

その神秘と歴史と古人を介しての心のときめきは、
ただならぬものだった。
その出会いは劇的だった。

しかし、それを別な用途で使いたい。
それは、また何れ日を追ってお話しを。

サプリメントは7月の創業23周年には間に合わせたいと思う。
詳しくは、これも後日に。


次に、「結」を何時も身につけたい、というご要望が全国で多い。
ミニチュア版やキーホルダーやストラップタイプにしたいと考案中。
それで、昨年より、色々苦労を重ねているが、まだ時が来ていないのか。

「結」を新月の木で試作して、下川町さんには、
さんざんご苦労をおかけしている。
とうとう三次元旋盤器まで買わせてしまった。

草木染めや組み紐・・・・大津の文化財保持者を訪ねたり、
果てはローマングラスとの取り合わせを思ってシリア人と仲良くなったりしている。
今回も、中華の細かい組み紐技術では、との希望で中国の方を尋ねたが、
今一つしっくりいかなかった。

何かあるのだろう。
もう少し、時の熟成を待ちたい。

結 社長2.jpg


そして、最後は京都のトータルヘルスデザインさんへ。
「結」の箱書きと色紙、夫々200個分。
ギリギリまで書き続けて、
帰りの飛行機に、ようやく間に合ったほどだった。

まほろばでは、それほど出ないのだが、
何故こんなにも出るのかが不思議だ。

(ちなみに、トータルさんの商品紹介と社長のブログをご覧になってください。)
http://president.thd-web.jp/e2875.html

近藤社長は、科学畑出身であり、
論理的な思考回路が出来上がっているのだが、
不思議と発想や思想の帰結が超絶的で、
そのギャップが実に面白い。
常に、俯瞰的に世の中の流れや方向性を見極めようとされている。
意識が、そこをサーチしている所が常人でない所以だ。
俗にいう、飛んでいる方で、
しかも、会社も経営されていらっしゃる。
新しい良き経営者のモデルではなかろうか。


結 結衣 2.jpg

二日目の朝からは、大阪の心斎橋で「弥盛亭」を切り盛りしている
息子さんの太郎君美智子さんご夫妻が月曜の休みで、いらしていた。
http://iyasirotei.thd-web.jp/
愛娘「結衣(ゆい)」ちゃんを抱いて。
スタッフの滝澤さんが言っていた「佛さんみたい」の通り、
小さいながら、悟り顔で、眼は遠くを見詰めている。

「結」が発売された時に生まれたので、深いご縁があるのだろう。
下手な字で「結衣」と、
「天(あめ)のいと(糸・意図) 結ひし衣 着る姫(こ)かな」
の拙句を書かせて戴いた。

これからは、神佛の意図に結ばれた
開かれた意識を持った子が
生まれてこなければ
この混迷の世を
立て直すことは出来ないだろう。

この幼子に宿る
尊き魂を
大人の手で汚してはならない。
私達の積み上げた業の山は
この子達にどれだけの
負担を背負わすことになるのだろうか。

少しでも、それが軽くなるよう、
今日一日を精一杯
仕事に頑張りたいと思う。

2007年02月07日

●エリクサー染め 2

絹 しぼり 1.jpg
(私の処女作、茜染め絹絞り)

先回、報告のあった「薬草染めの講習会」
今だから、正直に告白すると、
遠路はるばる岡山からアルデバランの
中村御夫妻がお越しになる事、
実に申し訳ない、と思っていた。
何故かは、明白で、
今まで長年、オーガニック綿の和布や草木染を扱って来て、
目に見えて売れた験しがなかったからだ。

それが、絹の薬草染めともなると、
一段と値も張り、庶民感覚では、
これを日常身に着けるとは、到底思えなかった。

たまたま、まほろばで勤めていた大井さんが、
中村さんとは師弟関係であり、仲の良い友でもあった。
その縁で、どういう訳か、今回の企画が成った。

蓋を開けてみて、驚いたことに、
何と、50万円以上も売れたのである。
まるで「シンジラレナーイ!」
本当に想定外であった。

しかし、ご主人俊一さんの直感と理論、
奥様由産(ゆみ)さんの実地と経験、
その掛け合いの和やかさ、温かさ、
そして大井わこちゃんの名先導役が、
効を奏したのであろう。

由産さん 雪晒し.jpg
(由産さん、初の雪晒し。嬉しそうにハシャいでます!)

