(まほろば自然農園にて)
道東、別海の古多糠に生きる本田廣一さん。
1.000頭の牛、1.000頭の豚、120町歩の牧場。
桁外れの雄大な大地に、壮大な酪農の夢を、若き日から追い続けた彼。
実は、本田さんとの出会いは、まほろば創業以前、さらに10年前に遡るだろうか。
奈良のアオゲ村という山奥での講演を聞いたのが始まりだった。
同郷・同世代の彼が、全国を股に、
東奔西走して有機農業の実践を訴えかけている
その勇姿を誇らしく思ったものだった。
私の過去を知る彼とは、語らずして微笑する仲でもある。
それから35年、彼の歴史は、日本有機農業発展の歴史でもあった。
私が青年だった頃、一楽照雄氏が「有機農業」の名を世に送り出した時だった。
その長い生産者の内輪を熟知している本田さんにとって、
現今の有機JASは、今一つ不満のようである。
彼が、まほろばのミーティングで話をしてくださった。
(興農ファームhttp://www.kohno-farm.jp/)
有機という名で、安全が保障されているかのような錯覚を国民がしているが、
その実情は違う。
今の有機JASは行程管理認証で、作業プロセスをチェックしたもの。
残留農薬や重金属のチェックをした訳ではない。
だから、作物そのものの品質保証ではないので、有機即安全とは限らない。
(これは0-1テストでチェックする帰納的作物判定に似ている。
結果がどうかという事が、全てを物語る事)
3年有機を実践すれば認証の対象とされる。
ために不特定多数で、技術不足の新規参入者が多い。
一方、一昨年末、超党派で「有機農業推進法」が国会で可決された。
平成23年までに、全ての都道府県で基本方針の策定準備がスタートした。
まさに、有機農業が日本農業の基本となる日も近い。
これは法律理念であるから、有機JASとのダブルスタンダードの中で、
位置付けは上にある。
意外と思われるが、古くから有機を実践している農家に認証を得ていない人が多い。
2,30年前、既に自然・有機農法の実践家は、我関せずで居た。
しかも、古くからの人は技術が上で、哲学もあり、経験も深い。
これが、問題を複雑にして来た。
環境保全対策室の担当官は、JASを持っていない篤農家を回って視察し、
国が新旧、得不得に関わらず、認めざるを得ない処まで認識が深まったのだ。
JAS認証は、一般人には物の選択の指標にはなる。
が、もっと本質的に突っ込むと、本来有機でない物を、
有機で売ることの現実を、どう克服するか、ということを本田さんは問題としている。
本来の有機農業とは、有機的循環農法なり酪農を言うのであって、
外部から物を持ち込まないことが原則なはず、と力説する。
今日、近代農業における主導微生物は、富栄養下でこそ繁殖活動するものだが、
低栄養下における微生物の活動は、循環型農業にこそあるとする。
持続的農法とは、先祖菌などの低栄養微生物の農法である。
外部から窒素・燐酸などの栄養素を過剰投入することで微生物が死に、
あるいは休眠する。
それによって連作障害が起こり、土が疲弊し、荒れる。
それが低栄養下に棲む根圏微生物などの復活と共生により、連作が可能になるのだ。
実際、滋賀県には50年間、何にも入れない水だけで
7〜8俵もの米を収穫している篤農家がいる。
残滓は持ち出さず、また元に戻すだけだ。
まさに内部循環で自給自足している理想的な完結農法でもある。
いわゆる科学的分析による土壌診断や施肥設計は当たらない。
有機は慣行の延長上にあるのではない。
むしろ、そこには0-1テストなどによる一見非科学的手法による
生命同士の感応による土作りや物作りが重要になってくるはずだと言われる。
その発表が今回、来る3月21、22、23日、酪農大学で開催される
「農を変えたい!全国集会」の中で行われる。
自然は混沌として、富栄養も低栄養も混在してバランスしているのであろう。
何れも存在意味があり、時には何れかが活発に顕われる時代性、
地域性というものがあるのだろう。
現在までの社会は富の構造が優先して来たが、
これからは貧の構造が台頭するのではなかろうか。
それは陰、あるいは「無」と言って良いかもしれない。
その先に、福岡翁の自然農法が聳え立っているはずだ。
最低限の容量で最大限の影響を及ぼす生命の時代とも言える
新しくも本来の世紀が到来しているような気がしている。
それは、まほろばが標榜している
『小国寡民』の実現に繋がるのであろう。
そんな夜明け前を感じさせる、本田さんとの再会。
これも時運のなせる業かもしれない。