2008年08月29日

●ハート湖、ハートトマト、ハートシェル

昨日、知人から「ハートの湖があったよ!」って写真が送られて来た。
これを「目覚めた魔女の瞳」というらしい。

すると、今朝
「ハートのトマトよ」って、家内が農園から持って来た。
すると、小田島さんが「社長、ブログ、ブログ」と言ってくれる。
皆心得たもので、先に読まれている。
トマトのハートか。
最近ハートづいている。

うれしいことである。
良い事がたくさん、たくさん、
みなさんの頭上に降り注ぎますように!!

ハートトマト 2.jpg

追記:
そうすると、また思い出して無限心庵へ。
そこにも知人から戴いた
ハート型の貝殻があった。

ハートシェル.jpg

すると、またまたミク友さんから、ハート集が送られて来た。
これはスゴイ!。
皆さん、ハートが大好きですね。
人生、結局は愛なんですね。

http://miki333.goraikou.com/ai/korabo.html

2008年08月28日

●ケンタ君

ケンタ.jpg

ドイツから姪(姉の次女)が赤ん坊を連れて、実家に帰って来た。
名をケンタ(健太)と言う。
旦那が無論ドイツ人だから、どう見てもゲルマン系の顔立ちである。

ところが、向こうでは、両親・親族・友達は皆一様に、
「東洋人だ、やっぱり日本人だ!」と、
異口同音にいうらしい。

「どうして?」と思うのだが、
姪とドイツの友達の子供を並べて見ると、
「成程!ガッテン!」と、納得するという。
「やっぱり、日本人だなーーー」となるらしい。
これでも鼻が低く、彫りが浅いのだ。

ところが、ここ日本では、どうしてもそうは思えない。
日本の赤ん坊と比べても、やはり外人である。


日本は単一民族だと、教えられて来た。
しかし、最近、多民族国家であることが判明されて来た。
確かに、様々な面立ちが錯綜して日本人が形成されている。
彫りの深い外人並みの人は、先祖に西方から渡来した血筋が
流れていることが容易に想像できる。

先日、内蒙古に行った時、見る顔、会う顔、
皆日本のここ彼処で、居る顔なのだ。
改めて顔の特色に、DNAの片鱗が見え隠れしている。

モンゴル パオ前民族衣装.jpg

皆モンゴル衣裳を着て、一緒に写真に映ったが、誰が誰だか分らなくなるほど互いに似ている。
長い年月を経ても変らない者、変る者、
それが渾然一体となって似てくるのだろう。

心で、人類が一体化して理解し合うことは、
肉体的にも混血に混血を重ねる必要があるのかもしれない。

小学生の時、担任の先生が、
「世界を平和にするには、皆混血になればいい」と言っていた事を思い出す。

日本に、今多くの外人が雪崩れ込んで来ている。
奈良朝にも、韓国・中国・中東から多くの移住民が棲み付いて現日本人を形成していった。
これから、多くの若人が外国の方々と縁を結んで、第二の国際化が起こるかもしれない。

最近は、それもまた一つの道かな、と思ったりもしている。

2008年08月24日

●トニー独唱会 大成功!

トニー独唱会 全体 2.jpg

アンソニー・ブラウンさん(通称トニー)の独唱会が、昨晩行われた。
50名もの聴衆の皆さんがお越しになった。
気の毒なくらい狭い講話室での、日本での第一回のリサイタル。
しかし、とても愛に満ちた、熱い時間を共有した。

トニーリサイタル 2 トニー.jpg

ある何人かの方は、会場に入ると、温かく込上げるものがあって泣けて来たという。
それほど、トニーの語りかけ、訴えかけるメッセージの真実が、
肌の色を越え、国を越え、言葉を越えて、皆の心に飛び込んで来たのだろう。

トニーリサイタル 2 エリカ.jpg

プログラムをみて、馴染みの無い曲名に、反応はどうかな、
との懸念もすぐ吹っ飛んでしまった。
終ってみて、起伏に富む、実に飽きさせない内容だった。
一曲一曲の解説が、より歌の背景に思いを馳せるのに効を奏し、とても理解を助けてくれた。
これも、愛妻エリカさんの献身的なサポートと名訳が皆の心を掴んだためだ。
彼女が渡米前にプレゼントしてくれたパステル画が壁にかかり、
今日もなお、色褪せることなく、トニーの声を支えてくれていた。

トニーリサイタル 1 渡辺さん.jpg

伴奏の渡邉亜樹子さんは、歌手を引き立てるに控えめに抑え、
それでいて繊細なタッチは、電子ピアノの弊を補うに余りあった。
今日の参加者は、音楽関係者も多く、世界を股にかけてピアノ演奏している青年や、
芸大出の美術アーティストやエンジニア、声楽家、作曲家と多彩だった。
そんなプロにも、トニーの歌声は、何物をも越えて迫るものがあったのだ。