それは実際、男性の我が身では考え及ばない出来事だった。
しかし、実際、染めの実習会に参加して、
直に、絹に手を触れ、茜で手に染め、
初めて絹の魅力に引き込まれた。
遅まきながら、恥ずかしながら。

絹の微妙な肌合いに波立つ、
震えるような感受性。

「シルクロード」
千年の時の障壁を越えて、
引き寄せる絹の道、絹の魅力。
何故かくまでして「絹」なのか。

エリクサーでの水洗い.jpg
(エリクサー水での濯ぎ、すごく冷たい!)


染めの色は、茜。
額田王のあの「茜さす 紫のゆき・・・・・」
にも歌われる薬草で、赤ちゃんの産着や女性の腰巻に用いられた。
浄血、保温、体全体の活性化に卓効があるとされる。
あの何ともいえぬ東洋のピンク色は、
女性性の優しさでもある。

今回の実習は、
エリクサー水で最初の草木の煮出しから、
最後の濯ぎ洗いまで実験する目的もあった。
中村さんご自身も染料造りには使われたが、全工程は初めて。

エリクサー水での抽出は今まで、何度も実験済み。
薬草やハーブ、お茶などの濃度や色、味がまるで違ってくる。
酵素の醗酵具合は明らかに目に見えて盛ん。
その結果が次の違い。

染 違い.jpg

これは、茜の量など条件を一定にして、
比較実験をやるべきなのだが、その場ではなかった。
とりあえず、一部と全工程の相違だけで、
これだけ発色が異なるものか、と驚いた。

次に、由産さんから絞り方を教わった。
私はすぐ、バリエーションを考えてしまう。
一度締めたを輪ゴムを少し緩めて、
新しい部分に締めなおして、
二度染めの微妙な変化が出てくるのでは、
と思ったのが、頭の写真、処女作の絹絞り。

講習会が終わった後、大釜に残った染料が
余りにももったいないので、独り染めることにした。

一枚一枚、手に取ると、
次から次に、絞り方のアイデアが浮かんで来て、
それぞれに全く別な手法で絞って見た。

スカーフを斜めによって、漣(さざなみ)のように波寄せる。
逆に、白地を全面に、かすかに薄茜が淡く残るよう強く絞るなど、
出来合いの変化が面白い。

綿は、何日も放りっぱなしに漬け込んで、染みこませた。
ECOのTシャツも変身。

スカーフ しぼり 1.jpg
(絞り方を工夫してみた。二回目なので色が薄くなっている。)

スカーフ しぼり 2 .jpg
(その2、ちり緬のような絞り方)

綿 しぼり.jpg
(これは生綿の「布良」)

Tシャツ しぼり.jpg
(綿のTシャツに)


これに、はまったら何処まで行くか分からない。
でも、もうやらないだろう。
とにかく、私は子供の時から、飽き性。
このイヤだった商売が、何故ここまで続いているのか、
これが、一大不思議なのだ。

でも、それ以上は、
やることが多すぎて、現実不可能。
(でも、後ですっかりはまっていたりして?
 その時は、買って下さいね。)

また、秋にも開催予定・・・・・・!!
今度は、丁字かな、楠かな、ウコンかな・・・・・

絹 しぼり 後.jpg
(絹布に麻縄で絞り)


明日から、12日まで出張。
新しいサプリメントの開発。
(これも、昨日の話ではないですけど、
一年以上、放置していた熟成話なんです。
さて、成就するやら、神様のみぞ知る。
さらに、「結」の箱200個を書きに。
ビックリですね!全国で売れ行き爆発。
ご利益が、スゴクあるらしい!?
北海道は、これからですね・・・・・。)

