●白川静 3
積小為大というが、まさに白川氏の仕事振りは、それだ。
パソコンなどには、全く縁がない。
コツコツとコツコツと甲骨文をペンでトレースして何万枚と積み上げる。
そのアナログの権化の如き姿勢が、遂に大なる仕事を為した。
嘗ての論文を、再びと自分で書き直して清書する。
助手にでも任せてパソコンに打ち込めば良いものを、と誰もが思うであろう。
しかし、そこが違う。
その手で書くことの記憶や直覚が、脳髄に伝わり、
ある特殊な回路が形成されるのであろうか。
そこには、効率や合理という能率主義がない。
今日盛大をなすユダヤ民族の頭脳は、
子供の時、暗誦させられたタルムード・トーラー(旧約聖書)にあるという。
現在、印度のIT経済躍進は、2桁の九九の暗算によるとも言われている。
あの明治維新の大革新やその後の欧米化の大躍進は、漢文の素読暗記にあったという。
ここに、不思議な一致を見る。
決して最初から難しい問題の解法ではなく、基礎の徹底であった。
数学者・首藤氏も語っていたが、自分は小さい頃から毎日、計算練習の積み重ねをして来た。
それが、今までの閃きに繋がった、と。
白川氏の終生変わらぬ、手書きの追及は、
今日機械的に打ち込むパソコンから、
真に創造的なものが生まれるのであろうか。
今、字は手書きを離れ、キーボードに叩く無機的な対象となりつつある。
そこに、温もりのある字の歴史の背景など思いも及ばない。
漢字の復古と共に、手書きの復権も叫ばねばならないのかもしれない。
白川氏は、また孔子像にも新たな卓見を示した。
彼は、巫女の私生児で祭祀集団の長であったというのだ。
祭礼に甚だこだわり、詳しいというのも頷ける。
私も古琴によって、孔子の禮樂思想を学んだが、
禮樂、何れに偏っても、道に非ざるを知った。
あの空海もまた、その一族が丹生(水銀)探査発掘で、
全国各地を渡り歩いた集団であった。
東北を発祥とする山の民であるらしい。
ために、山岳に詳しく、遂に高野山に宗廟を開いた。
何千年にも亘って孔子像も美化されて聖人君子に奉られたが、
一挙に生々しい孔子の実像が炙り出されて、
論語の一言一言が逆に、活き活きと語り掛けてくるのは不思議だ。
同じように、文字もその成り立ちを教えられて、
その歴史が急に身近に迫ってくる思いは私ばかりではなかろう。
今日、文字学を根底から覆し、
漢字の宇宙観を伝え、新風を吹き込んだ白川氏の業績は、
永く人々の心に刻み留まることであろう。
まさに現代の巨人であった。