トニーリサイタル 2 聴衆.jpg

四曲ほど、聴衆と合唱するフレーズがあって、それが一層親近感と盛り上がりを見せた。
黒人霊歌が歌い継がれて来た歴史に刻まれた悲しみを
時代や場所を越えて、一番深い心の底を、
共有し共感したその夕べは、
トニーにとっても、我々にとっても、切なく哀しくも嬉しいことだった。
音楽は、瞬時にしてあらゆる壁を越えられる素晴らしい神の賜り物だ。

トニーリサイタル 2 トニー4.jpg

12月2日には、帰国される。
10・9、12・1に、大谷記念ホールで、木村雅信教授の肝いりで歌われる。
先生は作曲家でピアニスト、ご夫婦でまほろばの長年のお客様でもある。
先日晴れて環境モデル都市に選ばれた下川町の春日さんも参加されて、
町での開催を計画している。
イデア・ワークスの酒井さん主催の村上和雄先生、ウォン・ウィンツァンさんとの
講演演奏会で、30日彼との邂逅でどんなことが起こるか楽しみだ。
また、寺山先生との出会いも心待ちにしている。

トニーリサイタル 4 語らい.jpg

平和の大使・トニーが、世界市民(Citizen of the World)として、
人々や国々を一つに繋げる使命を、日本各地で遂げられることを、切に祈りたい。
少人数の集まりでも、喜んで歌うとのこと。
彼の歌声が、平和の架け橋となって、多くの方々が、その橋を渡りますように。
どうぞ、こぞって手作りコンサートに名乗りを上げてください。

来る9月13日(土)、再びまほろばで同じプログラムで開催します。
昨晩来れなかった方は、お誘い合わせの上、起こし下さいませ。


2008年08月23日

●懐かしいドロシーさん

ドロシーさん記事 1.jpg

0−1テスト講習会にも、紹介させてもらっている
ドロシー・マクレーンさんのDVD、
『自然界のエンジェルと語ろう』。

自然界の精霊たちとコンタクトして、
荒野が楽園に甦ったという英国・フィンドホーン。
そのお話は随分昔から聞いていたが、
その創立者の一人がこのドロシーさんだった。

気品があり、控えめで知的、それでいて何処までも寛容で優しい佇まいは、
東洋的、ことに古い日本的情緒を持ち合わせた女性のように思えた。
この方ならば、精霊達も、喜んで応援して囁きかけるだろうな、と感じた。

ドロシーさん記事 2.jpg

実は、この米国版とも言えるペリランドラの楽園を知ったのも
10年以上前で、実際そこのフラワーエッセンスを全て使って
まほろばエリクサーのセラミックを作っている。(まだまだ素材は他にあるが)

たまたま、その精霊たちとの交信方法が自分のと似ているので興味を持ったのだった。
しかし、そこの複雑な遣り取りではなく、実にシンプルな方法なのだが、
それは、0−1テスト講座で公開している。

ドロシーさん記事 3.jpg

何か、言葉を交わさないでも、通じる心のひだのようなものを
ドロシーさんから感じ、それをご紹介して下さった寺山先生も同じように、
そこに一番共鳴されているのではなかろうか。

実際、このDVDを観ての深い感銘は、最近とみに無かったように思う。
是非観て頂きたい。

都会には、都会のエンジェルがいて、
心在らば、自在に交信出来て、
その場が、楽園になるという。

私も、本当にそう思うのだ。
念ずれば、精霊は何処にも存在している。
大いなる神仏より、身近にいて、
色々、周りの面倒を見てくれている。
元々、兄弟なのだろう。

もっと、意識をそこに向けたら、
人生もっとスムーズに事が運ぶのではなかろうかと、
思うのだが。

エリクサーは一個の鉱物にも意識があるという、
認識から作り始めた・・・・・・

ドロシーさん DVD.jpg
(ドロシー・マクレーンさん講演会『自然界のエンジェルと語ろう』DVD まほろば取り扱い)

2008年08月21日

●誕生日の真意〜寺山翁から〜

寺山翁 セロ 1.jpg

昨日8月20日は、私の誕生日で、勿体なくも
寺山心一翁先生からお祝いのお言葉を戴きました。
それは、誕生日の驚くべき真意を綴ってあり、
皆様にお知らせすべく先生に許可をとって
掲載させて戴くことにしました。
お読み戴ければ幸いです。

DSC_8157s[1].jpg
(カナダにて、寺山翁とフィンドフォーンのドロシー女史と)

お誕生日を、本当におめでとうございます。

福岡正信さんとのご縁について、今日初めて知りました。
私にとっても、遠い御縁かもしれませんが、がんになったお陰で、
福岡さんの講演を何回も聞くことができました。
そして先ほど書きましたSteve Morris博士とのご縁です。、

ところで、私は死を前にして23年前に、不思議なきっかけで、
私はチャクラを開くことができ、
オーラが見えるようになり、今では本当に活用しています。
そして1989年3月、Hands of Light の本に出会いました。
当時私は日本ホリスティック医学協会設立に参画したばかりで、
医者はオーラが見えるようになると、診断能力が上がる。
すくなくともホリスティック医学を信奉する医師は、オーラがみえる必要がある。
そして更にがんの自分自身の治癒体験を持つべきだと言って、
理事会で言っていた時でしたので、私のような物理学者のバーバラ・ブレナンさんが、
オーラの本を書いたというだけで、あの本を購入して帰国しました。