ですから、ブログはしばらく、お・あ・ず・け・です。

アルデバランさん、連絡先
http://www.aldebaran-well.com/

まほろばたより:#2600号 「排毒、〜シルクと薬草〜『講演会と体験会は大盛況!』」を配布中です。
お問い合わせ下さい。

2007年02月06日

●時と看板

最近、しきりに時の不思議さを思う。
殊に、何かを創り出そうとする時間。
自分の中に、既に構想が固まり、
材料が集まっているのに、
なかなか仕切りが出来ない。

何時も頭の中は、
お伺いを立てているように、
その時の来るのを、ジッと待っている。

神様が「OK!」を出してからでないと、
何事も、上手くいかないのだ。
そういう意味では、
結局すべてやらされている、
としか言いようがない。

私の独創ではなく、
神の身軽な手足といった方が分かりが早い。

米内青果 神前 社長.jpg

今回の米内さんの看板がそうであった。
それは、時期を計ったように用意されていた。

昨年春、札幌の卸売大市場が新しく開設されて、
これを記念するに、常日頃お世話になっている
有機野菜専門仲買の米内青果の社長に
看板を贈ろうと考えた。

ところが、何と
それから、結局一年近く経過して、
昨日ようやく店に納まったのだった。

米内看板 今村1.jpg

木を探して数ヶ月、
風情のある一位のオンコが見つかった。
さて、書く段になって見当をつけて走り書きして
貼ってそのままにしておいた。
それからが、何としても不思議と書けなかった。
というより、書こうという気が起こらない。
気合を入れねばならないのだが、どうも入らない。

本当に、気が気ではないのだが、出来ない。
お待たせして申し訳なく、
恥ずかしいばかりであった。

ところが何と、その間、米内社長はご難続きで、
倉庫が大火事になる、ご自身は倒れる等々で
それは大変な一年間であったのだ。
生涯振り返って、「こんな災難はなかった」
と、述懐された。

その大難大厄の大嵐が吹き荒んだ年末の最後、
何故か一週間で、看板は完成された。
その時、幾度か気合を入れて書いたのだが、
結局、何も考えなかった最初の字以上のものは出来なかった。

今村 彫り1.jpg

店の大看板を彫って下さったコンパスの今村享さん。
彼の彫り師としての腕は冴えて
見事な出来栄えだった。
ただ惜しむらくは、字の情けなさで、本当に申し訳ない。

今村 彫り2.jpg

その完成したものを、米内社長御夫妻、
年明けの吉日を選んで、
看板を持って神宮に詣でられた。
わざわざ宮司さんが裏に『北海道神宮』と書かれ、
何十年来使ってない焼き印を
倉庫から出して押印して下さったとか。

そして、参賀のために到着した知事と市長に、
神前でバッタリと出会い、
一緒になって祈ってくれたという。
「ラッキー!ラッキー!」と、いって大喜び。

米内看板 1神宮印.jpg

さらに、ロッキー田中さんから
「黄金の海」の大きな富士写真が送られ、
商売繁盛の前途を祝うかのよう。
今、全国で「幸運を開く富士の写真」で大ブレークしている。

神宮から神主さんをお呼びして、祓いと祈祷。
「めでたし!めでたし!!」
時と所を得て、すべてが上手く納まった。

これは、何という筋書き!!

今年から、大吉大安の春風に向かって漕ぎ出すには、
最高の舞台だった。

米内青果さん、万万歳!!
必ず、大開運!!

米内青果 神前全員 2.jpg

これが時期というものだろうか。
受けるべき時は受け、
成るべき時は成る。

実に、不思議だ。

(時とは、怠慢の素晴らしい言い訳だった!?)

札2.jpg

そこで、今村さんと、
「表札で、家々に吉事が招かれたら良いね」
と、話し合ったら、
以前彫ってあった『母水』の木をすぐ持って来て下さった。
見事な切れ味。
すごい腕だなーー、と感心。
でも、注文を受けたら、
私のことだから、
何時出来るか分からないので、
やっぱり、諦めることにした。

2007年02月05日

●無為と有為の狭間で

福岡先生と矢島さん2.jpg

3日(土)に、東京から矢島三枝子女史が来店された。
用件は、京都大学・自然農法研究会の将積さんの
「福岡正信研究論文」の取材を
来道のついでに依頼された、とか。

勿論、初対面なのだが、矢島さんは
以前、福岡さんと一緒に海外に渡り、
通訳のボランテイアをして、「粘土団子」の
普及をお手伝いされていた、という。

話は、福岡さんとの出会いや
これまでの経緯についてのインタヴューであった。

福岡先生と矢島さん.jpg
(福岡自然農園産の晩柑の前にて)


改めて思ったことは、あれからもう
25年以上の月日が流れた、感慨であった。
20代で読んだ『わら一本の革命』。
これによって、自己変革の火を、内に起こした青年が
世界中の至る所に輩出した。

60年代後半から70年代にかけての学生運動がうねった後の虚脱感から
農に走った人や、自然に回帰しようとした若者が少なからずいた。

私は、別な意味で、内的な流浪の果てに自然農法に辿り着いた。
それまでの一切をかなぐり捨てて、翁の山に入ろうとした。

しかし、83年から山を閉鎖して、青年達の受け入れを拒否されていた。
それが、私の運命の分かれ道だったように思う。

私としては、脱俗して農に聖なる道を求めようとした。
しかし、天はそれを許さなかった。
むしろ、全く反対の俗なる商いの道を選ぶ事を強いられた。

その当時の自分は、半ば絶望と悲嘆の中にあった。
しかし、それ以前の15年と、それ以後の22年の、
観念と実践の中で、天が
明らかに見せてくれたものがあった。

人情機微の中にも、自然微妙の世界があり、
世俗凡塵の底にも、神仏の風光が輝いている
という気付きだった。

これは、自然の中では分からなかった真実であり、
また、世間の中だけでも理解出来なかった事実であった。

翁の「無為自然」は、「有為自然」の中でなければ、
姿を現すことはなかった。

何故、この世があり、この人があり、
何故、物があり、生活があり、苦悩があるのか。

人の世の悲しみや哀れ。
それを知ることなしに仏の慈悲も
身をもって心に染みわたることもなかろう。

泥に塗れてこそ、
蓮の白さの意味が、
一際、尊くもなる。

悟ってから入俗する道が、かつてあったかもしれないが、
迷いに迷って、出俗するほうは、反って味わい深い。

為すことも、為さざることも、
過ぎ去れば彼方。
自然も、また人工も、
極むれば同じ。

一字の水茎の跡にも、真如が
如意自然(じねん)として、躍り出ることさえある。

地獄も極楽も、
何でもありのまほろば。

ここでの多くの人々との出会い、
自家農園での営み、
オリジナルを創造すること、
商売の儲けるという意味、
取引という駆け引き、
働くということ、
人を使うということ、
お客様とのやりとりの心遣い、
さまざまなアクシデント、
いろいろな対応、
・・・・・・・・・
聖と俗、欲と無欲・・・
混沌として宇宙のよう。

ありてあり過ぎる事々、
働けど働けど働き足らざる仕事。
小さいながら、
世界と自然の縮図が詰まっている。

野菜や魚や食品を見抜く眼力が養われ、
それを通して自然の奥を垣間見る。

詰まるところ、
無為というも
自然というも、
我が心の中にあることを知る。

自然の中に身をおいても、自然が見えぬことも・・・。
世間の中に心をおいても、世間が見えぬことも・・・。

共に行き来して、
重ねて苦労して、
最後に、無為も有為も
渾然と溶け合う時節を知る。

人の悲しみに涙せぬ人の
自然は寂しい。
自然の理(ことわり)に感ぜぬものは、
人の何故生まれて来たかの秘密は明かされぬだろう。

自然といって、自然にとらわれず、
世俗といって、世俗もまた愉しみ、
どちらも、どちらでもなく、
悠々と適々と
生きて
この世を去りたいものだ。

今冬の、
店先には、
相も変わらず、
翁のみかんが、
静かに置いてある。


福岡先生と私.jpg
91年、福岡自然農園の粘土団子講習会にて、若かったな・・・・)