いまでは当たり前になりつつあることを、とてもうれしく思っています。

私は日本では、もう医師の再教育をすることをあきらめました。
とても難しいのです。
特に日本ホリスティック医学協会の医師たちは、
私のようながん患者からガタガタ言われるのが、どうも嫌いのようですね。

現在私は海外の学会から招かれて講演をしたり、ワークショップを、
もちろん英語で行っています。
いつの間にか英語も日本語も同じようになってきてしまいました。

不思議なくらい、アンドルー・ワイルさん、ラリー・ドッシーさん、
パッチ・アダムスさんをはじめ、たくさんの世界で有名な医師たちから
いつも尊敬の眼で迎えられています。

さてところで、今日のこの日が、宮下さんにとっての一里塚となる日に、
こころからのお誕生日をお祝いするメッセージをお送りします。

今日のお誕生日にあたり、私の今感じた言葉を送ることにしました。

さて私は誕生日という日が、なぜそんなにその人にとって大切であるかを知りたくて、
ずっと疑問に思ってそのことを探していました。

はじめてそのことに気がついたのが、1985年、当時末期ガンだった私が、
そのガンがだんだんと治ってくるときでした。

はじめは、単に自分の生まれた日を、何か自分の生き様として、
記念する日だと思ったのでしたが、 それは間違いでした。

そして次に私が誰かに出会った日だと思っていろいろとチェックして見ましたら、
最近になってそのなぞが解けました。

実はいろいろな方法である、
例えばO-リング、フーチ、ペンジュラムなど、
今までに覚えた方法を用いてチェックをしてみましたところ、
自分を守ってくれている守護霊と出会った日だったのです。

守護霊に自分のことを守ってくれたことを感謝して、
その一年間霊的に守ってくれたお礼の信号を送ると、
必ず何らかの方法で答えてくれたからです。

私は大変驚きました。
それ以来、私を作ってくれた両親とご先祖様に感謝をする日にしています。
一方世の中には自分の守護霊さんを、他人の浄化していない霊で憑依してしまい、
自分の行動を全く動かなくしまっている人たちが、何と多いことでしょうね。

お誕生日を心からお祝いしたくて、メールをしました。
ますます楽しいエネルギーを発揮されて、お友達を幸せにしていき、
人生を大いに発展させていきますことを、心からお祈りしています。

愛   心


ありがとうございます。
こんなにも、ご丁寧な懇切極まるメッセージを戴き、
恐縮すると共に、深く感謝申し上げます。
初めて知りました、誕生日の秘密を。
それは守護霊とご先祖様と両親への感謝の日なのですね。
しみじみと先生のお言葉を偲ぶよすがとします。
そして、先生がおっしゃった歳を取る(除く)ことですね。
これを機に、今年から一歳づつ若返って行きますね。
お忙しい処、お時間を割いて戴いて嬉しく思います。

福岡先生 葬儀 1.jpg
(福岡家の皆様と共に)

また、福岡先生には、先祖の繋がりを感じます。
徐福の長子を「福岡」と称したことが、「富士古文書(宮下文献)」の
徐福系図に書かれてあります。
2.200年前の事です。
きっとそのことが今生の縁を生んだのでしょう。
その事も含め、私の誕生日の前に昇天された意味も、
その気付きに重ね合わせるご先祖のお計らいの一つかもしれません。
そして、今日の寺山先生からの貴重なお言葉。
本当に、素晴らしい誕生日でした。
ありがとうございます。

宮下

2008年08月20日

●福岡正信翁 逝く U

福岡先生 葬儀2.jpg

昨日、葬儀から帰って参りました。
16日の通夜には間に合わず、晩く9時に着きました。
ご親族の輪に入れて頂いてお参りし、晩くまで語らい合いました。

福岡家の皆様は、悲しみというより95歳の天寿を全うされた祝福と、
老衰という無病であった安堵で、安らかな雰囲気に充ちたものでした。

17日の葬儀には国内から多くの方々が参列して、
遺徳を偲ぶ盛大な送る会でもありました。
弔電なども国内外から連綿として紹介され、
その交友と影響力の大きさを物語るものでした。

今しばし、福岡翁が出演されたNHK「こころの時代」を観ながら、
先生の精神と盛徳を偲びたいと思います。

2008年08月17日

●福岡正信翁 逝く!!

福岡正信.jpg

昨朝、福岡正信先生がご逝去されました。
享年95歳でした。
通夜は、今日6時半、「ルミエール伊予」(JA伊予コープ)
葬儀は、18日(月)午後1時半からです。

Uターンラッシュの今日、全く飛行機便が取れずにいたのですが、
先ほど奇跡的に、松山便一席キャンセルが出て、今から飛んで行きます。
会いに参ります。